中学校の校長室に、よく生徒の心得が書かれている。
一つ、自分の考えをしっかり持とう。
二つ、自分の考えを、うまく発表出来る様にしよう。
今の中学生は、実にうまくしゃべる。
私達の時代の中学生は、一般に人前ではそんなに上手く話せず、殆どがもじもじしていた。
自分の考えなど、あまり持っていなかった。
小学生や中学生が、自分の考えを強く持って、ハキハキと明確に発表する。
それはそれで結構な事である。
聞いてみれば、なかなか立派な意見を言うし、拍手も送ってあげたい。
しかし、彼等の考えにはまったく体験的な裏付けがない場合多い。
その考えが、現実的なものかどうか。
また、本当に自分の考えかどうかの自省が、まったく感じられない。
ただ聞きかじった物をまとめて、それを自分の「考え」と錯覚し、その通りに行かないと、プッツンする。
口先ばかりで、上手い事を言わせ様とする教育に、どれだけの価値が有ると言うのか。
「巧言令色、鮮(すくな)いかな仁」は、孔子の名言である。
巧言令色とは、人を上手くだます様な、ずる賢い発言。
とんでもない悪い事をしているのに、いかにも人の為になっている様な、見せかけだけの発言。
人を偽りあざむく発言をする者は、人間一人ひとりが、宇宙と一つの生命を持った、いかに素晴らしい存在かを知らない。
人と人とが出会うくらい、不思議な事はない。
いつ、誰と何処で出会うか。
そして、人は出会った全ての人と、交際をしている訳でもない。
人と人とが結び付く時、一番大切なのは言葉なのである。
初めて交わした言葉一つで、親しい友人となったり、ほとんど見知らぬ他人となったするからだ。