http://ajimura.blog39.fc2.com/blog-entry-3453.htmlより転載
2014-11-08(Sat)
川内原発再稼働同意 3・11前に戻るのか 安全神話の復活
納得いかぬ拙速な同意 無責任ぶりが目に余る 疑問を残したままの「見切り発車」だ 住民の安全守れるのか
----九州電力
県議会と立地自治体である薩摩川内市の市長、市議会の意見を踏まえての判断だという。
周辺30キロ圏内にある8市町の首長も、最終的に異議を唱えることはしなかった。(朝日)
----そもそも、新潟県の泉田裕彦知事が言うように、福島の事故原因は、まだ分かっていない。
原因不明のまま動かすというのは、同じ事態が起き得るということであり、対策が取れないということだ。
根拠のない自信によって立つ 。 以前への回帰であり、 の である。
川内をお手本に次は高浜、そして…。
原発 の扉をなし崩しで開いてしまうことに、多くの国民は不安を抱いている。
再生可能エネルギーという“国産”の代替手段はあるのに、である。(東京)
<各紙社説・主張>
朝日新聞) の ―「ひな型」にはなり得ない(11/8)
朝日新聞) 同意は早すぎる(11/5)
毎日新聞)川内 同意 住民の安全守れるのか(11/8)
東京新聞) 前に戻るのか (11/8)
しんぶん赤旗) 再稼働 問題山積のまま強行許されぬ(11/8)
****************************
北海道新聞) 再稼働 納得いかぬ拙速な同意(11/8)
河北新報)川内原発再稼働へ/地元同意も不安解消されず(11/8)
信濃毎日新聞)原発再稼働 無責任ぶりが目に余る(11/8)
京都新聞)再稼働の判断 住民不安に目を向けよ(11/5)
神戸新聞)川内原発/再稼働へ多くの課題残し(11/8)
神戸新聞)噴火と原発規制/冷静な議論が欠かせない(11/7)
中国新聞)川内原発の再稼働 本当に「責任」持てるか(11/8)
西日本新聞)川内再稼働同意 「福島の教訓」生かせたか(11/8)
南日本新聞)[川内再稼働同意] 疑問を残したままの「見切り発車」だ(11/8)
の を鹿児島県知事が受け入れた。
----九州電力
県議会と立地自治体である薩摩川内市の市長、市議会の意見を踏まえての判断だという。
周辺30キロ圏内にある8市町の首長も、最終的に異議を唱えることはしなかった。(朝日)
----そもそも、新潟県の泉田裕彦知事が言うように、福島の事故原因は、まだ分かっていない。
原因不明のまま動かすというのは、同じ事態が起き得るということであり、対策が取れないということだ。
根拠のない自信によって立つ 。 以前への回帰であり、 の である。
川内をお手本に次は高浜、そして…。
原発 の扉をなし崩しで開いてしまうことに、多くの国民は不安を抱いている。
再生可能エネルギーという“国産”の代替手段はあるのに、である。(東京)
<各紙社説・主張>
朝日新聞) の ―「ひな型」にはなり得ない(11/8)
朝日新聞) 同意は早すぎる(11/5)
毎日新聞)川内 同意 住民の安全守れるのか(11/8)
東京新聞) 前に戻るのか (11/8)
しんぶん赤旗) 再稼働 問題山積のまま強行許されぬ(11/8)
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北海道新聞) 再稼働 納得いかぬ拙速な同意(11/8)
河北新報)川内原発再稼働へ/地元同意も不安解消されず(11/8)
信濃毎日新聞)原発再稼働 無責任ぶりが目に余る(11/8)
京都新聞)再稼働の判断 住民不安に目を向けよ(11/5)
神戸新聞)川内原発/再稼働へ多くの課題残し(11/8)
神戸新聞)噴火と原発規制/冷静な議論が欠かせない(11/7)
中国新聞)川内原発の再稼働 本当に「責任」持てるか(11/8)
西日本新聞)川内再稼働同意 「福島の教訓」生かせたか(11/8)
南日本新聞)[川内再稼働同意] 疑問を残したままの「見切り発車」だ(11/8)
の を鹿児島県知事が受け入れた。
以下引用
朝日新聞 2014年11月8日(土)付
社説: の ―「ひな型」にはなり得ない
九州電力川内(せんだい)原発の を鹿児島県知事が受け入れた。県議会と立地自治体である薩摩川内市の市長、市議会の意見を踏まえての判断だという。周辺30キロ圏内にある8市町の首長も、最終的に異議を唱えることはしなかった。
原発 の可否について立地地域に法的な権限はない。しかし、実務上は「地元の同意」が不可欠になっている。知事の判断で の はほぼ確実となった。新しい規制基準に基づいた原子力規制委員会の審査を経た は、 が第一号となる。
全国では12原発18基が規制委の審査にかかっている。合格した原発はすべて するとしている安倍政権は、川内を今後のひな型と位置づける考えだ。
しかし、 の再稼働を巡る手続きを振り返ると、とてもこのままでいいとは考えられない。原発の過酷事故に対する備えが不十分なまま再稼働に進んでいるからだ。
■住民の安全は不十分
まず、避難計画だ。
住民の安全に直結するものなのに、いまだに避難に必要なバスの確保や渋滞対策に見通しがつけられていない。いずれも、福島での事故の際に現場が最も混乱し、住民が危険にさらされた要因となった問題だ。
福島での事故で、原発には制御しようのない危険があり、100%の安全はないことが明らかになった。
