結局俺はそのまま美樹にお持ち帰りされた。ほろ酔い気分で部屋へ入るや否や、俺達は熱いキスを交わし、そのまま寝室へ雪崩れ込んで今に至る。事が終わった後の至福と少しばかり気だるい頭で、俺はこれは現実だろうか? と自問した。隣に目をやると、美樹が下着を着けている所だった。
「何か飲むでしょ?」
美樹はそう言って笑うと、キッキンヘ向かった。形の良い尻が左右に揺れている。夢ではない――この時の俺は最高に幸せな気分を味わっていた。
冷たい麦茶の入ったグラスを美樹から受け取ると、俺は率直な気持ちを呟いた。
「今の気持ちを正直に言うなら、俺は嬉しいよ。ずっと美樹の事が好きだったし。でも、貴方が俺とこんな関係になりたかったとは意外だった。それに――」
クラブの客に体を売っているっていう噂は本当なのか? そう聞きたかったが、俺はその質問を飲み込んだ。
「それに?」
「い、いや、何でもない」
美樹はフッと笑みをこぼすと、
「私は寝たい男と寝ただけよ。貴方だってそうでしょう? そんなに深刻な顔しないで」
そう言って麦茶を一気に飲み干した。
――寝たい男と寝ただけ――
この言葉に俺は引っ掛かった。
「な、なあ。それってつまり、俺達は恋人同士っていう事で良いんだよな?」
「そう思うわよ。何で?」
「いや、それなら良いんだ」
「変なの。ね、もう一回しましょ」
美樹は俺を押し倒した。
翌朝、俺はシャワーを浴びると、美樹のマンションを後にした。幸せな充足感で胸が一杯だった。上を見上げると、朝の高い空が青く澄み渡って、まるで今の俺の心を映した様だった。
「ニャー」
足元を見ると、一匹の白い猫が俺を見上げている。猫は少し歩くと振り返り、俺に向かって鳴くのだった。
――何だろう?
俺は猫が付いてこい、と言っているような気がして、後を追った。歩いては振り返り、歩いては振り返りしながら、猫は住宅地の狭間の小さな公園に入って行く。ベンチの上にキジトラの雄が陣取り、その下に数匹の子猫が固まっていた。
「そうか、お前の旦那と子供か?」
俺は白猫に話しかけた。彼女が一声鳴くと、子猫達がわらわらと俺に近付いて来て、体を擦り付ける。俺は子猫を撫でながら、これは良い予兆だ、と思った。
――こんなふうに、俺と美樹も幸せな家庭を築けたら――
目の前のささやかだが幸せな光景が、俺達の未来を象徴している様な気がして、俺は珍しく期待に胸を膨らませた。俺は幸せな気分のまま自宅へ戻り、身支度を済ませると会社へ向かった。
「よう、夕べはどうなったんだ?」
オフィスに入るや否や、小林がニヤニヤしながら訊いてきた。もちろん、美樹との顛末を訊ねているのである。俺は本当の事を言うべきか悩んだが、結局、
「別に……楽しく飲んだだけさ」
と答えた。俺の気持ちにやましいところは無いのだから、正直に答えたって良いのだが、どうもこの小林には真実を告げる気にはなれなかったのだ。言えばきっと、小学生のように冷やかしの言葉を投げつけるのは目に見えていた。俺はそんなふうに二人の関係を茶化されるのは御免だ。
美樹は一月おきくらいにオフィスに打ち合わせにくるだけで、毎日通って来るわけではないため、その点は気が楽だった。俺は出来る事なら、美樹との事は仕事場では秘密にしておきたかったのだ。もし結婚ともなれば、公にしても良いが、それまでは黙っている事にした。
それから一月程、二、三日おきに俺達は逢瀬を重ねた。彼女はいつも明るく俺に笑いかけ、その美しい笑顔と、柔らかな体が俺を虜にした。
――ああ、女って良いものだな――
俺は心の底からそう思ったし、彼女にも同じように思って欲しくて、ベッドでは絶対に手を抜かなかった。美樹の顔と体が快楽に呻き、やがて満足の表情を浮かべる所を見るのが何より幸せだった。
――俺はこれだけの美女を満足させてやれるだけの価値がある――
そういった種類の自信が、俺の心身を駆け巡った。そしてそれは、事の他気持ちの良い物だった。俺は美樹に、彼女との関係に夢中だった。
一月程経った頃だ。いつもの様に美樹のマンションへたどり着いた俺は、信じがたい光景を目にした。美樹の部屋から男が出てきたのだ。男は白髪混じりの中年で、高級そうなスーツに身を包み、
「じゃあな、ハニー。また来るよ」
とドアの向こうに甘いセリフを投げて部屋を出た所だった。俺は咄嗟に素知らぬ顔をして男とすれ違い、ドアの前を素通りして――どうしてだろう? 何故俺がそんな真似をする必要があるのか?――廊下の端まで歩いて振り返り、男の姿が消えたのを確認してから、美樹の部屋のドアを荒っぽく叩いた。