こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

タイミングを待ちながら

2025年02月09日 | 
少しドキドキしています。久しぶりにキーボードに向かっていることと、このところ本の注文サイトを見ては"まだ大丈夫、、、でも早くした方が良い気もする、、、”このようなことを続けていて今もサイトを確認したところですが、最終的にポチっとするまでドキドキは止みそうにありません。

暮れから読もうと決めていた本が、図書館前の道路工事の関係で閉館していて借りることができませんでした。それで遠くの図書館まで足を延ばして(閉館していた図書館の本館にあたる館です)同じ作者の短編集を借りて読むことにしました。年末年始の空いた時間に一編ずつ読むのにちょうどよい長さで、決めていた長編よりもこれでよかったと思いました。

いつものように居間のストーブの横を陣取ってもうじき読み終えるというときに、開いた頁の上に注がれた木洩れ日に葉っぱがキラキラ動くのを見て、あまりの美しさに息をのんだ瞬間がありました。なんてキレイ、、、流れてくるるバッハと相まって得も言われぬ気持ちになりました。(平素あまり音楽を聞かない私ですが、その日は長期間cdプレーヤーを起動させないと動かなくなる、それは大変と思いついて偶々バッハをごく低いボリュームで流していました)

年が明けて道路工事も終わり読もうと思っていた長編を借りることができました。この本を読みたかったのはタイトルと本棚から取り出した瞬間に表紙の絵に強く惹きつけられたこと、これが大きかったのですが、読み始めると先に進むのがなんだかもったいなくて、ゆっくりゆっくり進みました。そして読み終えるとこれは手元にどうしても置きたい、置かなければいけないと感じたのです。1日も早く入手したいけれどお天気を見極めないといけません。ポチっとするや、あっという間に(実感として、、)届くので配達の人が困らないように積雪の心配がなくなるまで待つことにしています。
(2025/2/8)
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生き甲斐の心理学:愛、明るい感情、調和と統合

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人は考えた通りの・・・

2024年11月30日 | 
「人は考えた通りの人間になる」…古の賢者の言葉が今日まで語り継がれてきたのは、人は深いところでそれが本当だと知っているからなのでしょう。人は考えた通りの人間になる。これと似ているけれど、より自分に沁みる表現を見つけました(ある本の朗読を聴いていて見つけました)。「私は自分が思っている通りを体験している」、思い出したときに呟くと背骨にきゅっと心地よい緊張感が走る感じです。
(2024/10/5)

10月も半ばを過ぎて肌寒く感じる日がでてくると感受性も変化して「私は~」というより「人は」という方が「人は自分が思っている通りを体験している」がしっくりきます。私はというにはエネルギー不足の気がするのは、猛暑だった夏の疲れが出て心が少し内向きになっているせいかもしれません。秋の訪れとともに懐かしい映画に感じ入ったり本と過ごす時間も増えて、季節と共に感受性の周期のようなものも入れ替わってゆく、、、おもしろいものです。
(2024/10/17)

毎夜の湯たんぽと日中も暖房が欠かせなくなりました。木々は紅葉し落ち葉舞う季節です。人は考えた通りの人間になる、私は思っている通りを体験している、、、この季節、どちらも思い出すことがめっきり減って。言葉に向かっていたエネルギーが今は別のところへ向かっているようです。
(2024/11/29)
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生き甲斐の心理学;アイデンティティの統合、大切な哲学

2024/11/27古寺の森を歩く

ニャンズ熟睡/☕タイム/鹿の目を逃れ数年ぶりに咲いたホトトギス!2024/10/25

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自問は、自分の言葉で。

2024年10月09日 | 
深層心理では「自己愛の問題」であることに変わりなくても表層に現れてくるものは千差万別、人それぞれですね。真逆の性格に見えるものが実は深層では(その真相は、、)同じ自己愛の問題にクルシンデいるとなると、、、そう思うと苦手なあの人に対してもちらっと親近感のようなものが湧いてきたりして、、、

表れ方が違うのだからセルフチェックの自問の言葉がけも人によって、この行動は自分を大切にしている行動か? 自虐の行動になっていないか? 人を(相手を)大切にしている行動だろうか? 人を(相手を)虐める行動になっていないか?等々、、、自問の言葉が浮かんできますが、今ここで私がおかれている状況や目の前の人との関係性によっても、その人にとって適切な言葉は違ってくるでしょうね。

自問するときは自分にピッタリする言葉であることが重要と感じます。頭の中だけで済ませずに、きちんと身体におとし込むという意味でも、からだに沁みる言葉でないと意味がありません。時々の自分にピッタリの言葉を見つけたいものです。
(2024/10/4)
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生き甲斐の心理学:愛、自分を知る、人間の本質
2024/10/8雨上がりの朝
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自己愛の問題、、