それでも原発を動かすなら、被害を受ける立地地域の住民のリスクをできるだけ小さくする手立てを講じ、さらに十分なのか検証し、住民が納得するプロセスは欠かせない。
10月に入り、県内で住民説明会が計6回開かれたものの、5回までは規制委の専門的でむずかしい審査内容に関することに限定して開催された。住民の再稼働に対する素朴な不安や提案をすくいとり、対策に反映させる場にはならなかった。
参加者への事後アンケートでも「良くなかった」「あまり良くなかった」が47%に達し、6割の人が説明を受けても理解できなかった項目が一つ以上あったと答えている。
県知事をはじめ首長や議会が最後は「(安全対策や住民避難も)国の責任」とした。県や市町村など地元自治体が再稼働の手続きに絡むのは、住民の安全が関係しているからだ。
その国の対応も同様だった。県の要請を受けて、政府職員や幹部を送り込み、議会の場などで繰り返し「国が責任をもつ」と表明した。今月3日には宮沢経産相も乗り込んで、再稼働の必要性を訴えた。
■「責任をもつ」とは
だが「責任をもつ」とはどういうことなのか。具体的には何も見えてこない。
事故が起きた福島のその後を見ても、被災者の生活再建、廃炉・汚染水対策、除染作業や放射性廃棄物の処理と、国が責任をとりきれているものはない。事故の直接的な責任を負っているのは東京電力であり、賠償や国費の投入も、結局は電気の利用者や国民の負担だ。
いったん過酷事故が起きてしまえば、立地地域は国の責任では対応しきれない打撃を受け、その影響は少なくとも数十年に及ぶ。そんな現実に目をつぶった責任論は空論だろう。
むしろ国が立地地域に対して責任をもってやるべきことはほかにある。脱原発のための支援だ。安倍政権も原発依存の低減を掲げているではないか。
■脱原発依存こそ急務
立地自治体がおしなべて再稼働に前向きなのは、過疎化が進み、原発を受け入れて交付金や税収を得ることでしか「まち」を維持できないからだ。
原発依存から脱していくためには、原発に頼らざるをえない現実を変えていく努力が欠かせない。当然、立地自治体だけでは解決できない難題であり、だからこそ今から取り組むことが必要であるはずだ。
地域の資源を活用した循環型の産業や人材の育成、あるいは原発推進に偏っていた予算の組み替え、電力システム改革や再生可能エネルギーの振興などと組み合わせたエネルギー政策――。電気の消費地も巻き込んでの議論を進めることこそ政府の責任だろう。
朝日新聞が10月25、26日に実施した世論調査では、原発の運転再開に55%が反対した。各紙の世論調査でも国民の過半は再稼働には慎重だ。
再稼働の手続きが規範となれば、原発の再稼働は立地地域が判断する問題となって、国民全体の民意と離れていく。果たしてそれでいいのだろうか。
原発政策には使用済み核燃料の貯蔵や放射性廃棄物の処分など、地域と全体が対立しかねない問題が山積している。
再稼働を巡る論議は、地域と国民全体の民意をどうすりあわせるのか、という問題を投げかけてもいる。
毎日新聞 2014年11月08日 02時35分
社説:川内再稼働同意 住民の安全守れるのか
住民を危険にさらす過酷事故は起き得る。それが福島第1原発事故の教訓である。この教訓を軽視したまま、再稼働に向けた手続きが着々と進められていくことに大きな疑問を感じる。
九州電力川内原発の再稼働について審議していた鹿児島県議会は再稼働を求める陳情を採択、伊藤祐一郎知事も同意した。川内原発が立地する薩摩川内市の市長と市議会はすでに同意しており、事実上、地元の同意手続きはこれで完了する。新規制基準ができて以来の大きな節目となるが、再稼働に向けた課題がこれで解決したとは言い難い。
そもそも、原子力規制委員会の手続きが終わっていない。再稼働までには、審査書に基づく工事計画と保安規定の認可を受ける必要がある。それなのに、なぜ、これほど急いで同意を表明する必要があるのか。来春の県議選での争点化を避けようとしたとの見方もあり、十分な検討を尽くした結果なのか、疑問が残る。
私たちは再稼働を認めるにはいくつか条件があると主張してきた。特に、過酷事故が起きた時に住民の生命と健康を守ることは、地元の首長にとって絶対条件のはずだ。しかし、それに備えた避難計画は、要援護者への対応や、避難者の受け入れ体制などに不十分なところが残されている。計画を国が審査する体制もなく、実効性が担保されたとはいえない。このままでは事故時に混乱が避けられないのではないか。
住民の納得が得られたかどうかも重要な要素だ。鹿児島県は周辺5市町で原子力規制庁の職員とともに住民説明会を開いたが、再稼働の必要性や、避難計画の実効性を問う声に、十分な説明はなく、補足説明会でも疑問の声は収まらなかった。
出席者へのアンケートも、説明会への全体的な感想や、理解できなかったテーマを問う表面的な内容にとどまった。本来なら、住民の意見をくみ取り、納得を得るための仕組みが必要だが、その努力も工夫も足りなかったと考えられる。
川内原発が過酷事故を起こせば、その影響をこうむるのは薩摩川内市にとどまらない。にもかかわらず、知事や九電が立地自治体と県の同意で十分としたことに納得していない住民も多いだろう。
もちろん、再稼働の責任は地元だけにあるわけではない。本来なら、政府が原発に頼らない社会をどう構築していくかの道筋をきちんと示した上で、個々の原発の再稼働の可否を判断すべきだ。
こうした条件が整わないまま、なしくずしに再稼働の手続きを進めることは、拙速であり、見切り発車と言わざるを得ない。
東京新聞 2014年11月8日
