そのスーパーの閉店時間なんですが、2時なんです。。
先日の金曜日の夜、22時をまわっていましたが、翌日から4連休ということもあり、妻と夜更かしして映画でも見ようということになりました。
ドリンクとスナックを買いにそのスーパーへ行ったのですが、客は少なかったものの当然営業しています。私は必要なものを買って家路につきましたが、、、便利な世の中にはなったけど、それは犠牲の上に成り立っていることを改めて感じました。
連休を前に浮かれて、スナック食べながら映画を見ようとしている私。その私のような客のために夜遅くまで働いている人たち。
日本は本当に便利な国で、多くの人がその便利さを享受して生活していますが、、、それと同じくらい、あるいはそれ以上に不便な生活を送っている人たちがいるんですね。
コンビニの24時間営業の是非について比較的最近議論されるようになりましたが、そろそろ限りなく便利さを追求する、求めることをやめたほうがいいんじゃないでしょうかね。
皆がある程度の不便さを受け入れたらいいだけの話でしょうね。もちろん、そういった社会での生活にはコストも今よりはかかるでしょうが、社会全体の最大公約数的な便利さ、幸せを実現するために、皆が等しくそのコストを受け入れたらいいんじゃないでしょうか?
私が数年前まで長らく暮らしていた国は(先進国です)、土日はほとんどのお店はお休みでした。(薬局とかは別です)金曜日も夕方まで。最初は戸惑いましたが、すぐに慣れました。欲しいもの、必要なものは、金曜日までに買えばいいだけ、買えなかったら月曜日まで待つ。だから、週末は静かでしたよ、街が。社会の大部分の人が、週末は家族や友人と過ごしながら、休息していました。平日の夜も家庭でそれぞれに過ごしていました。
日本に比べたら不便でしたが、社会全体で不便さを許容し、より多くの人たちがより人間的な生活を送れていたような気がします。
コロナによって、社会の在りようが変わり、経済活動も大きく変わった今、人間の生活を見直す、あるいは幸せといものを考えるいい機会かも知れません。