「ブラジリアン柔術」ってたまに聞くけど、柔道とどう違うの?
と、聞かれる事があるが、それを説明するのはややこしい。
前田光世 画像出典:ウィキペディア
史上最強と呼ぶ人もある柔道家。
明治40年に柔道使節団として、四天王の一人である富田常次郎と渡米。
この時富田はルーズベルト大統領の前で体重160キロの巨漢レスラーと
試合い、敗れたそうだ。
それを見た前田は日本に帰らず、アメリカで武者修行を始める。
身長164cmの前田。
袴姿でアメリカのダウンタウンに立ち、「自分に勝ったら$1,000贈呈」
とプラカードを掲げて挑戦者を募り、ストリートファイトや興行を行った。
そして、どんな相手にも負けなかったそうだ。
痛快な話しだ!
アメリカの後にはヨーロッパ、中南米と、異種格闘の武者修行を続ける。
そして最後にブラジルへ。 (スケールのでかい人である)
そこで前田が現地の人に教えた柔道が「ブラジリアン柔術」になった。
講道館を飛び出していたので“柔道”と名乗れず、柔術と称したらしい。
かくして、日本ではスポーツ化されていった講道館柔道が、
原形に近い姿でブラジルに保存された。
最初の渡米以降、前田は日本に一度も帰る事なくブラジルで逝去。
生涯2000戦無敗とも言われる。 すげぇ
ブラジリアン柔術は 「なんでも有り」 の過激ルールでめっぽう強い。
それこそが嘉納流柔術(柔道) の本来の姿なんだろうなぁ。
前田光世は僕が最も尊敬する人物の一人。
彼のダイナミックな生き方は、ヘタな小説よりも感動的。
偉大な先人です。
面白いと言ってもらえてHappyです!
私は柔道はもちろん、武道について全く知識が
ないので、面白く読ませてもらってマス
自分には興味が無くても、大勢の人が夢中になっているものには、
きっと何かがあるんだろうな、って僕も思います。
そして、夢中になれる物を持っている人って、魅力的ですね。
お互い、そんな大人でい続けられる様、ゆるりと頑張りましょう。
前田光世は僕が大好きな人。
まだ日本が世界に認知されていない時代に
小さな体ひとつで世界と戦った。
いつかは書こうと思っていた彼の事が書けたので、満足しました。
このくらいにしておきますね (笑)
他の読者が、急速にこのブログに興味を失っていないだろうか。。。
なんて、いいながらも。
ブラジリアンなんて初めて聞きました。
講道館がスポーツで、
嘉納流がまた違い、
ブラジルまで!
まだまだ出てきそうでんな。
またいつかでいいので、たまにこんな話も入れてくだされ。
あ、なんで興味をもったかというと、
正直、元々は全然興味なかったんだけど、
大人が長く興味を持ち続けられるものって、他者にでも面白く感じられる面があるに違いない、と思ったからです。
自分に取って合唱との出会いは中学の数学の先生。
彼は「大人ってつまんなそうに見えても、夢中になれるものを持ってる人っているんだ」と身をもって教えてくました。
私がこの歳になって続けている原点です。
分野は全然違っても、共通点あるだろうし、
実際話は面白くて、ついつい、読んでしまっています。
もちろん、ken坊さんに筆力があるからなんだけどネ。
そんなところが、興味を持った理由です。