第10章:運動量の保存
「運動の勢い」を数量的にどのように表したらよいか考えてみると「質量 m」や「速度 v」についての増加関数になっているべきだとするのは「実感的に」正しそうだ。運動エネルギーというものは 1/2*mv^2 で既に紹介しているが、この章で導入するのは「質量 m」と「速度 v」の積 mv で計算される「運動量 p」というものである。
高校の物理で学習したようにこの運動量は保存する。多数の粒子のそれぞれの mv の値の総和は運動に空気抵抗や摩擦抵抗などの外力が働いていない限り常に一定の値になる。それぞれの粒子が衝突しようがしまいが、衝突して跳ね返ろうがくっつこうが運動量の総和は保存される。
ファインマン先生がこの章で強調しているのが、その事実を実験で検証するということだ。圧縮空気を底面から噴出させて空気抵抗をほとんどゼロにしたレールの上に置いた2つの物体A、Bを衝突させたり、AとBの間に仕掛けた爆薬で両者をはじき飛ばしたりする実験を行った結果を使って説明を進める。
ファインマン物理学らしさがでているのは、この実験で観測者を2人設定していることだ。日本語版で「太郎」と「次郎」として紹介されているこの2人は、英語版では「Joe(ジョー)」と「Moe(モー)」、フランス語版では「Dupont(デュポン)」と「Durand(デュラン)」である。第4章で登場した「積み木遊びの好きな腕白デニス」と「可哀想なブルース」は登場しない。ブルースは自分の積み木をデニスのと混ぜてしまうのでデニスの母親から一緒に遊ぶことを禁じられてしまったのだ。
つまり「太郎」は静止系の観測者で彼が見ている世界は (x, y, z) という直交座標系、「次郎」の見ている世界は物体Bと一緒に等速直線運動をする直交座標系 (x', y', z')である。こういう条件の下で太郎と次郎が同じ実験を観測したとき「太郎にとっても次郎にとっても運動量は保存されている。」ことは高校の物理では取り上げられない。
このように2つの異なった座標系から同一の実験を観測したときの状況をそれぞれの座標系 (x, y, z) と (x', y', z') でファインマン先生が紹介したのは、この後の章で展開する「ガリレオの相対性原理」、「アインシュタインの特殊相対性理論」と「一般相対性理論」を意識しているからにほかならない。「誰から見ても物理法則は同じに見える。」ということが物理学では大切なのだ。
この章の終わりでファインマン先生は特殊相対性理論の世界でも、運動量保存の法則は成り立っていることを短く紹介する。運動量 p = mv を構成する質量 m が物体が運動することによって質量が増すという結果を含め、ニュートン力学の運動量保存則が「物体の速度が遅い場合における近似」であることを解説している。これを「相対論的運動量」と呼んでいる。
第11章:ベクトル
ファインマン先生の授業を受けているカルテクの学生は、当然ベクトルを高校時代に学んでいたはずである。特に彼らは秀才揃いだから、ベクトルは朝飯前であることを知っていたファインマン先生は興味ある2つの物理法則を、まずベクトルを使わない座標成分ごとの計算で証明し、それからベクトル量を導入してそれまで紹介してきた物理法則をベクトル方程式として一般化して見せた。その説明の中でベクトル代数の基本法則も上手に取り込んでいる。学生を飽きさせない授業展開だ。
ファインマン先生が取り上げたベクトル代数で特に印象深いのは「ベクトルの内積の計算式がピタゴラスの定理を含んでいる」ことだ。a = (ax, ay, az)、b = (bx, by, bz)という3次元ベクトルとするとき内積は a・b = ax*bx + ay*by + az*bz である。vを3次元ベクトル v = (vx, vy, vz) とするとき v と自分自身との内積を計算すると v・v = vx*vx + vy*vy + vz*vz = |v|^2 となり、それは v の長さの2乗に等しい。つまり v の長さを斜辺とする3次元のピタゴラスの定理となる。運動エネルギーもベクトル v で表記すれば 1/2*m*(v・v) となり内積を含んだものとなる。実のところこれは微分幾何学を意識した数式表現なのだ。
話を元に戻そう。講義の前半では再び「太郎」と「次郎」を登場させる。静止系の太郎に対し、次郎は「太郎から離れて止まっている」という「平行移動した静止系」、次に(三郎や Poe や Duron は登場させずに)次郎は太郎のところに戻ってきてそっぽを向いている「回転移動した静止系」という2つの条件でニュートンの運動方程式 F=ma が成り立っていることを数式で証明して見せるのだ。 (x, y, z) と (x', y', z') の間で成り立つ関係式を使って計算を進めると、太郎から見ても、次郎から見ても F=ma は成り立っているのが確認できるわけ。この本の中で最初に登場する物理法則の証明らしい数式展開にカルテクの学生は興味を持ったにちがいない。
物理法則の中でこの「平行移動」や「回転」によって方程式が不変であることは、「物理法則の空間的対称性」として重要な概念だ。当たり前だと思って初心者が軽視しがちなこの事実は重要な意味を持っている。力学にとどまらず、今後勉強する電磁気学、相対性理論、量子力学、場の量子論などで「平行移動や回転」は大きな役割を果たしているのだ。
またこの「空間的対称性」は「運動量保存則」と対応関係があることも忘れてはならない事実である。(「時間における対称性」は「エネルギー保存則」に対応している。)
