6/24四谷アウトブレイクにて松永天馬×川本真琴大盛況にて幕を閉じました
本当に本当に夢のような1日で、観にきていただいた川本真琴さんのファン、松永天馬さんのファン、更に いまみちともたか さんのファンの方々にも特別な1日になったかと思います。
実は僕にとってもめちゃくちゃ大事な1日でして、
ご存知の方もいらっしゃる方もいるかと思いますが、川本真琴さんの大大大ファンなんですwww
もう、いや、マジでこの人がいなかったらギターを生業にしていこう!とか思わなかったと思います。
それには理由があります。
そのお話を今回長文になりますがみなさんと共有させて頂きたいと思います。
題して
でわ、お楽しみください......。
今となっては遥か昔の1996年の秋頃、家族でテレビを観てたらオリコンヒットチャートランキング的なモノがやっていたんだ。それをボンヤリ観ていたらある女性アーティストがめちゃくちゃ気になった。
その女性アーティストが川本真琴さんでした。
まさに思春期を切り取ったような歌詞と中性的な美少女といった具合の風貌に物凄いショックを受けました。
(これはヤバイ...!)
それから夢中になって追っかけました。雑誌に出てれば雑誌を買い、新譜は必ずチェック、川本真琴さんの最初のツアーの早退ツアー、2回目のツアーの恋してるツアーもお金を貯めて行きました。
そしてファンクラブにも入会し、ファングッズに悦に浸り
桜
という、シングルが1998年に発売されます。僕は高校一年生になってました。
そして、渋谷公会堂で行われた川本真琴さんのライブを観た時、、
ぜッッッッッたいこの人の後ろでギターを弾くんだ!絶対にプロギタリストになるんだ!
と固く誓った訳です。
それから数日後....
ある日学校から下校して非常に疲れていて部屋で寝てました。(ちなみにこれが僕の実家の僕の部屋です。)
すぅ〜.....っと夢の中に落ちていくと、夢の中で道に迷ってしまい迷子になってしまいました。
すると、街の雑踏の中からひょっこり川本真琴さんが現れたのです。
多分、当時トチ狂った様にVHSで発売されていた「忘れそうだった」を観ていたからだと思われます笑
話しを戻すと、街の雑踏から現れた川本真琴さんは、僕に、『ウチにおいでよー♪』と僕の2、3歩先を歩いて家に連れて行ってくれました。
その家はこんな平屋でした
そして、軒先で花火をしたり
ギター弾けます!
と川本真琴さんに言ったら
じゃあ一緒に曲を作ろう!
となり作曲したり.....夢の様な夢でした(ヘンな日本語w)
で、日が落ちてきて、川本真琴さんに、
そろそろ帰った方が良いよ♪
と言われ後ろ髪を、引かれる想いになり、川本さんに、
またココに来ても良いですか⁉️
と勇気を出して言ったところ
いつでも遊びに来なよ〜!
と笑顔で返してくれたのです。
嬉しくて川本さんに、
そしたらココに住所書いてください!コレを地図にしてまた来ます!
と言ってポケットに入っていたお昼に買い物した近所のサンクスのレシートを川本さんに差し出したのです。
レシートの裏にさらさら〜っと書いてくれて、
さっ、帰って練習しな^ ^
と言ってレシートを僕に差し出してそのレシートをポケットにしまって川本さんの家を後にしたのです。
テクテク歩いて行く道すがらだんだん辺りは白くなっていき夢が終わったのです。
現実の世界は強い夏の日光が部屋を照らし外では街路樹の濃い緑が揺れて部屋の様子は夢の前と全く変わらずただそこにあったのでした。
僕は初め.....今さっき観た夢が夢だと気づかなくて....
もう、それは本当に川本真琴さんの家にお邪魔して川本真琴さんと曲を作った!
という達成感に満たされてました、、、いや、満たされたかったんだと思います。
でも、、、でも、だんだん気づくんですよw
それが夢だった事に。
でも、信じたくないんですよね、だって、
夢の中と同じ格好をしてたんだから笑
で、僕は思ったんです。
(もし、夢じゃなかったらポケットに住所が書いてあるレシートがあるハズだ....と。)
で、ポケットに手を突っ込んだらあったんですよレシートが!
急いで取り出して恐る恐るレシートの裏を見ると.......
なんにも書いてなかったんです。
当たり前ですよね、そりゃそうだ。
そんな奇跡が起きるなんて大団円はないんですよね。
で、決めたんです。
川本真琴さんに会ったらこの話をしてレシートにサインしてもらおうと❗️
で、そのレシートをサイフにそっとしまったんですね〜。
で、そこから猛練習の始まりですよ。
まずはいつでも川本真琴さん呼ばれても良いように川本真琴さんの曲を全部弾ける様にしました。
出る新譜 出る新譜みんなコピーしました。
そして、デビューして同じ目線に立ちたい!と思ってバンドを頑張り20歳でVictorからバンド G★Bシェルターでメジャーデビューも出来ました。
そして時は経ち、アニソンのRECやシンガーソングライターのバックで弾くお仕事、はたまたギターを教えるお仕事、バンドのプロデュース...などなど色んなお仕事を頂けるようになり、ご縁があり2017年の4月から松永天馬と自殺者達に参加させて頂き
とうとう2018年6月24日日曜日にこの日を迎える事が、出来たんです!