【社説】 前に戻るのか 川内原発
鹿児島県が同意して、手続き上、川内原発の再稼働を妨げるものはない。ゼロから 以前へ。多くの疑問を残したままで、回帰を許すべきではない。
何をそんなに急ぐのか。残された危険には目をつむり、不安の声には耳をふさいだままで、流れ作業のように淡々と、手続きが進んだようにも見える。
「安全性は確認された」と鹿児島県の伊藤祐一郎知事は言う。
原子力規制委員会の審査書は、規制基準に適合すると認めただけである。田中俊一委員長も「安全を保証するものではない」と話しているではないか。
◆責任など負いきれない
「世界最高レベルの安全対策」とはいうが、未完成や計画段階にすぎないものも少なくない。
知事は「住民には、公開の場で十分説明した」とも主張する。
しかし、鹿児島県が先月、原発三十キロ圏内の五市町を選んで主催した、規制委による住民説明会の会場では「本当に安全なのか」「審査が不十分ではないか」といった不信や不満が相次いだ。
再稼働への懸念を示す質問が司会者に遮られる場面もあった。なぜこんなに食い違うのか。
「万一事故が起きた場合、政府が責任を持って対処する」
鹿児島県の求めに応じ、政府が入れた一札である。
だが、どのように責任をとるのかは、明らかにしていない。
今年もあと二カ月足らず。何万という被災者が、放射能に故郷を追われて四度目の新年を迎えることになる。補償問題は一向に進展しない。
原子炉の中で溶け落ちた核燃料の取り出し作業は延期され、地下からわき出る汚染水さえ、いまだに止められない。繰り返す。原発事故の責任を負える人など、この世には存在しない。
◆はるか遠くに降る危険
議会と知事は、川内原発の再稼働に同意した。だが起動ボタンを押す前に、明確な答えを出すべき課題が、少なくとも三つある。
法的根拠はないものの、地元の同意が再稼働への最後の関門だとされている。
第一に、地元とはどこなのか。
伊藤知事は「県と(原発が立地する)薩摩川内市だけで十分」というのが、かねての持論である。「(原発による)苦労の度合いが違う」というのが理由である。気持ちはわからないでもない。
原発事故の被害は広い範囲にわたり、長期に及ぶというのも、福島の貴重な教訓である。
福島の事故を受け、避難計画の策定などを義務付けられる自治体が、原発の八~十キロ圏内から三十キロ圏内に拡大された。
福島の事故から二週間後、当時原子力委員長だった近藤駿介氏は、半径百七十キロ圏内でチェルノブイリ同様強制移住、二百五十キロ圏内で避難が必要になるという「最悪のシナリオ」を用意した。
原発事故の深刻な被害が及ぶ地域には、「地元」として再稼働を拒む権利があるはずだ。
次に、火山のリスクである。
九州は、火山国日本を代表する火山地帯である。川内原発の近くには、カルデラ(陥没地帯)が五カ所ある。巨大噴火の痕跡だ。
約四十キロ離れた姶良(あいら)カルデラの噴火では、原発の敷地内に火砕流が到達していた恐れがある。
ところが規制委は、巨大噴火は予知できるという九州電力側の言い分を丸ごと受け入れてしまった。
一方、「巨大噴火の予知は不可能」というのが、専門家である火山噴火予知連絡会の見解である。
これほどの対立を残したままで、火山対策を含めて安全と言い切る規制委の判断は、本当に科学的だと言えるのか。適正な手続きと言えるのだろうか。
三つ目は、避難計画の不備である。県の試算では、三十キロ圏内、九市町の住民が自動車で圏外へ出るだけで、三十時間近くかかってしまうという。
入院患者や福祉施設の人々は、どうすればいいのだろうか。福島では、多くの要援護者が避難の際に命を落としているではないか。
知事の自信と現場の不安。ここにも深い溝を残したままである。
◆代替エネルギーはある
そもそも、新潟県の泉田裕彦知事が言うように、福島の事故原因は、まだ分かっていない。
原因不明のまま動かすというのは、同じ事態が起き得るということであり、対策が取れないということだ。根拠のない自信によって立つ再稼働。 以前への回帰であり、 の である。
川内をお手本に次は高浜、そして…。原発再稼働の扉をなし崩しで開いてしまうことに、多くの国民は不安を抱いている。再生可能エネルギーという“国産”の代替手段はあるのに、である。
=2014/11/08付 西日本新聞朝刊=
社説:川内再稼働同意 「福島の教訓」生かせたか
2014年11月08日(最終更新 2014年11月08日 10時33分)
鹿児島県議会が九州電力川内原発の再稼働を求める陳情を採択し、伊藤祐一郎知事も再稼働に同意すると正式に表明した。立地自治体の薩摩川内市に続く同県の同意で、再稼働に必要な地元手続きは完了したことになる。
同原発は年明けにも、新規制基準に基づく初の再稼働となる見通しだ。それは、福島原発の事故以来、実質的に原発の利用を控えてきた日本が再び「原発を活用する国」に戻ることを意味する。
経済界を中心に再稼働を期待する声はある。だが、地元住民の不安や懸念を解消する議論が尽くされたのか。「福島の教訓」は生かされたのか。疑問を拭えない。
一連の地元同意をめぐる手続きで浮き彫りになったのは、むしろ再稼働に前のめりな政府の拙速と無責任ではなかったか。
▼不信根強い避難計画
それを象徴するのが事故を想定した避難計画だ。住民には計画の実効性への不信感が根強いのに、計6回開かれた住民説明会で議論が深まったとは言い難い。
中でも原子力規制委員会事務局の原子力規制庁による5回の説明会は、避難計画に関する質問を「説明の対象外」として答えず、会場に強い不満を残した。
