今夜は新国立劇場の舞台『負傷者16人』を観た。
舞台は1990年代のオランダ・アムステルダム。パン屋を営む中年ハンスは、馴染みの娼婦ソーニャのところから帰るところで、刺されてのたうち回る青年を見つけ、入院費を出してまで彼を保護した。はじめはそんなハンスに反発していた青年は、彼の優しさに触れ少しずつ心を開いていく。
ハンスの店で働くことになった青年マフムードは、店に出入りするダンサーのノラに恋をし、2人の間には新しい命が宿る。少しずつしあわせに近づく彼らが、幕間を挟んで一転、何かに吸い込まれていくかのようにもがき、苦しんでいく。
1993年、イスラエルのラビン首相とパレスチナ・PLOのアラファト議長が歴史的な握手を交わした。その光景に中東和平が現実に近づいたと思ったのもつかの間、その2年後にラビン首相は和平に反対するユダヤ人青年に暗殺された。あれから20年が経とうとしているが、事態は一向に変わらず、僕自身もその地への関心を無くしていた。
益岡徹さんは、ハンスの優しさとその裏に隠された苦悩を表情豊かに演じられていた。井上芳雄さんは、青年マフムードの意固地さと素直さを力いっぱい表現していた。ミュージカル畑というイメージを持っている(見たことはないけど…)が、癖を感じることはなかった。ソーニャを演じるあめくみちこさんがハンスを優しく包むシーンは、娼婦の打算と自分自身の心(たぶん)との合間をやわらかく表現していた。ノラを演じる東風万智子さんは、マフムードに対する複雑な思いを、心の揺れを、やはり素直に演じられていた。そして、もう一人の登場人物を演じる粟野史浩さんが登場し舞台が一変すると、その存在感を強く感じた。
そんな彼らに惜しみない拍手を送った。少し目に涙を浮かべながら…
物語の結末はああしかなかったと思うが、だからこそ悲しかった。だが、そこに微かな希望が見えた。もしかしたら100年後も変わらないのではとも思えるが、だからと言って希望を見失ってはいけない。こんな世の中だけど、生まれてもいいことはあまりないかもしれないけど、だったら、仲間と共に希望を作っていってほしい。今の世代の身勝手かもしれないが、そう思う。そう思いながら、ハンスが迎えるマフムードとノラとの間の子どもの誕生の姿を想像してみた。
舞台は1990年代のオランダ・アムステルダム。パン屋を営む中年ハンスは、馴染みの娼婦ソーニャのところから帰るところで、刺されてのたうち回る青年を見つけ、入院費を出してまで彼を保護した。はじめはそんなハンスに反発していた青年は、彼の優しさに触れ少しずつ心を開いていく。
ハンスの店で働くことになった青年マフムードは、店に出入りするダンサーのノラに恋をし、2人の間には新しい命が宿る。少しずつしあわせに近づく彼らが、幕間を挟んで一転、何かに吸い込まれていくかのようにもがき、苦しんでいく。
1993年、イスラエルのラビン首相とパレスチナ・PLOのアラファト議長が歴史的な握手を交わした。その光景に中東和平が現実に近づいたと思ったのもつかの間、その2年後にラビン首相は和平に反対するユダヤ人青年に暗殺された。あれから20年が経とうとしているが、事態は一向に変わらず、僕自身もその地への関心を無くしていた。
益岡徹さんは、ハンスの優しさとその裏に隠された苦悩を表情豊かに演じられていた。井上芳雄さんは、青年マフムードの意固地さと素直さを力いっぱい表現していた。ミュージカル畑というイメージを持っている(見たことはないけど…)が、癖を感じることはなかった。ソーニャを演じるあめくみちこさんがハンスを優しく包むシーンは、娼婦の打算と自分自身の心(たぶん)との合間をやわらかく表現していた。ノラを演じる東風万智子さんは、マフムードに対する複雑な思いを、心の揺れを、やはり素直に演じられていた。そして、もう一人の登場人物を演じる粟野史浩さんが登場し舞台が一変すると、その存在感を強く感じた。
そんな彼らに惜しみない拍手を送った。少し目に涙を浮かべながら…
物語の結末はああしかなかったと思うが、だからこそ悲しかった。だが、そこに微かな希望が見えた。もしかしたら100年後も変わらないのではとも思えるが、だからと言って希望を見失ってはいけない。こんな世の中だけど、生まれてもいいことはあまりないかもしれないけど、だったら、仲間と共に希望を作っていってほしい。今の世代の身勝手かもしれないが、そう思う。そう思いながら、ハンスが迎えるマフムードとノラとの間の子どもの誕生の姿を想像してみた。