もう、当日は夢の夢のまた夢の様な......神さまの様な人と対バン、そして川本真琴さんの後ろで弾ける夢が叶うんだ!という実感が終始溢れてまして、けい様や天さんに
絶対話しかけるんだよ!
と背中を押されるも、本人を目の前にすると全く話せず笑
なんだかモヤモヤした状態で本番を迎えたのでした。
アンコールの
愛の才能
のイントロが始まり歌が始まった瞬間にもうお子様に戻っちゃいましたよね笑
気づいたら一緒に歌ってました。
本番終わり打ち上げになり、勢いをつけて川本真琴さんに話しかけました!
すいません!サイン頂いてもいいですか⁉️
川本真琴さんは夢の中の川本真琴さんと同じように
さらさら〜
っと、書いてくれました。
そして、天馬さん と けい様が
コウケイくん、あのレシートの話しをしなよ〜
とパスをくれて川本真琴本人にこの話しをする事が、出来たんです!
若干引いてる様子ありましたがwもうそんな事は良いんです、伝えられた事だけで充分なんです。
そして、その肝心のレシート
なんですが、、、、29歳の頃にボロボロになって無くなってしまったんですね。
そりゃそうですよね、16歳から29歳まで、ずっとサイフにしまっていてココロが折れそうな時にボロボロのなんにも書いてないレシート眺めてまたしまって...みたいな感じだったんすもの。
そして、コウケイ君がそんなにファンなら...という事でスタッフの方々の計らいで写真を撮る事が出来ました!
もう、天さんにも感謝ですし、全ての方々に感謝でしかないです!
この話しはしっかり大団円があったんですね(^^)
2018年の6月24日の四谷アウトブレイクでのあの瞬間、あの夜の出来事はきっと今後の僕の人生のメドとして、一生光り続けると想います。
本当にありがとうございました!
次また川本真琴さんの後ろで弾かせて頂けるように精進します!押忍!
fin.
本当に本当に夢のような1日で、観にきていただいた川本真琴さんのファン、松永天馬さんのファン、更に いまみちともたか さんのファンの方々にも特別な1日になったかと思います。
実は僕にとってもめちゃくちゃ大事な1日でして、
ご存知の方もいらっしゃる方もいるかと思いますが、川本真琴さんの大大大ファンなんですwww
もう、いや、マジでこの人がいなかったらギターを生業にしていこう!とか思わなかったと思います。
それには理由があります。
そのお話を今回長文になりますがみなさんと共有させて頂きたいと思います。
題して
レシート事件
でわ、お楽しみください......。
今となっては遥か昔の1996年の秋頃、家族でテレビを観てたらオリコンヒットチャートランキング的なモノがやっていたんだ。それをボンヤリ観ていたらある女性アーティストがめちゃくちゃ気になった。
その女性アーティストが川本真琴さんでした。
まさに思春期を切り取ったような歌詞と中性的な美少女といった具合の風貌に物凄いショックを受けました。
(これはヤバイ...!)
それから夢中になって追っかけました。雑誌に出てれば雑誌を買い、新譜は必ずチェック、川本真琴さんの最初のツアーの早退ツアー、2回目のツアーの恋してるツアーもお金を貯めて行きました。
そしてファンクラブにも入会し、ファングッズに悦に浸り
桜
という、シングルが1998年に発売されます。僕は高校一年生になってました。
そして、渋谷公会堂で行われた川本真琴さんのライブを観た時、、
ぜッッッッッたいこの人の後ろでギターを弾くんだ!絶対にプロギタリストになるんだ!
と固く誓った訳です。
それから数日後....
ある日学校から下校して非常に疲れていて部屋で寝てました。(ちなみにこれが僕の実家の僕の部屋です。)
すぅ〜.....っと夢の中に落ちていくと、夢の中で道に迷ってしまい迷子になってしまいました。
すると、街の雑踏の中からひょっこり川本真琴さんが現れたのです。
多分、当時トチ狂った様にVHSで発売されていた「忘れそうだった」を観ていたからだと思われます笑
話しを戻すと、街の雑踏から現れた川本真琴さんは、僕に、『ウチにおいでよー♪』と僕の2、3歩先を歩いて家に連れて行ってくれました。
その家はこんな平屋でした
そして、軒先で花火をしたり
ギター弾けます!