無理もない。政府は避難計画づくりの責任を地元自治体に丸投げしている。規制委は避難計画への関与権限を持たないからだ。
これはおかしい。本来は実効性ある避難計画を再稼働の要件とし、規制委の審査対象にすべきだ。安全を守るための避難計画を検証する仕組みがない以上、納得できない住民がいるのも当然だろう。
住民の疑問はさらに、再稼働の必要性、原発の安全性や災害対策など多岐に及ぶ。活火山の桜島から約50キロの距離だけに、火山噴火対策にも不安がくすぶる。国は説明責任を果たしたといえるのか。
川内原発の防災対策重点地域となる半径30キロ圏の9市町のうち、いちき串木野、日置両市議会は再稼働への同意権限を求める趣旨の意見書を可決している。
だが、伊藤知事は「同意は県と薩摩川内市で足りる」との姿勢を押し通した。同意表明の記者会見でも地元の範囲について「一律の拡大は賢明ではない」と述べた。
再稼働の地元手続きは法令の定めがない。地元の範囲について政府はいまだに指針も示さない。それが地元に混乱を招いている。
福島県では今なお10市町村が避難指示区域に指定され、県全体の避難者数は12万人を超える。
福島の教訓を踏まえれば、原発周辺自治体の要望に配慮し、地域全体の合意形成に努めるのが国と鹿児島県の使命ではなかったか。知事も県議会もそうした取り組みが十分だったとは思えない。
宮沢洋一経済産業相が3日に鹿児島入りし、「事故が起きれば、国が責任を持って対処する」と述べた。再稼働への「お墨付き」を求める地元に政府がようやく応じたかたちだ。だが、決意表明の域を出ず、具体的な責任の所在や内容が明確になったわけではない。
▼責任体制は曖昧なまま
規制委は原発の新規制基準への適合性を審査するが、安全性を担保するものではない-という。政府は、その規制委が規制基準を満たすと判断した原発は順次再稼働させる-としている。ただ、個々の再稼働は電力会社の判断で、避難計画は自治体の責任-というのが政府のスタンスだ。
誰が最終的に再稼働を判断し、万が一の事故が起きた場合の責任を誰がどう負うのかは依然、曖昧なままだ。再稼働を促す政府や電力会社と、不安を抱く地元住民の板挟みとなる自治体や議会の苦悩も今回、あらためて表面化した。
より大きな問題は、政府がエネルギー基本計画で「原発依存度を可能な限り低減する」としながらその道筋を示さないことだ。
再稼働で増える放射性廃棄物は最終処分場の当てがない。各種世論調査では再稼働に反対する国民の方が賛成する人よりも多い。一方で節電意識は高まり、再生可能エネルギーの活用も増えている。
そうした原発の全体状況を踏まえ「脱原発」の行程も示して熟議すべきである。なし崩し的に再稼働へ突き進むのは許されない。
政府は今回の地元手続きを「ひな型」とするのではなく、顕在化した問題や課題をきちんと総括して今後の教訓に生かすべきだ。
南日本新聞 ( 2014/11/8 付 )
社説:[川内再稼働同意] 疑問を残したままの「見切り発車」だ
鹿児島県の伊藤祐一郎知事は九州電力川内原発1、2号機の再稼働に同意した。県議会が、再稼働を求める陳情を採択したことを受けての判断である。
東京電力福島第1原発事故が起きて以降、新規制基準に適合した原発の立地県の知事と議会が、再稼働に同意するのは初めてだ。予定通りなら川内原発は、年明け以降に再稼働する。
知事は同意について、「やむを得ないと判断した」と述べた。原発の必要性や安全性などで「政府の考えが明確に示された」とも説明した。
あれだけ過酷な原発事故の後である。知事も議会も難しい決断だっただろう。だが多くの疑問を残したままの見切り発車が、事故後の再稼働手続きにふさわしいモデルとなるかどうかは疑わしい。
知事が、再稼働に必要な同意を得る「地元」とする立地自治体の薩摩川内市と議会が賛成したのは先月下旬のことだ。それから10日後に知事と県議会が同意した。
同意にあたって、もっぱら強調されたのは「新規制基準に基づく原子力規制委員会の厳格な審査が行われた」「宮沢洋一経済産業相の文書で、エネルギー政策上の原発の必要性と川内原発の安全性の確保が明示された」などである。
ひとたび過酷事故が起きれば、被災地になるというのに、国や関係機関の「お墨付き頼み」が過ぎはしないか。
■不誠実な国の説明
宮沢経産相が鹿児島県庁で「万一の事故の際は、国が関係法令に基づき責任をもって対処する」と語ったことも、知事や議会は大きく評価した。
しかし、経産相の説明は、今年4月閣議決定した国のエネルギー基本計画の文言をなぞっただけである。再稼働を必要とする理由に挙げた中東の原油輸入の厳しさなどもそうだ。誠実さに欠ける説明で、重みも感じられない。
経産相はまた、再稼働で同意が必要な範囲について「それぞれの地域で事情が異なる」と述べた。だがその後、菅義偉官房長官が「(2番手以降も)川内原発の対応が基本的なことになる」との見解を示した。
時間がかかり、困難な同意を得る地元自治体はできるだけ少ない方がいい。これが国の本音なのだろう。伊藤知事がこだわった地元の範囲が、早くも利用された形だ。
福島原発事故での地域への被害拡大を思えば、少なくとも同意の範囲は、避難計画の作成を義務付けられた半径30キロ圏の自治体まで広げるべきである。
同意を得る範囲の問題は、自民党鹿児島県議団が党に「国が明確な基準を示すこと」を要請した。自民党は要請に従って、国民が納得できる範囲を定めるよう政府に迫ってほしい。
