般若心経

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2021-04-17 | Weblog

 雑 草

 暖かくなり雑草がますます勢いづいてきました。
畑を始めた当初は雑草の種が落ちるから翌年そこに芽をだすのだと思っていました。ですから一度、きれいに雑草を取り除けば翌年からは楽になるのだと草抜きに精をだしていました。この考えが大間違いであったと気づくまでに数年かかりました。もちろん、植物は種が風で飛びそのテリトリーを広げるという小学生レベルの知識は持っていました。しかし、これほどまでとは思いませんでした。抜いても、抜いても次から次へと草が伸びてきます。ときにはいい加減いやになります。
 昔、永平寺の宮崎奕保(えきほ)貫主は草取りをするときは「草を一本抜くということは、煩悩をひとつなくしていると思いなさい。草は抜いても抜いても生えてくる、抜かないと増えるだけです。煩悩と同じです」と話されていました。確かに何も考えずに草抜きをすることはできません。疲れてくると過去に出会ったいやなことなどマイナスイメージのことを思い出し、余計に心が沈んできます。草を抜きながら、これは煩悩を抜いているのだと考えると心が楽になり疲れが軽くなります。
 先日のNHK「チコちゃんに叱られる」で“なぜランニングしている人は音楽を聴いているのか”という質問がありました。音楽を聴くことにより脳が疲れを忘れるからだそうです。脳はふたつのことを同時に処理することが苦手であるため 音楽に集中すると体が疲れているということを認識しなくなるからです。
グループで話しながら登山すると、ひとりで登るときより疲れません。これも同じことかもしれません。


昨日の煩悩









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