ついに今月最終巻が刊行された。この歴史的な名著を日本語訳された竹下貞雄先生のご苦労は並大抵のものではなかったと想像している。竹下先生、貴重な本を翻訳していただきありがとうございました。
届いたばかりの第5巻にはこのような帯がつけられている。
天文学史上の古典であり、学術的にもきわめて貴重な本である。原書はフランス語で翻訳者は竹下貞雄先生。以下のようなご経歴をもつ。
竹下 貞雄 (たけした さだお)
1933年 福井市に生まれる。
1958年 京都大学卒業
1958年 日本国有鉄道入社
1964年 ベルギーのリェージュ大学留学(1年)
1983年 鉄道技術研究所,土質研究室長
1985年 工学博士(京都大学)
1986年 立命館大学理工学部教授
2009年 同上退職。
現在は翻訳業に従事している。
原本著者のピエール=シモン・ラプラスはフランスを代表する数学者の一人だ。
ピエール=シモン・ラプラス:ウィキペディアの記事
(Pierre-Simon Laplace, 1749年3月23日 - 1827年3月5日)はフランスの数学者。「天体力学概論」(traite intitule Mecanique Celeste)と「確率論の解析理論」や「確率の哲学的試論」という名著を残した。77歳没。ラプラス変換の発見者。決定論者としても知られる。これから起きるすべての現象は、これまでに起きたことに起因すると考えた。ある特定の時間の宇宙のすべての粒子の運動状態が分かれば、これから起きるすべての現象はあらかじめ計算できるという考え方である(ラプラスの悪魔)。
「ラプラス変換」というのは微分方程式の解法のひとつである。
ラプラス変換とは何か
http://www.jeea.or.jp/course/contents/01131/
初心者用ラプラス変換解説
http://www.ice.tohtech.ac.jp/~nakagawa/laplacetrans/Laplace1.htm
本書のフランス語版はAmazon.frでは入手しにくいようだし、米国アマゾンで英語版も見つけることができなかった。であるから今回の日本語版発刊の意義は大きい。本書はニュートン以来のすべての重要な業績を概説し、さらに多くの新しいアイデアと結果を含んでいる。「天体力学」という言葉を初めて用いたのはラプラスである。
しかし書名は「天体力学」であってもその内容は惑星や衛星の軌道計算、惑星大気や海洋の流潮汐理論(流体力学)、地熱の計算など広い範囲をカバーし「天体物理学」と呼ぶにふさわしい。「熱学思想の史的展開〈2〉:山本義隆」で解説しているように、ラプラスは熱の本質を「熱素」だと考えていた。その後何十年にも渡り「熱素説」は影響力をもち、「熱素=熱量は保存する」という誤った考えを広めてしまった。彼の解析的熱量学を発展させる形でジョゼフ・フーリエが著したのが「熱の解析的理論:ジョゼフ・フーリエ著、ガストン・ダルブー編纂」だ。
ラプラスが生まれたのはニュートンの死から22年後、ラプラスの天体力学論第1巻が出版されたのはニュートンのプリンキピア第3版が出版されてから73年後、ラプラスが50歳のときである。
コンピュータのなかったこの時代に、数式だけを頼りに天体力学を打ち立てたパイオニアの方法論を学ぶことは、現代の科学者やこの分野の専門家にとっても大いに有用だと思う。僕はコンピュータ以前の解析的な方法の天文学が好きだ。
以下は本シリーズの紹介を出版社のページから書き写したものだ。
ラプラスの天体力学論 全5巻(大学教育出版)
http://www.kyoiku.co.jp/17rapurasu/rapurasu.html
フランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスの『天体力学』は5巻16編からなり、1799年から1825年にわたって出版された大著である。本書はそれを完全に日本語訳したものである。
原書(クリックで拡大)
第1巻では、ニュートンやケプラーの運動法則を解析的に説明する。第2巻では2次曲面をもった均質な楕円体の引力の問題から、有名なラプラスの2階偏微分方程式を発見し、また、海の潮汐の解析と実測との比較の結果も報告する。第3巻では、惑星が不規則運動をする原因として、太陽の扁平率や惑星の軌道の離心率や傾斜角などを挙げ、また、惑星の運動の解析と実測から、エーテルの存在を否定している。第4巻では、衛星の不規則運動の原因のほかに、液体の毛管作用についての解析結果と実測結果の比較を報告する。第5巻では音の速度式のほかに、流体や水蒸気の運動方程式を提案している。
各巻目次
