日ごろからお世話になっている元公立学校校長の先生から、面白い資料を見せていただきました。
集団疎開中の献立表でした。
ちなみに、昭和20年8月10日、終戦直前のメニューを見ると、
朝ごはん 雑炊(豆、胡瓜、茄子)
昼ごはん 豆つぶし、胡瓜
晩御飯 雑炊(豆、胡瓜、茄子、人参)
とあります。
ほかの日には、おやつとして、エデック、というものが散見します。肝油とは違う、当時の栄養剤のようなものだそうです。肝油は別にあったそうです。トマトがおやつだったときもあるようです。
8月15日を過ぎても、すぐに親元に帰る(親元、が無事であることが前提ですが)わけではなく、今回見せていただいた献立は、8月22日まで続きます。
私自身、食べることが大好きなので、こういう食料に関する資料を見ると、何とも言えない気持ちになります。
以前、紹介したかと思いますが、昭和2年のラジオ料理番組のテキストなんかは、とてもハイカラの和洋中の料理が盛りだくさんでした。
それからわずか18年。
生活の質を落としていくというのは、大変だったと思います。
今、おいしい食べ物を食べられていることに感謝したいと思います。
うちに帰って子どもたちにも見せてやろう。
いつも気にかけてくださって、面白い資料を紹介していただけることがとてもうれしいです。
ありがとうございます。
集団疎開中の献立表でした。
ちなみに、昭和20年8月10日、終戦直前のメニューを見ると、
朝ごはん 雑炊(豆、胡瓜、茄子)
昼ごはん 豆つぶし、胡瓜
晩御飯 雑炊(豆、胡瓜、茄子、人参)
とあります。
ほかの日には、おやつとして、エデック、というものが散見します。肝油とは違う、当時の栄養剤のようなものだそうです。肝油は別にあったそうです。トマトがおやつだったときもあるようです。
8月15日を過ぎても、すぐに親元に帰る(親元、が無事であることが前提ですが)わけではなく、今回見せていただいた献立は、8月22日まで続きます。
私自身、食べることが大好きなので、こういう食料に関する資料を見ると、何とも言えない気持ちになります。
以前、紹介したかと思いますが、昭和2年のラジオ料理番組のテキストなんかは、とてもハイカラの和洋中の料理が盛りだくさんでした。
それからわずか18年。
生活の質を落としていくというのは、大変だったと思います。
今、おいしい食べ物を食べられていることに感謝したいと思います。
うちに帰って子どもたちにも見せてやろう。
いつも気にかけてくださって、面白い資料を紹介していただけることがとてもうれしいです。
ありがとうございます。