セイショウ坊のブログ

埼玉県飯能(はんのう)市 真言宗智山派・円泉寺住職です。
円泉寺ホームページにもブログがございます。

渋沢栄一の六男・田中巳六養母ふく墓

2022-02-20 07:59:50 | 他の寺社
私の住む隣の地区に、渋沢栄一六男・田中巳六養母・田中ふく墓があります。

田中巳六は大河ドラマで知られる渋沢栄一の見立養子・渋沢平九郎とは兄弟になります。実際には平九郎は叔父です。

渋沢平九郎ブログlink







ふくは幕末、高麗郡小久保村の青田家に生まれ、長じて浅野セメント・清水建設両社重役、田中忠義(自宅・東京都京橋区松屋町1丁目)と結婚するも子に恵まれず、明治近代化の元勲青淵翁こと渋沢栄一の六男巳六を養子に迎える。

ふくは大正5年1月28日、66歳で黄泉の国の旅にたったが、巳六は養母ふくのために「福昌院徳室壽榮大姉」の高位法名を捧げ、生家の墓地に手厚く葬った。

地元では村長をはじめとする多くの方々が、亡きふくを迎えたが、初めて見る霊柩車に人々大いに驚愕せしと伝う。



現在の埼玉県飯能市小久保になります。
ここに葬られたのは、ふくの生前からの希望だったのかも知れません。
田中家の墓には、ふくの供養塔を建立したのでしょうか。


20年以上前に散歩をしながら、偶然見つけた場所だったと思います。

今回は車でした。
前の通りが車一台しか通れません。少し広い場所に出て駐めさせていただきました。


飯能市の資料PDFリンク




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12 コメント

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Unknown (Unknown)
2022-04-16 13:18:47
田中ふくの紹介など写真はいいと思いますが、2枚目の撮影は中に入っての撮影ですよね?
田中ふくの墓の左側は先祖の墓もがあり、いい気持ちがしません。
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Unknown (セイショウ坊)
2022-04-17 08:00:24
中に入ったのは、墓前で短いお経を唱えたときだけです。
写真は外柵外よりズームにして、更にトリミングしています。
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Unknown (屋号酒屋七代目)
2022-04-17 08:51:44
巳六の従兄弟の祖父から、子供の頃から、いろいろと、聴いてきたけど、解釈の違いで、良い様に記されてる💢我が家の言伝えとは違うんだよネ‼️
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Unknown (セイショウ坊)
2022-04-17 14:45:43
青田家の親戚は、当寺祭礼の世話人や植木屋の手伝いに来ていました。
何かの折りに他の親戚からほんの少し「田中ふく」の話しを聞いたことがあります。
案内板以上のことは分かりません。
他の寺の縁起のように、実際の歴史と異なる飾りが多いのは多々在るでしょう。
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Unknown (屋号酒屋七代目)
2022-04-17 21:01:22
あ〜!我が家の親戚ではないですネ!同じ青田でも‼️家紋が違う‼️造園屋さんの親戚の青田さんの事ですネ!亡くなった!宣夫さん
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Unknown (セイショウ坊)
2022-04-18 07:50:23
家紋が違うのですね。
小久保と下加治には青田姓が多いのですが、何かいわれがあるのでしょうか。
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Unknown (屋号酒屋七代目)
2022-04-18 18:12:09
大元は、小学校の隣の屋号が、確か、みどり屋の青田さんで、昔は、違う場所に、居を構えていたらしいです。そこから、大きく3軒分家して、東んち、にしんち、あと、1軒は、忘れましたm(_ _)mまた分家の中から、分家して、我が家屋号酒屋が有ります。家紋が、丸に沢潟です。我が家の分家は、下加治の1軒と、都内に2軒有るだけです。ふくさんを輩出した。我が家の分家は、それだけなので、親戚と、言えるのは、近くだと、下加治の分家だけですネ!ちなみに、我が家のお墓の向かって、左側は、30数年前まで、下加治の分家のお墓が、有りました。ですので、我が家の人間は、勝手に、左側に他人が入るのを、極端に嫌います。
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Unknown (セイショウ坊)
2022-04-19 07:57:39
気分を害すことになり、申し訳ありませんでした。
それにもかかわらず、質問に答えて頂き、ありがしうございます。
私の大先輩の友人に、渋沢栄一の遠縁の方がいます。私と同じ姓です。
かなり以前、その方が私とは遠縁になるのではないかと話していたそうです。
姓の由来は、当姓藤原氏の下級貴族が東下りをして、土着したのが埼玉のようです。出所の分からない資料ですので、鵜呑みには出来ません。
まして同じ姓でも、必ずしも同族とは限りません。
それ以来深谷の渋沢栄一邸、渋沢平九郎自刃の地など訪れています。
ありがとうございました。
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Unknown (屋号酒屋七代目)
2022-04-19 22:02:23
いえいえ、事情を知って頂ければ、結構です。わたくし的には、皆様ウェルカムですので(*^^*)ちなみに、我が家お墓内を、もし良かったら、また、見学して見て下さい、青田宣夫さんと、知り合いで有れば、知っているかも知れませんが、清水の次郎長にも関係が有るのです。墓石に、身内中と、刻んで有る墓石は、ふくさんの父親のもので、武蔵の国の賭場を、影なが、開いていたらしく、確か、任侠大百科とかっていう、サイトで、名前が有りました。40年位前には、よく、歴史小説家が、良く訪れて来て、この家を、調べると、清水の次郎長にも、渋沢栄一にも、たどり着くと、言っていました。
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Unknown (セイショウ坊)
2022-04-20 07:43:39
ありがとうございます。
20年ほど前に当寺檀家かもしれない渡世人を知らないかと電話がありました。
当寺の過去帳には見つかりませんでした。
たしかに当時のネットには同じ名がありましたが、名前のみでした。
いまは名前も思い出せません。
宣夫さんには、古い話を聞いたことがありません。
花粉症の心配が無くなりましたら、寄らせて頂きます。
しかし他の家ですが、同じような方がいたと聞いたことがあります。
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