と川本真琴さんに言ったら
じゃあ一緒に曲を作ろう!
となり作曲したり.....夢の様な夢でした(ヘンな日本語w)
で、日が落ちてきて、川本真琴さんに、
そろそろ帰った方が良いよ♪
と言われ後ろ髪を、引かれる想いになり、川本さんに、
またココに来ても良いですか⁉️
と勇気を出して言ったところ
いつでも遊びに来なよ〜!
と笑顔で返してくれたのです。
嬉しくて川本さんに、
そしたらココに住所書いてください!コレを地図にしてまた来ます!
と言ってポケットに入っていたお昼に買い物した近所のサンクスのレシートを川本さんに差し出したのです。
レシートの裏にさらさら〜っと書いてくれて、
さっ、帰って練習しな^ ^
と言ってレシートを僕に差し出してそのレシートをポケットにしまって川本さんの家を後にしたのです。
テクテク歩いて行く道すがらだんだん辺りは白くなっていき夢が終わったのです。
現実の世界は強い夏の日光が部屋を照らし外では街路樹の濃い緑が揺れて部屋の様子は夢の前と全く変わらずただそこにあったのでした。
僕は初め.....今さっき観た夢が夢だと気づかなくて....
もう、それは本当に川本真琴さんの家にお邪魔して川本真琴さんと曲を作った!
という達成感に満たされてました、、、いや、満たされたかったんだと思います。
でも、、、でも、だんだん気づくんですよw
それが夢だった事に。
でも、信じたくないんですよね、だって、
夢の中と同じ格好をしてたんだから笑
で、僕は思ったんです。
(もし、夢じゃなかったらポケットに住所が書いてあるレシートがあるハズだ....と。)
で、ポケットに手を突っ込んだらあったんですよレシートが!
急いで取り出して恐る恐るレシートの裏を見ると.......
なんにも書いてなかったんです。
当たり前ですよね、そりゃそうだ。
そんな奇跡が起きるなんて大団円はないんですよね。
で、決めたんです。
川本真琴さんに会ったらこの話をしてレシートにサインしてもらおうと❗️
で、そのレシートをサイフにそっとしまったんですね〜。
で、そこから猛練習の始まりですよ。
まずはいつでも川本真琴さん呼ばれても良いように川本真琴さんの曲を全部弾ける様にしました。
出る新譜 出る新譜みんなコピーしました。
そして、デビューして同じ目線に立ちたい!と思ってバンドを頑張り20歳でVictorからバンド G★Bシェルターでメジャーデビューも出来ました。
そして時は経ち、アニソンのRECやシンガーソングライターのバックで弾くお仕事、はたまたギターを教えるお仕事、バンドのプロデュース...などなど色んなお仕事を頂けるようになり、ご縁があり2017年の4月から松永天馬と自殺者達に参加させて頂き
とうとう2018年6月24日日曜日にこの日を迎える事が、出来たんです!
もう、当日は夢の夢のまた夢の様な......神さまの様な人と対バン、そして川本真琴さんの後ろで弾ける夢が叶うんだ!という実感が終始溢れてまして、けい様や天さんに
絶対話しかけるんだよ!
と背中を押されるも、本人を目の前にすると全く話せず笑
なんだかモヤモヤした状態で本番を迎えたのでした。
アンコールの
愛の才能
のイントロが始まり歌が始まった瞬間にもうお子様に戻っちゃいましたよね笑
気づいたら一緒に歌ってました。
本番終わり打ち上げになり、勢いをつけて川本真琴さんに話しかけました!
すいません!サイン頂いてもいいですか⁉️
川本真琴さんは夢の中の川本真琴さんと同じように
さらさら〜
っと、書いてくれました。
そして、天馬さん と けい様が
コウケイくん、あのレシートの話しをしなよ〜
とパスをくれて川本真琴本人にこの話しをする事が、出来たんです!
若干引いてる様子ありましたがwもうそんな事は良いんです、伝えられた事だけで充分なんです。
そして、その肝心のレシート
なんですが、、、、29歳の頃にボロボロになって無くなってしまったんですね。
そりゃそうですよね、16歳から29歳まで、ずっとサイフにしまっていてココロが折れそうな時にボロボロのなんにも書いてないレシート眺めてまたしまって...みたいな感じだったんすもの。
そして、コウケイ君がそんなにファンなら...という事でスタッフの方々の計らいで写真を撮る事が出来ました!
もう、天さんにも感謝ですし、全ての方々に感謝でしかないです!
この話しはしっかり大団円があったんですね(^^)
2018年の6月24日の四谷アウトブレイクでのあの瞬間、あの夜の出来事はきっと今後の僕の人生のメドとして、一生光り続けると想います。
本当にありがとうございました!
次また川本真琴さんの後ろで弾かせて頂けるように精進します!押忍!
fin.