平成29年1月10日(火)、大内氏遺跡の大内氏館跡(やかたあと、龍福寺)・凌雲寺跡(りょううんじ)を訪ねる。
①大内氏館跡(龍福寺、大殿)
大内氏の居所で、政治的拠点だったところ。1551年、大内氏重臣 陶隆房の反逆によって、31代大内義隆が自刃し、大内氏は滅亡することになった。館跡に、毛利元就の長男隆元が養父大内義隆の菩提寺として、天皇の綸旨を受けて建立したのが龍福寺(りゅうふく)である。隆元は、大内氏の人質だったときに元服し、義隆の「隆」を授けられ、隆元と名乗るようになっていた。
②凌雲寺跡(吉敷中尾)
30代義興(よしおき、義隆の実父)のとき、建立され、大内 滅亡後廃寺となった。寺の惣門の遺構の石垣と義興の墓がある。(義興像は、龍福寺の資料館にあるもの)
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