県が、原発の新規制基準の適合性審査の住民説明会に関して、「おおむね理解が進んだ」と評価したのも納得できない。
参加者は対象住民のわずか1.5%の2990人。「理解が進んだとは、とても思えない」と県議会で批判されたのはもっともだ。
■廃炉に備えよう
「次は川内原発が40年を経過して、廃炉問題が出てくる10年後くらいに、このようなことがあるのかなと思う」
再稼働のような決断をまた迫られることがあるのか、と記者会見で問われた薩摩川内市の岩切秀雄市長は廃炉に言及した。
脱原発は世論も望んでいる。本紙が5月に実施した電話世論調査で、「今後も原発を活用すべき」と答えた人は10.9%にすぎなかった。
国もエネルギー基本計画に「原発依存度の可能な限りの低減」を掲げ、運転開始から40年前後になる原発は廃炉にする方針だ。
岩切市長が言うように川内原発1、2号機は、2024年から相次いで運転40年を迎える。
川内原発がこのまま再稼働したとしても、今後は廃炉に向けた備えこそ重要である。
原発の建設時期から今まで、薩摩川内市は国の多額の交付金や九電の固定資産税、寄付金などで潤った。飲食業や建設業など原発絡みの仕事をする人も多い。
このため、廃炉は地域経済に与える影響が懸念される。廃炉を見据え、地元で「新エネルギーに取り組み、関連工場を誘致したい」(岩切市長)、「自立した経済を目指すべき」(建設業)などという声が出ているのは当然だ。
廃炉をスムーズに進めるためには、原発に代わる新しい産業の育成など国や県も知恵を絞る必要がある。
経産省の原子力関連の小委員会は、九電など事業者や廃炉後の立地地域に対する支援策の議論を始めた。ただ、原発の延命につながるような安易な策は慎みたい。
原発に依存しない経済や社会づくりは、福島の事故から学んだ最大の教訓のはずである。その方向性を国民に分かりやすく示すのは国の責務だ。
しかし、地方にもできることはある。先に述べた薩摩川内市でのさまざまな声を実現させることもその一つだ。
再稼働第1号になるのなら、原発に左右されない郷土づくりの先陣こそ目指すべきではないか。
朝日新聞 2014年11月8日(土)付
社説: の ―「ひな型」にはなり得ない
九州電力川内(せんだい)原発の を鹿児島県知事が受け入れた。県議会と立地自治体である薩摩川内市の市長、市議会の意見を踏まえての判断だという。周辺30キロ圏内にある8市町の首長も、最終的に異議を唱えることはしなかった。
原発 の可否について立地地域に法的な権限はない。しかし、実務上は「地元の同意」が不可欠になっている。知事の判断で の はほぼ確実となった。新しい規制基準に基づいた原子力規制委員会の審査を経た は、 が第一号となる。
全国では12原発18基が規制委の審査にかかっている。合格した原発はすべて するとしている安倍政権は、川内を今後のひな型と位置づける考えだ。
しかし、 の再稼働を巡る手続きを振り返ると、とてもこのままでいいとは考えられない。原発の過酷事故に対する備えが不十分なまま再稼働に進んでいるからだ。
■住民の安全は不十分
まず、避難計画だ。
住民の安全に直結するものなのに、いまだに避難に必要なバスの確保や渋滞対策に見通しがつけられていない。いずれも、福島での事故の際に現場が最も混乱し、住民が危険にさらされた要因となった問題だ。
福島での事故で、原発には制御しようのない危険があり、100%の安全はないことが明らかになった。
それでも原発を動かすなら、被害を受ける立地地域の住民のリスクをできるだけ小さくする手立てを講じ、さらに十分なのか検証し、住民が納得するプロセスは欠かせない。
10月に入り、県内で住民説明会が計6回開かれたものの、5回までは規制委の専門的でむずかしい審査内容に関することに限定して開催された。住民の再稼働に対する素朴な不安や提案をすくいとり、対策に反映させる場にはならなかった。
参加者への事後アンケートでも「良くなかった」「あまり良くなかった」が47%に達し、6割の人が説明を受けても理解できなかった項目が一つ以上あったと答えている。
県知事をはじめ首長や議会が最後は「(安全対策や住民避難も)国の責任」とした。県や市町村など地元自治体が再稼働の手続きに絡むのは、住民の安全が関係しているからだ。
その国の対応も同様だった。県の要請を受けて、政府職員や幹部を送り込み、議会の場などで繰り返し「国が責任をもつ」と表明した。今月3日には宮沢経産相も乗り込んで、再稼働の必要性を訴えた。
■「責任をもつ」とは
だが「責任をもつ」とはどういうことなのか。具体的には何も見えてこない。
事故が起きた福島のその後を見ても、被災者の生活再建、廃炉・汚染水対策、除染作業や放射性廃棄物の処理と、国が責任をとりきれているものはない。事故の直接的な責任を負っているのは東京電力であり、賠償や国費の投入も、結局は電気の利用者や国民の負担だ。
いったん過酷事故が起きてしまえば、立地地域は国の責任では対応しきれない打撃を受け、その影響は少なくとも数十年に及ぶ。そんな現実に目をつぶった責任論は空論だろう。
むしろ国が立地地域に対して責任をもってやるべきことはほかにある。脱原発のための支援だ。安倍政権も原発依存の低減を掲げているではないか。
■脱原発依存こそ急務
立地自治体がおしなべて再稼働に前向きなのは、過疎化が進み、原発を受け入れて交付金や税収を得ることでしか「まち」を維持できないからだ。
原発依存から脱していくためには、原発に頼らざるをえない現実を変えていく努力が欠かせない。当然、立地自治体だけでは解決できない難題であり、だからこそ今から取り組むことが必要であるはずだ。