第1巻 2012年2月に発売された
第1編:釣り合いと運動の一般法則
第2編:万有引力と天体の重心の運動とに関する法則について
第2巻 2012年6月に発売された
第3編:天体の形状について
第4編:海と大気の振動について
第5編:天体の、それらの重心の周りの運動
第3巻 2012年10月に発売された
第6編:惑星の運動の理論
第7編:月の理論
第4巻 2013年1月に発売された
第8編:木星、土星および天王星の衛星の理論
第9編:彗星の理論
第10編:宇宙系に関する諸点について
第5巻 2013年5月に発売された
第11編:地球の形状と自転について
第12編:球の引力と斥力、および、弾性流体の釣り合いと運動法則について
第13編:惑星を覆っている流体の振動について
第14編:天体の、自分の重心の周りの運動
第15編:惑星と彗星の運動について
第16編:衛星の運動について
ご購入は以下のリンクからどうぞ。Kindle版も刊行されている。
「ラプラスの天体力学論第1巻:ピエール=シモン・ラプラス」発売中
「ラプラスの天体力学論第2巻:ピエール=シモン・ラプラス」発売中
「ラプラスの天体力学論第3巻:ピエール=シモン・ラプラス」発売中
「ラプラスの天体力学論第4巻:ピエール=シモン・ラプラス」発売中
「ラプラスの天体力学論第5巻:ピエール=シモン・ラプラス」発売中
原書フランス語の書籍は、次のリンクから無料で読める。
第1巻 第2巻 第3巻 第4巻 第5巻
英語版は第4巻まで無料で読める。英語版は全4巻である。
第1巻 第2巻 第3巻 第4巻
なお、竹下貞雄先生は本書を翻訳する前に「熱の解析的理論:ジョゼフ・フーリエ著、ガストン・ダルブー編纂」という本もフランス語から日本語に翻訳されている。ジョゼフ・フーリエ(1768-1830)もフランスを代表する数学者である。
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2019年12月20日に追記:
日本語版の分量はフランス語版にくらべて分量が少ない。この理由は原文を端折って日本語訳している箇所があるからのようだ。つまり、逐語訳されていない。また英語版は大量の脚注があるため原書に対してもだいぶ分量が多い。このご指摘は @subarusatosi さんからいただいた。
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関連記事:
熱の解析的理論:ジョゼフ・フーリエ著、ガストン・ダルブー編纂
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/5bcc7bc3efc16463743cd01d3c989622
日本語版「プリンキピア」が背負った不幸
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/bff5ce90fca6b8b13d263d0ce6fc134e
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参考ページ:
「松岡正剛の千夜千冊」というブログの次の記事の中に、ラプラスの「天体力学」についての解説があるのでお読みいただきたい。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1009.html
ラプラスが『天体力学』の中核部分を書いたのは1802年である。この19世紀の初頭という年代が重要だ。時計の針はナポレオン時代のフランスをさしている。
『天体力学』が何をはたしたかといえば、ニュートン力学から導かれうる諸原理が、これでほぼ全面的に惑星系にあてはめられたのである。それ以前、万有引力の法則が何にもまして正しそうであることは知られていたのだが、ニュートン自身は太陽系が最終的に秩序を保つには「神の覗き穴」が必要だと思っていたのだし(『プリンキピア』第3篇にはそのことが書いてある)、オイラーは月の運動の微妙な変化を説明できる方法がないことに困って、はたしてニュートンの理論だけで惑星と衛星の関係が数学になるのか疑っていた。
それらの疑問を晴らしたのがラプラスである。惑星や衛星の摂動計算をめぐるラグランジュの協力もあって、大半の誤差の修正もやってのけた。
当時の惑星系の全体といえば世間からみれば宇宙そのものだったといってよい。ラプラスは『天体力学』を書きあげたとき、初めて宇宙というもの(つまりはすべての世界というシステム)を、力学的に、かつ数学的に制覇したと実感したにちがいない。近代ダイナミズムの構想(力学的世界観)は、ここでひとつの頂点に達したのである。
