無差別の殺人、肉親殺し等の報道を見ていると、殆どが「えっ、あんなに真面目な人が?」「あんなに大人しい人が?」と、近所の人や友人がビックリしたと言う発言が多い。
真面目で大人しく、礼儀正しい人が、突然狂暴になってしまうのは、その真面目さの中に、大人しさの中に、礼儀正しさの中に、人を敬愛する心が無かったからなのだ。
彼らは生命の尊さなど、どうでも良かったのだ。
ただ、あまり口さえきかなければ、周りの人は、真面目で大人しいと思ってくれるから…。
頭さえ黙って下げていれば、礼儀正しい人だと言って、信用してくれるから…。
礼の外形はとっていたが、人を慈しむ「仁」の中身は何も無かった。
「礼をなして、敬せず」
今日に行われている礼の作法は、ご機嫌とりの形式だけに、終わっていないか。
礼にとってもっとも大事な事は、他人の生命を尊重する点にある。
カエルは虫を食べ、ヘビはそのカエルを食べる。
あらゆる動物は、自分の命を維持する為に、他の沢山の生物を食べる。
人の夕方の食卓にも、魚がある、豚がある、アサリがある。
そして、トマトも大根にも生命がある。
ことによると、人間が一番多くの生命を毎日三食頂いているのではないか。
人の体が、他の沢山の生命に依って養なわれている事を知っているのは、人間だけである。
その事を食事の度に感じていれば、絶対に突然狂暴になったりしない。