地域の資源を活用した循環型の産業や人材の育成、あるいは原発推進に偏っていた予算の組み替え、電力システム改革や再生可能エネルギーの振興などと組み合わせたエネルギー政策――。電気の消費地も巻き込んでの議論を進めることこそ政府の責任だろう。
朝日新聞が10月25、26日に実施した世論調査では、原発の運転再開に55%が反対した。各紙の世論調査でも国民の過半は再稼働には慎重だ。
再稼働の手続きが規範となれば、原発の再稼働は立地地域が判断する問題となって、国民全体の民意と離れていく。果たしてそれでいいのだろうか。
原発政策には使用済み核燃料の貯蔵や放射性廃棄物の処分など、地域と全体が対立しかねない問題が山積している。
再稼働を巡る論議は、地域と国民全体の民意をどうすりあわせるのか、という問題を投げかけてもいる。
毎日新聞 2014年11月08日 02時35分
社説:川内再稼働同意 住民の安全守れるのか
住民を危険にさらす過酷事故は起き得る。それが福島第1原発事故の教訓である。この教訓を軽視したまま、再稼働に向けた手続きが着々と進められていくことに大きな疑問を感じる。
九州電力川内原発の再稼働について審議していた鹿児島県議会は再稼働を求める陳情を採択、伊藤祐一郎知事も同意した。川内原発が立地する薩摩川内市の市長と市議会はすでに同意しており、事実上、地元の同意手続きはこれで完了する。新規制基準ができて以来の大きな節目となるが、再稼働に向けた課題がこれで解決したとは言い難い。
そもそも、原子力規制委員会の手続きが終わっていない。再稼働までには、審査書に基づく工事計画と保安規定の認可を受ける必要がある。それなのに、なぜ、これほど急いで同意を表明する必要があるのか。来春の県議選での争点化を避けようとしたとの見方もあり、十分な検討を尽くした結果なのか、疑問が残る。
私たちは再稼働を認めるにはいくつか条件があると主張してきた。特に、過酷事故が起きた時に住民の生命と健康を守ることは、地元の首長にとって絶対条件のはずだ。しかし、それに備えた避難計画は、要援護者への対応や、避難者の受け入れ体制などに不十分なところが残されている。計画を国が審査する体制もなく、実効性が担保されたとはいえない。このままでは事故時に混乱が避けられないのではないか。
住民の納得が得られたかどうかも重要な要素だ。鹿児島県は周辺5市町で原子力規制庁の職員とともに住民説明会を開いたが、再稼働の必要性や、避難計画の実効性を問う声に、十分な説明はなく、補足説明会でも疑問の声は収まらなかった。
出席者へのアンケートも、説明会への全体的な感想や、理解できなかったテーマを問う表面的な内容にとどまった。本来なら、住民の意見をくみ取り、納得を得るための仕組みが必要だが、その努力も工夫も足りなかったと考えられる。
川内原発が過酷事故を起こせば、その影響をこうむるのは薩摩川内市にとどまらない。にもかかわらず、知事や九電が立地自治体と県の同意で十分としたことに納得していない住民も多いだろう。
もちろん、再稼働の責任は地元だけにあるわけではない。本来なら、政府が原発に頼らない社会をどう構築していくかの道筋をきちんと示した上で、個々の原発の再稼働の可否を判断すべきだ。
こうした条件が整わないまま、なしくずしに再稼働の手続きを進めることは、拙速であり、見切り発車と言わざるを得ない。
東京新聞 2014年11月8日
【社説】 前に戻るのか 川内原発
鹿児島県が同意して、手続き上、川内原発の再稼働を妨げるものはない。ゼロから 以前へ。多くの疑問を残したままで、回帰を許すべきではない。
何をそんなに急ぐのか。残された危険には目をつむり、不安の声には耳をふさいだままで、流れ作業のように淡々と、手続きが進んだようにも見える。
「安全性は確認された」と鹿児島県の伊藤祐一郎知事は言う。
原子力規制委員会の審査書は、規制基準に適合すると認めただけである。田中俊一委員長も「安全を保証するものではない」と話しているではないか。
◆責任など負いきれない
「世界最高レベルの安全対策」とはいうが、未完成や計画段階にすぎないものも少なくない。
知事は「住民には、公開の場で十分説明した」とも主張する。
しかし、鹿児島県が先月、原発三十キロ圏内の五市町を選んで主催した、規制委による住民説明会の会場では「本当に安全なのか」「審査が不十分ではないか」といった不信や不満が相次いだ。
再稼働への懸念を示す質問が司会者に遮られる場面もあった。なぜこんなに食い違うのか。
「万一事故が起きた場合、政府が責任を持って対処する」
鹿児島県の求めに応じ、政府が入れた一札である。
だが、どのように責任をとるのかは、明らかにしていない。
今年もあと二カ月足らず。何万という被災者が、放射能に故郷を追われて四度目の新年を迎えることになる。補償問題は一向に進展しない。
原子炉の中で溶け落ちた核燃料の取り出し作業は延期され、地下からわき出る汚染水さえ、いまだに止められない。繰り返す。原発事故の責任を負える人など、この世には存在しない。
◆はるか遠くに降る危険
議会と知事は、川内原発の再稼働に同意した。だが起動ボタンを押す前に、明確な答えを出すべき課題が、少なくとも三つある。
法的根拠はないものの、地元の同意が再稼働への最後の関門だとされている。
第一に、地元とはどこなのか。
伊藤知事は「県と(原発が立地する)薩摩川内市だけで十分」というのが、かねての持論である。「(原発による)苦労の度合いが違う」というのが理由である。気持ちはわからないでもない。
