聖地といえば、一般的に神様が鎮座している場所、または生気やパワーに満ちた場所と思うが、聖地は生きた人間だけの物とは限らない。
京都市右京区嵯峨野にある化野(あだしの)念仏寺を訪れると、まず目を引くのが静寂とした境内を埋め尽くす、夥しい数の石仏や石塔だ。
ひしめき合う様に置かれたその数は8000体と言われる。
この光景が賽(さい)の河原を模して「西院(さい)の河原」と呼ばれるのも納得がいく。
では、8000もの無縁仏が、なぜ化野に集まっているのか。
それは、化野が古くから葬送地だった事が関係している。
昔は遺体を野ざらしにして風葬するのが習慣だった為、この一帯にはいつしか目も当てられない状態となった遺体が、そこかしこに転がる様になった。
その惨状に心を痛めたのが、弘法大師空海であった。
約1100年前、空海は長い年月の間に無縁仏になった人々を供養する為に、この地に寺を創建し、葬り方も風葬から土葬に変えたという。
その後、法然上人の念仏道場となり、明治中期になってから石仏や石塔が現在の配置に整えられた。
これは釈迦の説法を聞く聴衆を真似て、並べられたそうだ。
遠い昔に無縁仏となった人々がいったい誰なのか、今となっては知るよしもないが。
だが、毎年8月には無縁仏にローソクを灯す、千灯供養が行われており、多くの参詣者が無縁仏を弔っているのだ。