ヘイト動画を消滅させた「ネトウヨ春のBAN祭り」はネット上の革命だったのか?
「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」。
ことの始まりは、5月15日、掲示板サイト「5ちゃんねる」に立ち上がったスレッドだった。
当初は、ネット掲示板でよく見かける「匿名投稿者」たちの「悪ふざけ」の域を超える事はなかった。しかし5月18日「新潟女児殺害事件の犯人は在日だった」というデマ動画がYouTubeから削除された。YouTubeの運営サイドが、彼らの通報によって動画を削除したのだ。
本稿では、「彼ら」の事を「なんJ民」と呼ぶことにする。
ネット上のスラングに詳しくない人のために説明をするのであれば、「5ちゃんねる」(旧:「2ちゃんねる」)という掲示板集合サイトの中に「なんでも実況J」という掲示板があり、そこに書き込んでいる匿名投稿者たちの総称を「なんJ民」と呼ぶ。今回の一件においては、「ハンJ民」という呼称もあるが、その説明はあえて省く。
この「なんJ民」らは、YouTubeに無数にアップされている「ネトウヨ動画」の削除に向けた行動を開始する。
そして5月19日には、チャンネル登録者5万人以上、投稿動画数900本を超えるアカウントが、YouTubeによって凍結された。これが「なんJ民」の初めての戦果となる。
「5ちゃんねる」の掲示板には、次々と「ネトウヨ動画」が報告され、それを見た「なんJ民」の通報によって、動画投稿者らは、アカウント停止や自主削除へと追い込まれていく。
「なんJ民」が標的にしているYouTube動画は、人種差別やヘイトを助長しているものや悪質なデマだ。
そもそもYouTubeでは、その「コミュニティガイドライン」において「悪意のある表現に関するポリシー」を明記している。
曰く、「YouTubeでは表現の自由を支持し、あまり一般的でない意見でも自由に表現できるように努めていますが、悪意のある表現は許可されません。悪意のある表現とは、次のような特性に基づいて個人や集団に対する暴力を助長したり差別を扇動したりするようなコンテンツを指します」としながら、「人種又は民族的出自、宗教、身体障がい、性別、年齢、性的指向性/性同一性」等を明記している。
最終的な動画削除の判断は、YouTubeがする。「ネトウヨ」と呼ばれる人たちが、このポリシーに反して「レイシズムや悪質なデマを含む動画」をアップしていることを、「なんJ民」はYouTube運営者に通報し続けただけだ。
ネトウヨ動画10万本が削除
ちなみにYouTubeでは、同一アカウントの動画は2本削除されれば、2週間動画投稿禁止のペナルティが与えられ、3本削除された時点でアカウントは停止される。
「なんJ民」らの活動は加速する。Twitter上には「#ネトウヨ春のBAN祭り」(※「BAN」とはアカウントがサイト運営側によって停止されること)というハッシュタグが躍った。
多くの「なんJ民」がこの活動に参加しはじめると、今度は活動の効率化が図られた。始めは目につく違反動画を無作為に通報していたが、投稿数が多いチャンネル動画を優先して通報するようになった。
また動画タイトルやサムネイルがYouTubeのポリシーに反すると通報していたものの、動画内のどの部分(何分何秒の時点の動画)がポリシーに違反しているのか具体的に通報するようにもなった。
「5ちゃんねる」のネット掲示板「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」にも5万件(50スレ)以上のコメントが付き、「なんJ民」の活動は完全に「祭り」となった。
本稿を執筆している5月30日の段階で、「なんJ民」らが確認したところによると、YouTubeから「ネトウヨ動画」がアップされている62チャンネルがアカウント停止や自主削除となり、動画数にして10万本以上が削除された。
そのような数々の動画をアップしていた投稿者側からは「言論の自由に対する侵害だ」、「言論弾圧だ」との声も上がるが、「言論の自由」と、他者を傷つける「表現による暴力」は明らかに違う。
「表現による暴力」は駆逐されて然るべきである。その点において、最終的なアカウント停止や動画削除の判断はYouTubeがしているという「なんJ民」の主張は至極正しく、その判断を下しているYouTubeに筆者は賛意を示したい。
「ネトウヨ春のBAN祭り」はネット上の革命なのか?
YouTubeは、「表現の自由」、「情報にアクセスする自由」、「機会を得る自由」、「参加する自由」の4つの自由を、YouTubeの「在り方」として定義している。「自由」を標榜するからこそ、その「自由」を守りたいからこそ、その「自由」を利用しようとする「悪意」に対してYouTubeは正しい。
一方、「なんJ民」はどうなのか。本稿において「なんJ民」の行動を、始めは「悪ふざけ」と表現したが、事態が拡大化する中で「悪ふざけ」は「活動」に変わった。
彼らは「祭り」と呼んでいるが、結果的には「革命」と言えるような話でもある。だから「BAN祭り」に対して評論するのなら、通報ひとつでもしろという「なんJ民」の意見にも特に反論はない。
今回の一件で強く感じることは2点ある。一つは「匿名性」のことだ。
筆者はかつて本サイトに「ウイダーinゼリーの投票キャンペーンで起きた大いなる悪ノリを、主催者は予想できなかったのか」という記事を投稿している。
詳細は記事を読んで頂きたいが、この時に筆者は「なんJ民」の活動を「大いなる悪ノリ」だと評した。当時の「悪ノリ」には、少なからずヘイトや人種差別の意思が含まれていた。
「ウイダーinゼリーの投票キャンペーン」の時の「なんJ民」と、「ネトウヨ春のBAN祭り」の「なんJ民」がどれほど同一性を持っているのか、それは分からない。
しかし、この2件の本当の原動力は「匿名性」にあるのではないか。匿名が悪いと言っているのではない。結局「革命」で何かを変える時の原動力は、名も無き民衆である。世論と言い換えても良い。匿名性の持つ力を、そしてそれは容易に逆転するかも知れないという危機感を、今回の一件は教えてくれた。
そして、もう一つ。
今回の「BAN祭り」が、他のSNSにも波及するか否かには注目したい。
YouTubeの対応が正しかったことは前述の通りであるが、人種差別やヘイトを助長する内容は動画に限らず、他のSNSサイトにも多く見られることだ。
SNSを運営する企業が、「祭り」に乗じる必要はまったくないし、「臭い物に蓋をする」的な過剰な対応は、かえって企業の信頼を失墜させかねない。大事なことは、SNS運営企業が自社のポリシーを明確にし、その実現に向けて正しく行動するか否かである。
今回の「なんJ民」の「祭り」が、日本社会に与える影響は決して小さくないだろう。
<文・安達 夕 @yuu_adachi>
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