経験的には質量 m や速度 v のほうが実在的であるにもかかわらず、物理法則では運動量 p やエネルギー E のほうが大きな役割を果たす「本質的な量」であることを知ると、私たちが見ている世界の実在とは何なのか?と問わずにはいられない。
第12章:力の性質
数式で記述される物理学は精密で厳密なものだと妄信している優秀で生意気な一部の学生に対してファインマン先生はこの章で注意をうながす。数学と物理学は違うのだと。
力を記述する F=ma という公式は数学ではなく経験則、つまり実験から導いた近似式であることを強調する。前回の記事では量子力学によってこれが<期待値>としての運動方程式 <F>=m<a> であることを紹介したが、それ以前にニュートンの時代においてもこれは近似式であった。
物理学が数式で記述されることは十分承知しながらも理論だけで発展する数学とは異なることを強調する。実験と観察、そして考察の重要性が物理学の基本であることをだ。特に量子力学以降、物理学で取り扱う現象は直接目に見えないものになってしまったわけだから、その重要性は増している。物理学は「理論物理学」だけでは成立しない。
ファインマン先生が具体的に取り上げたのは「力とは何か?」という特に基本的な概念だ。物体に加速度を生じさせる作用の原因を考え、それを「力」ではなく「チカリ」という名前で呼ぶことにする。(英語とフランス語ではともに「力」は「force」だが、「チカリ」は「gorce」と書かれている。)この「チカリ」がニュートンが定義した「力」の法則と同じであることを述べ、「力」は F=ma という法則以外に、物体がどう振舞うかということを記述する特有の性質を持っているものだというのである。つまり実験的、経験的事実がそこに反映し、それを含んだ意味で F=ma はすっきりした適切な記述なのである。F=maは数学のように単なる定義式ではない。
これに対比した形で紹介するのが「空気抵抗の力」だ。流体力学では動体に働く空気抵抗の力は速度の低い場合は F=cv、速度の大きい場合は F=cv^2 で実験的に力を計算する公式が導かれている。しかしこれは F=ma とは形は似ているが全く違うものであることを強調する。空気抵抗の公式は複雑な原因がからみあった結果生じる「漠然とした近似式」であるからだ。
次に紹介するのが「摩擦力」である。これも F=μN という F=ma と同じような形の数式で表されるが、摩擦力も接触する物体表面の複雑な作用の結果生じる現象なので F=ma とは性質が全く異なっているのだとファインマン先生は紹介する。経験則では「静止摩擦係数は動摩擦係数よりも大きい」と言われているが、これはかなり怪しい。接触面に付着している不純物が摩擦係数の測定を大きく狂わせてしまうためだ。摩擦のメカニズムについては現代でもまだ解明されていなことがとても多いのだ。
この章の後半でファインマン先生は「場の概念」を紹介する。「力」が伝わるのは一瞬にして伝わる「遠隔力」ではなく「場」というものを伝わっていく「近接力」であることだ。力学だけでなく電磁気学、量子場の理論など以降の物理学を学んでいくのにとても大切な概念である。
場の考え方の例として、1つの電荷 q1が周囲におよぼす「電場」と呼ばれる状態を考え、この電場 E に置かれた別の電荷 q2 が電場 E から作用を受けて力を受けることを紹介している。複数の電荷が置かれているときは、それぞれについて電場 E があり、それらの影響は単純に足し合わせることで電場を合計してもよい。同じことは重力場についてもあてはめられることを紹介する。これを「重ね合わせの原理」と呼んでいる。
さらに磁気力についても「磁場」があり、磁場による力は電荷の速度と直角方向であることを述べ、電場と磁場の双方の影響が電荷に作用して生じる力を与える計算式を紹介している。
電場や磁場、そして重力場は真空の空間にも存在できると言っていることに気がつくだろう。真空っていうのはそもそも何もないということだから「場」っていったい何?と考えるのが普通だろう。この疑問は電磁気学を学ぶ段階でますます膨らみ、量子力学のかなり後のほうになってひとつの答えが得られるのだ。
重力が「みかけの力」であることをはじめて紹介しているのはこの章だ。加速度を受けて感じる力と物体からの引力を受けて感じる力は区別することができない。これは後に一般相対性理論を展開するアインシュタインにとって重要な前提となることは言うまでもない。
宇宙のすみずみまでを支配している万有引力の法則は重力に不動の地位を与えたかに見えたが、かくも「まぼろし」のような存在になってしまった。そうなると重力以外の「力」にしても本当に実在するのだろうか? F=ma はまさにそのことを示している。
「力 F により物体に加速度 a が生じる。」と「物体に加速度 a を生じさせる何かを「力」と呼んでその量を F であらわそう。」という2つのことを1つの式が意味している。この式は力と加速度の間になりたつ数量関係を答えていると同時にそれらの存在性の有無を私たちに問いかけている。
量子力学で「F=ma は<F>=m<a>として導かれる」ことに思い至るとき、はたしてそれは重力の起源や実在性は量子力学に求めるべきということだろうか?「ファインマン講義 重力の理論」という教科書で明らかなとおり、ファインマン先生ご自身はこの試みに成功していない。
力学の教科書でありながら電磁気学、量子力学の話題を盛り込むのは、学生の関心を持続させようとするファインマン先生の工夫なのだと僕は思う。
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