2024年10月06日 | 
「海の公園で」から4か月。ハッとする一文に出会いました。

いつも自分を苦しめるように、何故か生きていくのです。「自虐性の個性」といいますが、その原因は生育史にあります。自虐しないと心がおちつかないのです。(植村先生のブログ生き甲斐の心理学2024/10/3記事より)

”自虐性の個性”とな、、、そうでしたか、、、軽い衝撃とともに、このところ感じていたことにピッタリの言葉が与えられたようで爽快感も覚えます。軽度にせよ、人生の大半をこの個性にやられてきたのだなぁ、、、としばし感じ入りますが、思考と感情と行動のかなりの部分にこの原理が働いていたとすれば、私にとって日々の自問は「自分を大切にしているか?」より「これは自虐ではないか?」と問う方が効果的かもしれません。

ハッとする記事に触れて即このようにキーボードに向かっている?これは自虐に結びつく行動ではないか?とさっそく自問しますが、「海の公園で」(2024/6/9記事)の気付きこそ、根底にこのような個性が息づいていたことを暗示してくれたわけで、あの日以来、そのような苦しい個性はどんどん薄められているように思います。だからこそこの一文を最高のタイミングで受け取ることができました。
(2024/10/3)
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生き甲斐の心理学:愛、無意識の意識化

6月の思い出に。藤田嗣治のポストカード&Tシャツ
軽井沢の安東美術館にて
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愛だね、、、

2024年10月03日 | 
ここ一週間、目覚めて浮かんできたことを書き留めたいと思いながら、いざキーボードに向かうと言葉が詰まって出てこない、、今朝は偶々5時前に起床して、日常が始まる前に書き出せばよいかと試しましたが、やはりダメでした。何が浮かんできたのかさえ、すぐに思い出せません。

いつもならここでパタンとパソコンを閉じるところですが、カテゴリーだけでも決めようと、目に留まった過去記事を読み返してみました。すっかり忘れていたけれど、感じて考えてこのような日々もあったのかと。。。懐かしさも覚えて、とりあえずカテゴリーは決まりました。

「時間」に縛られることはありません。溜めこんできた「概念」に縛られる必要もありません。今日はここまで。ここで、少し進んだ、昨日よりいいねと比較して満足する自分を感じて苦笑いしますが、まあ地上に生きている限り、比較と評価はついて回りますからね。それでも、できれば比較するのは必要最小限、ほどほどにと思っています、、^^)
(2024/9/30)
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生き甲斐の心理学:愛、自分を知る、受容性

台風10号の強風のあと...
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海の公園で

2024年06月09日 | Weblog
自分の中ではそのように考えるのが当然で、当たり前のこととして生きてきたので、友人に「どうして、そこに結びつけて考えちゃうのかなぁ、、?」、呟かれても最初は何を言われているのか意味不明、でもなんとなく心に残っていて。かなり間を置いてから、確かにそうね、偏っているかもしれないと疑問を覚えるようになって、ついに、どうしてそこに(思考が)行っちゃうんだろう?自問を始めるや直ぐに答えが渦を巻いて溢れ出し、、、これまで一度も疑問に思うことのなかった疑問が一瞬で解けてしまいました。

渦を巻いて溢れだした答えはあまりに大きく、いつものように出来事を言語化して自己分析したり解釈する気持ちが起きません。もし気づきにまつわる記憶をいちいち取り出し分析していたら生きてきた年月では足りないくらい時間がかかることでしょう。答え(=気づき)はイメージのままぷかぷかと私の頭上に浮かんだままにしています。

大きすぎる気づきはそのイメージのままただ感じて、内側に強く感じる自己分析や解釈を拒否している人を尊重しようと心に決めています。
(2024/6/5)
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生き甲斐の心理学:感情にはすべて意味がある、知性化、無意識の意識化、純粋と一致、共感性

また海の公園で会いましょう♪
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不安か、愛か。

2024年06月03日 | Weblog
「神との対話」は読んだことがありません。ずいぶん前に図書館で手に取ってページを捲りながら"今は読めない、、、”と思った記憶があります。出版されて30年、時折、本の記事を目にするせいか、読んでないのにおおよその中身、要点は掴んでいるような気がしています。最近も本の話題を耳にしたのをきっかけに検索して、なるほどぉ、、と響く一文を見つけました。

「深く探ってみれば、人間の行動には二つの行動しかない。不安か、愛か。実は、感情の涙もこの二つだけだ。不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。愛は広がり、開放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、分け合い、癒すエネルギーである。」ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話」第一章より

心の流れを観察するとき、不安感に気付くことができればそれで十分だと思います。「ちぢこまり、閉ざし、引きこもり…」と読みながら、不安を体感で気付くイメージが拡がりました。この感じにハッと気づけば、それだけで私が自分自身を見守っていることになってハッと意識したらそれが愛、気付くこと=愛といえないでしょうか。こころは不安と愛を点滅させながら流れゆくもの、そういうことかもしれないなあと。一文に触発されて”体感で不安に気付く”を意識して実践してみています。
(2024/5/29)
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生き甲斐の心理学:人間の本質、不安感、愛、自己覚知

