もともとは、コメントでいただいた
“無戒律な宗教は、人類の道しるべとして、役にたたないのではないでしょうか?“
という質問に答える形で始めた、“信じるだけで救われる“ の記事ですが、説明し始めると、きりがなく、今回も含めると11回にもなってしまいました。 最後の方は、どちらかというと、クリスチャン向けの記事で、未信者の方には、分かりにくかったかもしれません。
けれども、全体を通して、
*キリストを信じる信仰は、人間が創った宗教ではないこと
*また、それは、人間社会を良くするためでも、人間を良くすることを目的とした信仰ではないこと
が分かっていただけたのではないでしょうか。
イエスキリストが十字架にかかって死んで下さったのは、私たちを罪の刑罰である、永遠の地獄から救うためだったのです。
しかし、頭で理解しただけでは、すべてが無駄になってしまいます。
例えば、あなたが病気だったとします。その病気を治すための薬を手に入れました。 その薬は何色で、大きさ重さはどのくらいで、どんな成分でできているのか? 体のどこで、どんな作用をして、どんな風に効いていくのか?色々と、頭で知ることはできるでしょう。 けれども知るだけでは、あなたの病気は治りません。 病気を治すためには、その薬を飲まなければならないのです。
それと同じように、イエスキリストを、十字架であなたの身代わりになって、あなたが受けるべきだった罪の罰を受けて死んで下さった救い主として、あなたの心に受け入れなければ、あなたが、どれだけキリスト教に通じていても、どれだけ聖書について知っていても、何の意味もありません。
けれども、反対に、薬について何の知識が無くても薬を飲めば病気が治るように、単純にイエスキリストを救い主として信じれば、罪が許され永遠の天国に行ける者となるのです。
ひとりでも多くの方が、イエスキリストを救い主として信じてくださいますように!
“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。“(ヨハネ 3:16 )