狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

イエスキリストは実在したか? 2

2021年01月23日 | 聖書
今回は、前回に続き、イエス•キリストが実在したことを知ることができる、もうひとりの歴史家タキトウスをご紹介します。

<タキトウス>

“タキトウスも有名な歴史家で、紀元60年頃に生まれ、120年頃に亡くなりました。 彼が晩年(115~117年)に書いた[ローマ年代記]の中に、紀元64年にあったローマ市の大火について記し、その時のクリスチャンについての情報を提供しています。

“しかし、人々のあらゆる努力、あるいは皇帝のばらまいた多大の金品、 神々へのなだめの備え物にもかかわらず、この大火は皇帝の命令によるものだという民衆の確信を払い除け、世間の騒がしさを静めることはできなかった。 そこで、このうわさを拭い去るためにネロ帝は、一般にキリスト信者と呼ばれて、そのいまわしい行為のゆえに憎悪されていた人々を犯罪者に仕立て、残虐の限りを尽くして彼らを罰したのである。 キリスト信者という名前は、キリストからきているのであるが、この人物は、テベリオ帝の治下に、行政長官ポンテオ•ピラトの手によって死刑に処せられた。 しばらくの間はその勢いをせき止められたが、やがてこの有害な迷信は、その悪の発生地であるユダヤにおいてばかりでなく、地上の四方八方からやって来るあらゆる不潔で下劣な影響をみな受け入れ、もてはやされるローマにおいてまで、再び勢力を振るい出したのである。 そこで、先ず告白した者たちを捉え、彼らの証拠事実に基づいて測り知れないほど多くの人々が、放火の罪でというよりも人類敵視の罪ある者とされた。彼らは死刑に処せられただけでなく、なぐさみの対象としても用いられた。 獣の皮を着せられて犬に咬み殺されたり、十字架につけられたり、またある者は、日が暮れて夜になるとあたりを照らすために火を付けられて、たいまつ代わりに用いられた。 ネロ帝はこうした陳列のために自分の宮廷の庭を解放し、あるいは彼らをサーカスの見せ物とし、そこでは皇帝自身、戦車の御者の服装をして群衆に加わったり、自分の戦車を乗り回したりした。 こうした事柄はいずれも、その罪のゆえに最大限の懲らしめの罰に値した人々にさえ、憐れみを催させる結果になった。 というのは、民衆はこの人々が公共の益のためにというよりも、むしろ一個人の嗜虐性を満足させるために殺されているのだと感じるようになったからである。“ (タキトウス年代記より)

タキトウスのこのような証言は、イエス•キリストが歴史上にかつて実在されたということを証明しているだけでなく、ローマの行政長官ピラトによる裁判によって死刑の判決を受け、殺されたという聖書の記事の真実性を証言しており、またキリストの復活後にキリスト信者の数が第一世紀のローマ帝国の支配下において劇的に増加していったことの真実性も証言しているのです。 しかもタキトウスがキリスト信者の信仰を忌み嫌っていた人物であったことが、一層その証言に重要性を加えているのです。

“私たちは何を根拠にしてイエス•キリストを信じているのでしょうか。“(津久野キリスト恵み教会発行)参照。


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