鶴岡八幡宮で参拝をしている時に、多くの奉納されている絵馬に目をやる。人様の願い事を覗き見る趣味はないが、ある一枚の絵馬に書かれた言葉を見て衝撃を受け、深い考えさせられた。そこには何が書かれていたか?
普通は(私ももちろんそうなのだが)いい人に巡り会えますように、いい大学(会社)に入れますように、健康でいられますように、と言うような、神様、仏様、ご先祖様に何かお願いをするような言葉が多いのが常ではないか。
私が衝撃を受けた件の絵馬には、数名の名前と、「ありがとうございます」のみ。何のお願いでもない、ただ日々生かされていることへの感謝、あるいは信仰としての神様の存在によって何かを成し遂げることができたことへの感謝なのか、いずれにしても神様へのまさに「ありがとうございます」のみが記されていた。
思えば私も子供の頃、今の我々があるのは仏様、ご先祖様のおかげであると、両親に教えられた。現状の不満ばかり目につき、それを何とかしたい、と言う気持ちは誰しもあり、それを神様、仏様にお願いしたくなるのもよく理解できる。が、今生きていることの本当の意味をより理解できるようになった時には、絵馬にはお願いだけでなく、「ありがとうございます」と、迷わず書くことができるようになるのだろうか。
神様に、娘の健やかな成長をお願いしたばかりだったわたしは、振り返って、「娘の誕生、これまでの成長、そして毎日健康に幸せに暮らさせていただきありがとうございます。」と神様にお礼を、遅ればせながら申し上げて頭を下げた。
神様、仏様、ご先祖様だけでなく、家族、友達、私に関わる全ての人たちへの感謝を考えながらの東京への帰路に着いた。