孔子の弟子に、季文子(りぶんし)という人がいた。
彼は幼い頃から学問に励み、沢山の知識を頭の中に詰め込んでいた。
彼は魯の国の家老(大勢の武士達をまとめる役)にまでなった。
そして、何か事件が発生すると、その解決の為に、自分が得た歴史や経済や哲学の学問を紐解いて、その才知を振り絞り、熟慮に熟慮を重ねた。
だが、なかなかうまく事件を解決する事が出来なかった。
季文子の周りにいた家老や重役が、不思議に思った。
「あんなに学識があり、事柄を細かく深く分析し、整理してから行動しているのに、どうして事件がなかなか上手く解決しないで、行き詰まってしまうのだろうか」…と。
李文子本人も、実はその事にひどく悩み、ある日孔子にこう質問した。
「私は常に『三たび思いて而(しか)る後に行』なっているのに…いや、三たびどころか、五たびも十たびも考え直し、練り直してから事を行っているのですが、なかなか思う様に事が運ばず、充実した結果が出てこないのです。なぜでしょうか」。
孔子は答えた。
「再びせば斯れ可なり」…と。
きみは考えすぎなのだ。
二度くらい考え直せば、けっこうだね。
あまり考え直していると、細かいところだけ神経が働いて、ものを大局的に捉える事が出来なくなって、現実的でない事をするから、事がうまく収まらないのだよ…。
あれこれと考えすぎているうちに、心配ばかり膨らんで、精神力が萎えてくるものだ。
頭ばかり使っていると、決断力がなくなる。実戦力も落ちてくる。
だんだん厳しい現実と、立ち向かっていく勇気さえ失ってしまう。
ことわざに「下手の考え休むに似たり」がある。
長い間考えるというのは、とかく時間の浪費で、何の効果もない。
まず、一歩思いきって踏み出す事だと。