大逆事件連座で処刑医師、大石誠之助を名誉市民に
毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20180120/k00/00m/040/099000c
2018年1月19日 20時23分(最終更新 1月19日 21時30分)
和歌山県新宮市は19日、明治末期に起きた大逆事件に連座して処刑された新宮市出身の医師、大石誠之助(1867~1911年)を名誉市民にすると発表した。地元医療に尽くす一方、反戦・反差別を主張した自由主義者としても知られ、市は「人権思想や平和思想の基礎を築いた」として107年ぶりの復権を実現した。
大石は新宮市仲之町で医院を開業し、貧しい人から診療代をもらわず、「ドクトル大石」「毒取る先生」と親しまれた。一方、新聞や雑誌に社会問題に関するエッセーや論評を発表して自由、平等、平和を唱え、活発な言論活動を展開。大逆事件で連座し、43歳の若さで刑死した。
大石を巡っては、刑死100年の2011年に合わせ、市民から名誉市民に推す動きがあったが、市議会は同年3月、関連する請願を賛成少数で不採択とした。
今回、議員有志から「国家の非をただすのが地元の矜持(きょうじ)だ」と機運が高まり、名誉市民に推す議案を提案。昨年12月、11対4の賛成多数で可決され、決定権を持つ田岡実千年市長が正式に決めた。田岡市長は「大石の遺志を後世に継承し、功績を広く発信して顕彰したい」とコメントした。
大石の命日にあたる今月24日に市役所で表彰式を行い、大石のおいの孫にあたる立花利根(とね)さん(80)=千葉県市川市=に遺族代表として表彰状を贈る。【神門稔】
大逆事件を研究する山泉進・明治大教授(社会思想史)の話 「共謀罪」法の成立など、国家の力が強化されつつある現代に、国に背いても信念を貫いた大石を顕彰するのは勇気ある決断で、大変評価したい。反発も懸念されただろうが、新宮の人々に受け継がれてきた反骨精神を見た思いだ。これが、幸徳秋水らの公的な名誉回復につながることを期待したい。
大逆事件
明治天皇の暗殺を企てたとして1910(明治43)年に社会主義者らが逮捕され、24人が死刑判決を受けた。無期懲役に減刑された12人を除き、幸徳秋水や共同謀議の罪に問われた大石誠之助ら12人は処刑された。大半は暗殺計画とは無関係で、現在は国家による思想弾圧事件との見方が強い。