田舎の定義と言う物はない。
タイムリーな話題に合わせると漫才の定義はないような感じか。
個人的には色々あるだろう。
高速道路が無い、新幹線が無い、携帯が使えない、山しかない、海しかない、野生動物が庭にいる、コンビニがない、訳の解らない祭りがある。
文化面で述べると直ぐに差別だとか五月蠅い昨今だが敢えていうとやはり文化の香りが薄いという感じはする。
しかしこれは簡単に言うと情報の乏しさと都からの距離の問題なんだな。
京都が都だった頃は日本海側は北前船の影響で非常に文化的に豊かな所が多かった。
それは東北地方でも同じだが北東北となると流石に遠くて田舎感が強くなる。
江戸時代でも北東北は未開の地と認識されているのであまり取り上げられる事は無い。
雪深い新潟県の山間部は北越雪請が江戸でベストセラーになった事からその生活が知られるようになった。
北東北はそれがない。東京が首都になっても奥羽列藩同盟の関係で不遇な立場のまま大田舎としての認識だった。
しかし実際には東京との距離が西日本に比べれば近いので関係性は深くなっていったのである。
実際に東北は東京に常に意識があり標準語の勉強も当たり前だった。
「私の言葉は解るでしょう」
と老人が胸を張っているのを以前はよく見かけた。
きちんと標準語の勉強をしているから単なる田舎者じゃないと言いたいのだ。
その点で言えば山陰や九州の人の方が田舎者なのである。
東京からの全中ニュースも東北発が非常に多い。比べると九州発とはかなりの差がある。
つまりそれほど東北は東京に近いという事なのだ。
だから若者はどんどん東京に吸い込まれていく。東京の磁力は強いからなあ。
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