長文かつ含蓄のあるコメントをいただき、たいへんありがたく思います。ほとんどすべて的確なご意見だと思いますし、僕自身も同じ気持ちを持っています。
特に次の2つの箇所に対して「たしかにそうだ!」とうなづかされました。
- 過去の遺産を死蔵させるのではなく利用しよう。
- 日経サイエンスの購読者年齢も80年代は20-30代が多かったが最近は中高年が多いらしい。
天体力学論全5巻も読破されたのですか。同じ志を持つひとりとして心強く思います。
いただいたコメントは多くの読者の目に触れるようにブログの本文記事として貼り付けて掲載したいほど共感できるものでした。
取り急ぎ、いただいたコメントを承認し公開させていただきました。
話を戻そう、この訳者Fourierの熱力学とか、数式が本格的に登場する直前までなら小学生でも読めると思う。ラプラスは確率論でも有名だが、こっちは共立から部分訳しか出ていない。本書に近い(というより後継としてふさわしい)のはポアンカレの天体力学ですがこれも部分訳だけ。岩波の文庫は前書きしか入っていない、コペルニクスの天体の回転についてもそうだ。抄訳や部分訳も氾濫している。天体力学や解析学の数巻に渡る専門書は原書や英訳なら結構無料や安価で出回っているものが多い。アルマゲストからケプラーの著作、ニュートン、オイラー、ラプラスなどの主な著作はようやく日本語でも揃ったのではないか。まだまだ甚だ不完全であろうが。
これらの科学の古典の大半が19世紀以前、ニュートン以降とすると400年ぐらいか。日本の科学歴が実質明治以降だから約100年、著作権切れとなると我々日本人の使える自国産科学文献の遺産は欧米人の1/4ぐらいに激減してしまう。欧米の著作は、語学を学んで原書を読めとも思っているが、日本語版ばかりはどうしょうもない。ロシア語の本とかもAmazon経由で入手困難なのでソ連時代の理工書の翻訳とかも復刊してほしい。まあ、これも名著は英訳が結構ありますが、昔の科学雑誌や論文集が暴騰していて、英語版が数百円から2000円ぐらいで手に入ればそれは普通そっちを買いますがな。
プリンキピアについても言及されてるようですが、日本は科学の古典を大切にしていないように強く感じる。講談社や東京図書は恥を知れ。ランダウを復刊せよ。出版社もページ数制限が厳しく、1000ページクラスの専門書を出版するのは難しい。欧米ではRoad to RealityとかMetamagical GameとかGödel Escher Bach とか子供の小遣いで買えそうな額で販売されている。日本だけ名著はすぐに絶版で中古ぼったくり業者に搾取されている。手頃な英訳すらない場合、日本と変わらないが(実際フォンノイマンの著作とか英語版ですら暴騰してるのが結構ある)、欧米では無料や安価で公表するという姿勢がよっぽど強い。活字印刷技術を開発した連中は全然思想が異なる。
ここらの解析学は20世紀以降の理論はあまり詳しくないのですが、数学サイドではコンピュータ以前となるとカタストロフ理論あたりまでで、カオス理論はコンピューターでバリバリ解析しているというイメージで解析学は終わったという感じです、個人的には。コンピューター至上主義としてはwolframのアレですか。丁度黎明期あたりのだとfortranで頑張ってるのと数学的な高度な理論やモデルを作っている境界あたりの20世紀3/4あたりのが過渡期か。計算尺が電卓に淘汰されるあたりまでが一番面白かった。いまやコンピューターで学ぶとか下らない本が多いですが、遂に数学すらブラックボックスになりつつある状況に危機感を覚えます。とある科学雑誌に統計をブラックボックスとしてコンピューターで教えるカリキュラムがあるとか言ってましたが、解析学もわからないのに統計手が出せるわけがない。最近の解析学の書物はステートメントだけでもあればいいほうで、高度な概念は言及すらされず、ロストテクノロジーと化しているのではないか。シュプリンガーの天体力学とかの本も啓蒙書のようでいて数式も結構ある本格的内容だったと思います、このレベルあたりまでが近代科学革命を起こした天体力学の正統派という感じだろうか。ラプラスの悪魔とかは有名ですが、きちんと原典を読んで把握したいものです。一巻だけ英訳はデュドネの解析学教程(全9巻)を彷彿させる。数学サイドだとコーシーやジョルダンやグルサ(ブルバキの原因、多変数の微積の現代化。これはDoverから英訳あり)あたりに繋がるんでしょう。ナポレオンへ神はいらないと言った。確率の研究者としてもパスカルとフェルマーの手紙とコルモゴロフの丁度中点らへんに位置すると思う。