東日本大震災から7年になり、各報道機関から特集番組が報道されていました。
私もブログ(畑・畑・畑)に記述したことをおもいだして、2011年3月11日後のブログを振り返ってみました。
震災翌日の3月12日のブログには「地震の様子、停電しテレビは見れず、ラジオだけの情報で全体の様子がわからない、余震が続く」と投稿していました。 2011.3.12のブログ。
3月13日は玉ネギの追肥の記事の中で少しだけふれていましたが、3月15日のブログには「地震の影響が神奈川でも出てきたこと、計画停電が始まったことなど」を投稿していました。 2011.3.15のブログ。
鹿児島の実家の家を建て直していたので打ち合わせに行かなくてはならず、3月18日のブログでは「電車が動かず羽田に行けず、高速バスに乗って羽田に、そして鹿児島の実家へ行ったこと。とんぼ返りで羽田に着き、高速バスにのると、東京の様子はビックリするくらい暗くてネオン等はほとんど消えとありました。妻からは余震が続いて服を着たまま寝ていたと聞く、計画停電も実施されていた」とありました。2011.3.18のブログ
その後のブログには特に記述はないのですが、3月20日のブログに畑の横の道路がガソリン給油のために並んだ車の様子の写真があり、当時の大変な様子がわかりました。
畑・畑・畑ブログは、畑に特化したブログとして、畑以外のことは ほとんど記さないことにしていますが、震災のことは五日にわたり記述しており、当時の私はこれまでにないくらいの衝撃を受けたことがわかります。
天災は忘れた頃にやってくる、といわれますが、地震は防ぐことは出来ませんが、十分な備えをすることは大事なことです。
我が家では、市の耐震診断を受け、第一段階の備えとして重い瓦をおろして軽いガリバニュウムに葺き替える工事をおこなっています。
明日からは通常にブログの投稿を続けます。 (前のブログ畑・畑・畑へ)
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