爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

古代人の巨石の聖地

2021-06-24 23:55:34 | 日記
岐阜県下呂市にある金山(かなやま)巨石群は「岩屋岩蔭(いわかげ)遺跡巨石群」と「東の山巨石群」そして「線刻石のある巨石群」の3ヶ所からなる巨石群なのだ。

いくつもの巨大な岩が絶妙なバランスで配置されている様子は、イギリスのストーンヘンジを思い起こさせる。

それもそのはずで、ストーンヘンジは古代の天文台だという説があるが、この金山巨石群も古代に太陽観測を行っていた場所ではないかと言われているのだ。

つまり、自然に点在している巨石ではなく、人為的に配置された可能性が高いのである。

その証拠の一つが、それぞれの巨石の残留磁化方向だ。

火山岩は冷えて固まる過程で磁化されて、永久磁石となるが、これを残留磁化という。

金山巨石群の岩石も、火山噴火の時の火砕流堆積物からできた火山岩だ。

各巨石ができた当初のままの場所に有るなら、残留磁化の方向は揃っているはずなのだが、調査の結果は各巨石の残留磁化は異なる方向を示している事がわかった。

これは何者かによって巨石が移動・配列された可能性を暗示している。

しかも、巨石の隙間から差し込む太陽光の位置によって、春分・秋分や夏至・冬至といった特定の日を観測できる仕組みになっている事も明らかにされているのだ。

金山巨石群の周辺からは、縄文時代の土器などが見つかっている。

縄文時代の日本で太陽観測所が作られ、すでに太陽暦まで存在していたという事なのだろうか。

謎の研究のため、調査は現在も続いているようだ。




国の始まり

2021-06-24 11:06:00 | 日記
これまで日本神話は『古事記』上・中・下3巻のうちの上巻と、『日本書紀』30巻のうちの1・2巻に記された神代の物語、および『古事記』中巻の初めと『日本書紀』3巻に記された神武天皇の建国の物語である。

その他、出雲(現島根県東部)、日向(現宮崎県)などの各地の『風土記』の部分や『古語拾遺』に記録されたものなども含まれる。

だが、ここで確認しておかなければならない事は『古事記』や『日本書紀』の記述は6~7世紀に国家を統一した大和朝廷〔天照大神(あまてらすおおみかみ)を中心とする天津神(あまつかみ)〕の神聖にして偉大な正当性を地方権力〔大国主神(おおくにぬしのかみ)を中心とする国津神(くにつかみ)〕に主張する為の「正しい歴史」として編纂されたものであることだ。

これまで見てきた他国の神話とは異なる建国神話であり、国家の主導によって編纂が行われた、相当に政治色の強いもので有ると言える。

なかでも『日本書紀』にはその傾向が強く表れている。

それに比べ『古事記』の神話世界は、物語性の強い「八岐大蛇退治」や「因幡の白兎」なども載せられていて、かなり馴染みやすい物となっている。

『古事記』は天武天皇(在位673~686年)が、舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえだのあれ)にこれまでの皇室の系譜や神話などを暗記させたものだ。

さらに元明天皇(在位710~715年)の時代に官人・大安万侶(おおのやすまろ)によって撰録され、712年に天皇に献上されたのである。

また『日本書紀』も同様に天武天皇の発案と見られ、その編纂も『古事記』とほぼ同時期に行われたものと思われる。

こちらは中国の歴史書を強く意識したものの様であり、天武天皇の皇子・舎人親王によって編纂され、720年に完成した。

『古事記』があくまで日本最初の歴史書であるのに対し、こちらは日本最初の勅撰の歴史書、すなわち「正史」である。

また『風土記』も元明天皇の時代に各地方で記録されたものだが、完本は『出雲風土記』のみで、他の地方のものは断片的に残っているに過ぎない。

なお『日本書紀』は『古事記』と神話的な根幹の部分に大きな違いはない。

しかし『古事記』とは異なり、本文のほかに一書と異説も併記されていることがある。

さらに『風土記』にはその地方特有の神々も見られるし、『記紀』に表れる有名な物語がまったく載っていないこともある。

807年に成立したとされる『古語拾遺』にもその傾向がある。

すなわち『記紀』の神話だけが日本神話ではないのだ。

それらの事も頭に入れておけば、より一層神話世界を楽しむ事が出来るだろう。


       
 

  
   
   


見ると目がつぶれるご神体

2021-06-24 03:53:10 | 日記
福岡県東峰村に有る岩屋神社は、6世紀に建てられた古い神社だ。

近くには山岳修行の霊場として知られる英彦山があるが、岩屋神社もその修行場の一つだった。

神社の一帯には火山活動とその後の風化によって作られた奇岩が並んでいて、独特の雰囲気を漂わせている。

これほど険しい岩場での修行は、かなり厳しいものだったろうと、想像させる厳粛な風景だ。

そんな岩屋神社のご神体は大きな岩である。

言い伝えによれば、西暦547年に空から光輝く大きなものが降ってきたという。

これを祀る為に社殿を造ったのが神社の興りだという。

このご神体は「宝珠石」と名付けられた。

宝珠とは仏教用語で、どんな願いも叶う不思議な宝石という意味だ。

古くから重要視されていた様で、鎌倉時代の文献には英彦山へ修行に行く者は、必ず宝珠石に祈らなければならないと記されているほどだ。

しかし、その正体は謎に包まれている。

今まで誰も実物を見たことがないという禁断の石なのだ。

なぜなら、宝珠石は決して見てはならず、そのタブーを犯した者は目がつぶれてしまうと言われているからだ。

だから、宝珠石は常に薦(こも)で覆われているのである。

閏(うるう)年には薦を取り替える「薦替えの儀」が行われるのだが、この時も人々は宝珠石を目にする事はない。

神事にしばしば用いられる常緑樹の榊をくわえ、目隠しをした状態で作業を行うからだ。

昔は闇の中で作業が行われたらしい。

ここまで徹底した掟が守られていると、言い伝えも妙にリアリティが増す様である。