写真は1933年3月。
レッスン「暴政について──20世紀に学ぶ20のレッスン」
レッスン2 インスティテューションをまもれ
2018.5.30 Anno Kazuki
インスティテューション[法令・制度・裁判所・公共施設・団体・教会・病院・学会など民主的な社会の品位を保つシステム]こそ、わたしたちが品位をまもるうえでたすけとなる。おなじように、インスティテューションもわたしたちのたすけを必要としている。支援を行動で示してインスティテューションを自分のものにしないかぎり、「わたしたちのインスティテューション」と呼んではならない。
インスティテューションは自らをまもらない。最初からまもられていないかぎり、インスティテューションはつぎつぎと倒れてゆく。だから、裁判所でも、新聞社・法律・労働組合でも、自分が大切だとおもうインスティテューションをひとつ選び、その味方になれ。...
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インスティテューションはもっとも熾烈な攻撃に対してさえも自動的に自らをまもるとわたしたちはおもいがちだ。これは政府を組織し終えたヒットラーとナチスについて、ドイツのユダヤ人が犯した過ちとまったくおなじである。たとえば、1933年2月2日、ユダヤ人むけの主要紙が、信頼を置く相手をまちがえて、次の社説を掲載した。
──ヒットラー氏とかれの友人たちが長年追い求めてきた権力をついに手にしたいま、[ナチス新聞]で喧伝されてきた提案を実施するだろうという見解には同意できない。かれたちは憲法でまもられた権利をユダヤ人から決して奪わない。ユダヤ人をゲットーに封鎖することもない。ユダヤ人を嫉妬と暴虐の衝動にかられた暴徒の標的にさせることもない。
──かれたちがそうできないのはいくつもの重要な仕組みが権力をしばるからである。・・・そして、明らかに、かれたちはそのような道へすすみたいとはおもっていない。ヨーロッパの一大国として行動するとき、あらゆる状況によって、国民の善良な資質について倫理的な内省が促され、それ以前にあった悪しき姿勢へもどろうとはしなくなる。──
これが良識ある人びとの1933年における見解だった。いま良識ある人びともおなじ見解をもっている。これは[民主的制度などの]インスティテューションを通じて権力を獲得したものが、たとえそうすると宣言していたとしても、そのインスティテューションを改変し、あるいは破壊することなどできないと思い込むために陥る過ちだ。
革命家らはあらゆるインスティテューションを一気に破壊しようとすることもある。ロシアのボルシェビキらがこの方法を採用した。ときには、インスティテューションはその活力と機能を奪われて、形骸だけのものとなり、新秩序に抵抗するよりもむしろ擁護することもある。ナチスが「均一化」と呼んだものがこれだ。
ナチスが権力を強固なものにするのに1年もかからなかった。1933年の終りまでに、ドイツは一党が支配する国家となり、すべてのインスティテューションは屈服させられた。
同年11月、ドイツの指導部は議会選挙を(対立政党なしに)開き、(正しい答えが知られていた)国民投票を実施し、新秩序を確立してゆく。ドイツのユダヤ人のなかにはナチスの指導者らが望むように投票したものもいた。形だけでも忠誠を示せば、新システムに自分たちも結びつけられると期待したからである。むなしい期待だった。
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