(2024/6/3)ブリコラージュの妖精とヘビイチゴ
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体験の解釈/知覚がひっくり返るとき

2024年05月30日 | Weblog
その人とは幼少期から身近で長い付き合いでした。感情を表に出すことの少ないその人が中年と呼ばれる年齢になって、一度だけ私に不満をぶつけてきたことがありました。多少八つ当たりを感じながらも相手の気迫に押されっぱなしの私は固まって聴いているほかありません。そのことは心の奥底にずっと残っていました。

そのようなことがあって数年後、今度は私がその人に大きく鋭い不満をぶつけます。抑えてきた本音をぶつけました。その時は気付かなかったのですが、「あの時のお返し」の要素があったのかなと後で思いました。でもお返ししたところでプラスマイナス0になるわけもなく、不満をぶつけられたことは理不尽の記憶としてじくじく心奥にあり続けるし、お返ししたことも罪悪感としてじくじく心の底に沈んでいました。

あれから十数年、長く持ち続けてき知覚がぐるーんと大転換、思いがけない気付きが起こりました。その人が感情をぶつけてくれた。正直に私にぶつけてくれてよかった有難かったと心から思うようになりました。感情を爆発させた瞬間を私に残してくれたことがうれしくてなりません。感情を正直に表す、本音を表すことがその人にとって自分を生きることの始まりだったということもあるのです。

長く心にあったじくじくは消えました。重い記憶がどんどん軽くなってこれからの日々彼方に霞んで消えてしまうことでしょう。
(2024/5/19)
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生き甲斐の心理学:他者のホンネ、怒り、体験の解釈は世界を変える

(2024/5/30)朝の風景 ムラサキシキブとカミヤツデ

隣町で。時間調整の散策で見つけた土壁とテイカカズラ 
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今日も生きている、からだ、身体、、

2024年05月24日 | Weblog
朝の体操を止めてから一年?一年半?どのくらい経つでしょう。日課だった頃は、せっせと落ち葉集めして古枝や硬い茎、小石を取り除いた庭で、裸足でアーシングしながら体を動かしていました。確か体力的に少し負担に感じだして止めたのですが、私は目覚めてから起床までのウオーミングアップに時間がかかるので、活性した体、エネルギーを何に使うか。優先順位に沿って動くことになります。

起き上がっても重たさは残り、お腹を空かせた猫にごはんを準備しながら、オハヨーオハヨーおふたりさ~ん♪あれ、黒いひとはまだ来ない?なんて猫たちに話しかけたり、声をだしながらエンジンがかかって、そこで自分の大丈夫も確認して、そのように朝が始まります。

ちょっと体操してみようかな。今朝は本当に久しぶりに以前のように庭で体を動かしてみました。痛いところが増えているのでどうかな大丈夫かな?コワゴワ動かしますが、順序、形はけっこう覚えていました。以前より硬くなっているのは当然として、中腰が意外に苦にならず安定しているのです。へぇーっと思いました。すごいね、からだ、、バランスを取って部分を活かし全体を生かしてくれている、たくさんの凸凹が部分がカヴァーしあって全体を生かしているのだなぁと。

いろいろな症状は全体のバランスを取るために生じていると思うと悲観的になりようがない。見方が変わって知覚さえ変わってきますね。
(2024/5/17)
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生き甲斐の心理学:体験の解釈は世界を変える、自然治癒力


2024/5/24ノアザミ、ナツツバキ、シャリンバイ
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そういうこともあるよね

2024年05月21日 | Weblog
パン屋さんから出る私と入れ違いに知人が店舗に入っていきました。私が気付いたのは、あれ〇〇さん?…すれ違いざまに見た横顔だったので、店から出てくる私に先に気付いた知人が無視して通り過ぎていった状況です。無視されたとなると心穏やかではいられませんが、私が先に気付いていたらどうしたかなぁ…たぶん、無視はできなかったでしょう。挨拶を交わして、それで後で嫌ぁな気持ちになっていたに決まっています。

直後の感情は混乱感、そして怒りとカナシミがやってきますが、感情が一段落して状況全体を見られるようになると、「無視してくれてよかった」と胸をなでおろす気持ちになりました。双方に遺恨はあるのです。その現実を認めれば、それに相応しい状況が成っただけのことだと受けとめることができます。

理想は昔のように晴れやかに顔を合わせられることですが、今のところは、そういうこともあるよねと、受け流していく。このくらいが私の現実にあっているようです。
(2024/5/16)
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生き甲斐の心理学:現実吟味力、不調和、感情の共感

イチゲの花言葉は「静かな瞳」だそうです

2024/5/21鹿の食害ショック、、、ネットで覆ったツワブキも
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