原発事故の被害は広い範囲にわたり、長期に及ぶというのも、福島の貴重な教訓である。
福島の事故を受け、避難計画の策定などを義務付けられる自治体が、原発の八~十キロ圏内から三十キロ圏内に拡大された。
福島の事故から二週間後、当時原子力委員長だった近藤駿介氏は、半径百七十キロ圏内でチェルノブイリ同様強制移住、二百五十キロ圏内で避難が必要になるという「最悪のシナリオ」を用意した。
原発事故の深刻な被害が及ぶ地域には、「地元」として再稼働を拒む権利があるはずだ。
次に、火山のリスクである。
九州は、火山国日本を代表する火山地帯である。川内原発の近くには、カルデラ(陥没地帯)が五カ所ある。巨大噴火の痕跡だ。
約四十キロ離れた姶良(あいら)カルデラの噴火では、原発の敷地内に火砕流が到達していた恐れがある。
ところが規制委は、巨大噴火は予知できるという九州電力側の言い分を丸ごと受け入れてしまった。
一方、「巨大噴火の予知は不可能」というのが、専門家である火山噴火予知連絡会の見解である。
これほどの対立を残したままで、火山対策を含めて安全と言い切る規制委の判断は、本当に科学的だと言えるのか。適正な手続きと言えるのだろうか。
三つ目は、避難計画の不備である。県の試算では、三十キロ圏内、九市町の住民が自動車で圏外へ出るだけで、三十時間近くかかってしまうという。
入院患者や福祉施設の人々は、どうすればいいのだろうか。福島では、多くの要援護者が避難の際に命を落としているではないか。
知事の自信と現場の不安。ここにも深い溝を残したままである。
◆代替エネルギーはある
そもそも、新潟県の泉田裕彦知事が言うように、福島の事故原因は、まだ分かっていない。
原因不明のまま動かすというのは、同じ事態が起き得るということであり、対策が取れないということだ。根拠のない自信によって立つ再稼働。 以前への回帰であり、 の である。
川内をお手本に次は高浜、そして…。原発再稼働の扉をなし崩しで開いてしまうことに、多くの国民は不安を抱いている。再生可能エネルギーという“国産”の代替手段はあるのに、である。
=2014/11/08付 西日本新聞朝刊=
社説:川内再稼働同意 「福島の教訓」生かせたか
2014年11月08日(最終更新 2014年11月08日 10時33分)
鹿児島県議会が九州電力川内原発の再稼働を求める陳情を採択し、伊藤祐一郎知事も再稼働に同意すると正式に表明した。立地自治体の薩摩川内市に続く同県の同意で、再稼働に必要な地元手続きは完了したことになる。
同原発は年明けにも、新規制基準に基づく初の再稼働となる見通しだ。それは、福島原発の事故以来、実質的に原発の利用を控えてきた日本が再び「原発を活用する国」に戻ることを意味する。
経済界を中心に再稼働を期待する声はある。だが、地元住民の不安や懸念を解消する議論が尽くされたのか。「福島の教訓」は生かされたのか。疑問を拭えない。
一連の地元同意をめぐる手続きで浮き彫りになったのは、むしろ再稼働に前のめりな政府の拙速と無責任ではなかったか。
▼不信根強い避難計画
それを象徴するのが事故を想定した避難計画だ。住民には計画の実効性への不信感が根強いのに、計6回開かれた住民説明会で議論が深まったとは言い難い。
中でも原子力規制委員会事務局の原子力規制庁による5回の説明会は、避難計画に関する質問を「説明の対象外」として答えず、会場に強い不満を残した。
無理もない。政府は避難計画づくりの責任を地元自治体に丸投げしている。規制委は避難計画への関与権限を持たないからだ。
これはおかしい。本来は実効性ある避難計画を再稼働の要件とし、規制委の審査対象にすべきだ。安全を守るための避難計画を検証する仕組みがない以上、納得できない住民がいるのも当然だろう。
住民の疑問はさらに、再稼働の必要性、原発の安全性や災害対策など多岐に及ぶ。活火山の桜島から約50キロの距離だけに、火山噴火対策にも不安がくすぶる。国は説明責任を果たしたといえるのか。
川内原発の防災対策重点地域となる半径30キロ圏の9市町のうち、いちき串木野、日置両市議会は再稼働への同意権限を求める趣旨の意見書を可決している。
だが、伊藤知事は「同意は県と薩摩川内市で足りる」との姿勢を押し通した。同意表明の記者会見でも地元の範囲について「一律の拡大は賢明ではない」と述べた。
再稼働の地元手続きは法令の定めがない。地元の範囲について政府はいまだに指針も示さない。それが地元に混乱を招いている。
福島県では今なお10市町村が避難指示区域に指定され、県全体の避難者数は12万人を超える。
福島の教訓を踏まえれば、原発周辺自治体の要望に配慮し、地域全体の合意形成に努めるのが国と鹿児島県の使命ではなかったか。知事も県議会もそうした取り組みが十分だったとは思えない。
宮沢洋一経済産業相が3日に鹿児島入りし、「事故が起きれば、国が責任を持って対処する」と述べた。再稼働への「お墨付き」を求める地元に政府がようやく応じたかたちだ。だが、決意表明の域を出ず、具体的な責任の所在や内容が明確になったわけではない。
▼責任体制は曖昧なまま
規制委は原発の新規制基準への適合性を審査するが、安全性を担保するものではない-という。政府は、その規制委が規制基準を満たすと判断した原発は順次再稼働させる-としている。ただ、個々の再稼働は電力会社の判断で、避難計画は自治体の責任-というのが政府のスタンスだ。
