さて、昨日は、神への呼びかけの重要性について書いたつもりですが、「ベネディクト16世教皇様」が、苦しんだ、カトリック教会の不正義、つまり、年長者が、若者に苦しみを与えて、無意味ないじめを行ったことの反省のお役に立てたらと思います。
昨日の私のお話の「竜巻も同時に現れ、神に直接対話した」のはたぶん、小学校3年生でした。
私は、0歳にキリスト様に見つめられてすごしたことは前に書きましたが、それで、5歳ごろまでは、よくカトリック教会を訪ねましたが、今の私の教会には、親族などおらず、やはり、「泥棒」「馬の骨」呼ばわりで、洗礼には至り・・・むしろ洗礼にまで至ったと記憶しているのですが、・・・でした。・・・もしかしたら至っていた可能性が高いのですが、・・・実際に東京のイグナチオ教会でミサ奉仕もしました。早くに亡くなった伯父にお世話になりました。
その伯父は、私が苦しんでいたために、つまり、USAで取りざたされた、差別的な環境と同じです。
苦しみましたが、本来私の言葉には、神から与えられた力があって、混乱した私の言葉によって伯父を混乱させたであろうと思います。
それで自動車事故で早くに亡くなったと思います。
ですから、良いすばらしい思い出も多いのですが、今の、社会的にもちからある経験をした私には、割合に容易くクリアできる困難も、子供の頃は大変だったことを証ししておきます。
しかし、それらの混乱は、新約聖書に、私達の問題を「古い蔵から新しいものと古いものを自由に取り出せる管理人のようだ」とイエス様がお話しているとおり、私も0歳まで遡って、かなり良く人間についてわかります。
子供の時には無理でしたが、学歴も整って、社会での高位の仕事もこなして、初めて様々な意味がわかって、しかも実際に自分が、仕事をしたので他人には負けません。
それでも公式的には、1989年の復活徹夜祭からになります。10歳代、に関しては、教会を怖いと思っていたからです。これは重要です。そして、20歳代に聖書を覚え、プロテスタントも知りました。
ところですばらしく上位の仕事をこなしたのに、見合った収入にはなっていなかったと思いますから、USA旅行が出来ませんが。
そのような経験は本当に大事なことでした。
さて、私も頑張って、さらに社会的に重要な問題をたやすく解決するよう、頑張って勉強し、仕事もし、しっかりとした結婚生活もしますのでどうぞ、USA訪問を、そして、UK訪問を待っていてください。もちろん、困難を乗り越えて適切な時に結婚、結婚式をし、同居します。
必ずお会いします。それではそろそろ寝ようと思います。
では、世界中に、神様の恵みと祝福と平安とが相応しい皆様と共にありますように心からお祈りいたします。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.