放射性物質の安全基準値の算出方法を知りたいのだが、ネットで検索してもよくわからない。数値自体は出てるんだけどなあ。
厚生労働省の食品安全情報に、「安全係数」の説明として、以下の文章がある。
> 動物実験のデータを用いてヒトへの毒性を推定する場合、通常、動物とヒトとの種の差として「10倍」、さらにヒトとヒトとの間の個体差として「10倍」の安全率を見込み、それらをかけ合わせた「100倍」を安全係数として用いています。不確実係数(UF:Uncertainty Factor)ともいいます。
残留農薬とかの基準値は、動物実験で認められる危険値の100倍厳しいってことですね。
放射性物質も似たような係数を使ってるんだと思うんだけど。
だから基準値を超えててもいきなり健康被害はない。
でも、でもですよ。
人類は本当に放射性物質について完全な知識を有しているとは言いがたい。
現在認識されている危険値が本当に正しいのか、疑問の余地があると私は思う。内部被曝についての危険性は方々で言われている通り。
特に幼い子どもに対しては注意してしすぎることはない。
まあ、私くらいの歳になると、体内に影響が出るころには寿命来てるかなという気もするんで、神経質にならなくてもいいかなーとも思うんだけどさ。
食品に対して100倍の安全係数を使って規制をするのであるなら、原子力発電所の建築に対しても、同様の規制が必要だと思うんですよ。
つまり、これくらいの地震が起きる可能性があるかもしれない、これくらいの津波が起きる可能性があるかもしれない、という想定値の、10倍~100倍の危険をカバーできるだけの安全設計をせよ! ということ。
想定外が起こり得ないくらいの安全設計をしないかぎり、新たな原発の着工はもちろん、現行の原発の運用も漸次中止してゆくべきだと思う。
発電量が減っても、工場群や官公庁類で太陽光発電等を取り入れていくことで賄えるのではないだろうか。ていうか、どんどん電気を使って、どんどん製品を作って、どんどん消費をして、どんどん経済成長して、っていう戦後景気みたいな社会は既に限界に来ていると思う。
日本全体、ひいては世界全体がもっとスローな暮らしになれば、電力量はもっと少しで済む。
限られた資源をたいせつに使って、第一次産業従事者と第一次産業用地がもっともっと増えることが、長い目で見れば社会のためになると、私は思うんですよ…。
厚生労働省の食品安全情報に、「安全係数」の説明として、以下の文章がある。
> 動物実験のデータを用いてヒトへの毒性を推定する場合、通常、動物とヒトとの種の差として「10倍」、さらにヒトとヒトとの間の個体差として「10倍」の安全率を見込み、それらをかけ合わせた「100倍」を安全係数として用いています。不確実係数(UF:Uncertainty Factor)ともいいます。
残留農薬とかの基準値は、動物実験で認められる危険値の100倍厳しいってことですね。
放射性物質も似たような係数を使ってるんだと思うんだけど。
だから基準値を超えててもいきなり健康被害はない。
でも、でもですよ。
人類は本当に放射性物質について完全な知識を有しているとは言いがたい。
現在認識されている危険値が本当に正しいのか、疑問の余地があると私は思う。内部被曝についての危険性は方々で言われている通り。
特に幼い子どもに対しては注意してしすぎることはない。
まあ、私くらいの歳になると、体内に影響が出るころには寿命来てるかなという気もするんで、神経質にならなくてもいいかなーとも思うんだけどさ。
食品に対して100倍の安全係数を使って規制をするのであるなら、原子力発電所の建築に対しても、同様の規制が必要だと思うんですよ。
つまり、これくらいの地震が起きる可能性があるかもしれない、これくらいの津波が起きる可能性があるかもしれない、という想定値の、10倍~100倍の危険をカバーできるだけの安全設計をせよ! ということ。
想定外が起こり得ないくらいの安全設計をしないかぎり、新たな原発の着工はもちろん、現行の原発の運用も漸次中止してゆくべきだと思う。
発電量が減っても、工場群や官公庁類で太陽光発電等を取り入れていくことで賄えるのではないだろうか。ていうか、どんどん電気を使って、どんどん製品を作って、どんどん消費をして、どんどん経済成長して、っていう戦後景気みたいな社会は既に限界に来ていると思う。
日本全体、ひいては世界全体がもっとスローな暮らしになれば、電力量はもっと少しで済む。
限られた資源をたいせつに使って、第一次産業従事者と第一次産業用地がもっともっと増えることが、長い目で見れば社会のためになると、私は思うんですよ…。