誰が最終的に再稼働を判断し、万が一の事故が起きた場合の責任を誰がどう負うのかは依然、曖昧なままだ。再稼働を促す政府や電力会社と、不安を抱く地元住民の板挟みとなる自治体や議会の苦悩も今回、あらためて表面化した。
より大きな問題は、政府がエネルギー基本計画で「原発依存度を可能な限り低減する」としながらその道筋を示さないことだ。
再稼働で増える放射性廃棄物は最終処分場の当てがない。各種世論調査では再稼働に反対する国民の方が賛成する人よりも多い。一方で節電意識は高まり、再生可能エネルギーの活用も増えている。
そうした原発の全体状況を踏まえ「脱原発」の行程も示して熟議すべきである。なし崩し的に再稼働へ突き進むのは許されない。
政府は今回の地元手続きを「ひな型」とするのではなく、顕在化した問題や課題をきちんと総括して今後の教訓に生かすべきだ。
南日本新聞 ( 2014/11/8 付 )
社説:[川内再稼働同意] 疑問を残したままの「見切り発車」だ
鹿児島県の伊藤祐一郎知事は九州電力川内原発1、2号機の再稼働に同意した。県議会が、再稼働を求める陳情を採択したことを受けての判断である。
東京電力福島第1原発事故が起きて以降、新規制基準に適合した原発の立地県の知事と議会が、再稼働に同意するのは初めてだ。予定通りなら川内原発は、年明け以降に再稼働する。
知事は同意について、「やむを得ないと判断した」と述べた。原発の必要性や安全性などで「政府の考えが明確に示された」とも説明した。
あれだけ過酷な原発事故の後である。知事も議会も難しい決断だっただろう。だが多くの疑問を残したままの見切り発車が、事故後の再稼働手続きにふさわしいモデルとなるかどうかは疑わしい。
知事が、再稼働に必要な同意を得る「地元」とする立地自治体の薩摩川内市と議会が賛成したのは先月下旬のことだ。それから10日後に知事と県議会が同意した。
同意にあたって、もっぱら強調されたのは「新規制基準に基づく原子力規制委員会の厳格な審査が行われた」「宮沢洋一経済産業相の文書で、エネルギー政策上の原発の必要性と川内原発の安全性の確保が明示された」などである。
ひとたび過酷事故が起きれば、被災地になるというのに、国や関係機関の「お墨付き頼み」が過ぎはしないか。
■不誠実な国の説明
宮沢経産相が鹿児島県庁で「万一の事故の際は、国が関係法令に基づき責任をもって対処する」と語ったことも、知事や議会は大きく評価した。
しかし、経産相の説明は、今年4月閣議決定した国のエネルギー基本計画の文言をなぞっただけである。再稼働を必要とする理由に挙げた中東の原油輸入の厳しさなどもそうだ。誠実さに欠ける説明で、重みも感じられない。
経産相はまた、再稼働で同意が必要な範囲について「それぞれの地域で事情が異なる」と述べた。だがその後、菅義偉官房長官が「(2番手以降も)川内原発の対応が基本的なことになる」との見解を示した。
時間がかかり、困難な同意を得る地元自治体はできるだけ少ない方がいい。これが国の本音なのだろう。伊藤知事がこだわった地元の範囲が、早くも利用された形だ。
福島原発事故での地域への被害拡大を思えば、少なくとも同意の範囲は、避難計画の作成を義務付けられた半径30キロ圏の自治体まで広げるべきである。
同意を得る範囲の問題は、自民党鹿児島県議団が党に「国が明確な基準を示すこと」を要請した。自民党は要請に従って、国民が納得できる範囲を定めるよう政府に迫ってほしい。
県が、原発の新規制基準の適合性審査の住民説明会に関して、「おおむね理解が進んだ」と評価したのも納得できない。
参加者は対象住民のわずか1.5%の2990人。「理解が進んだとは、とても思えない」と県議会で批判されたのはもっともだ。
■廃炉に備えよう
「次は川内原発が40年を経過して、廃炉問題が出てくる10年後くらいに、このようなことがあるのかなと思う」
再稼働のような決断をまた迫られることがあるのか、と記者会見で問われた薩摩川内市の岩切秀雄市長は廃炉に言及した。
脱原発は世論も望んでいる。本紙が5月に実施した電話世論調査で、「今後も原発を活用すべき」と答えた人は10.9%にすぎなかった。
国もエネルギー基本計画に「原発依存度の可能な限りの低減」を掲げ、運転開始から40年前後になる原発は廃炉にする方針だ。
岩切市長が言うように川内原発1、2号機は、2024年から相次いで運転40年を迎える。
川内原発がこのまま再稼働したとしても、今後は廃炉に向けた備えこそ重要である。
原発の建設時期から今まで、薩摩川内市は国の多額の交付金や九電の固定資産税、寄付金などで潤った。飲食業や建設業など原発絡みの仕事をする人も多い。
このため、廃炉は地域経済に与える影響が懸念される。廃炉を見据え、地元で「新エネルギーに取り組み、関連工場を誘致したい」(岩切市長)、「自立した経済を目指すべき」(建設業)などという声が出ているのは当然だ。
廃炉をスムーズに進めるためには、原発に代わる新しい産業の育成など国や県も知恵を絞る必要がある。
経産省の原子力関連の小委員会は、九電など事業者や廃炉後の立地地域に対する支援策の議論を始めた。ただ、原発の延命につながるような安易な策は慎みたい。
原発に依存しない経済や社会づくりは、福島の事故から学んだ最大の教訓のはずである。その方向性を国民に分かりやすく示すのは国の責務だ。
しかし、地方にもできることはある。先に述べた薩摩川内市でのさまざまな声を実現させることもその一つだ。
再稼働第1号になるのなら、原発に左右されない郷土づくりの先陣こそ目指すべきではないか。