コメント
放課後について
(
ケン
)
2022-10-15 22:28:45
はじめてコメントいたします。関東在住の者です。
私は昭和59年7月(当時19歳)の時に、金沢へ旅行し、「放課後」へ入りました。
(場所は不詳ですが、兼六園の閉園後、夜行列車まで時間がありました。)
手元にマッチがありますが、上記のデザインは異なり、両面が「放課後」(ローマ字も併記)です。
マッチの背表紙には3か所住所が記載されています。
片町店/金沢・香林坊(映画街入口)
此花店/金沢・此花(別院通り商店街入口)
都ホテル店/金沢・此花(金沢都ホテルB1)
最近「もう一度、行ってみたいなぁ」と思いネットで検索しましたら、貴サイトがヒットしました。
既に、ないのですね。
何故、もう一度訪ねてみたいかと申しますと、メニューの裏面にあった「放課後」の詩が心を打たれ、メモに書き取った位でした。
そのメモ帳は今も大切に保管しています。
この度は貴重な画像をありがとうございました。
コメントありがとうございます
(
ku129
)
2022-10-19 11:09:53
ケンさん、丁寧なコメントありがとうございます。
茶房放課後はずいぶん前に閉店してしました。金沢駅前の都ホテルも、数年前に撤退し広大な更地のままとなっています。
あのころの喫茶店って、それぞれの店が、強烈な個性を発していましたよね。駅前の店で夜行列車の時間を待つってのも、その頃の旅の定番?でしたよね。
その夜行列車もなくなり、続いて寝台特急もなくなり、今は新幹線になってしまいました。それでも人々の思い出になかに、いつまでも当時の光景が色あせることなく、留まってますね。
ありがとうございます。
(
ケン
)
2022-10-23 14:49:13
ご返信をありがとうございます。
当時、白山下へ行ったのですが、金沢に着いたとたんカメラが壊れてしまい、一枚も記録がないのです。
(写ルンです、など無い時代です)
その為、金沢の旅の記録は、簡単なメモやスケッチ、そして、記憶だけです。
しかしながら、『茶房放課後』のイメージは非常に脳裏に刻まれています。
現在、Twitterで過去の旅のことなどアップしていますので、この話題になりましたら、また、ご連絡させて頂きます。
また、金沢へ訪ねてみたいです。
この度は、ありがとうございます。
承知いたしました
(
ku129
)
2022-10-24 15:18:40
ケンさん、ご連絡をお待ちしております。
金沢への懐かしい旅も、実現できるといいですね。
コメントありがとうございました。
茶房「放課後」の件、掲載しました。
(
ケン
)
2023-09-05 15:10:08
家主様へ
以前、金沢市の茶房「放課後」で書き込みましたケンです。
本日9/4にアップしました。
https://twitter.com/pockwXXssN9dPZv/status/1698940271915041201
時間が経ってしまいましたが、ご案内します。
放課後のURL変更です
(
ケン
)
2023-09-05 15:32:39
家主様へ
メールが続き申し訳ありません。
URL変更です。
https://twitter.com/pockwXXssN9dPZv/status/1698946563006169393
素敵な記事、有難うございました
(
ku129
)
2023-09-06 06:13:38
ケンさん
素敵な記事と写真 ありがとうございました。
「茶房放課後」は3店舗あったんですね。映画館街の「片町店」は、場所はあまり記憶にないけど、いかにも古き良き時代の金沢の繁華街って感じがしますよね。
都ホテルはホテル本体も地下街も今はもうありません。都ホテルの地下街って、映画館もありたくさんの個性的な店がありましたよね。
Unknown
(
ケン
)
2023-09-06 20:09:23
早速のコメントをありがとうございます。
続編を掲載しましたら、お知らせさせて頂きます。
金沢は再び、活況を帯びてきたようにメディアで報道されています。
また、行ってみたいです。
では。
茶房「放課後」詩について ※横レス失礼いたします
(
ササヤン
)
2023-09-29 17:28:33
ケン様
2012年の記事で金沢駅近くにあった茶房「放課後」のマッチに綴られていた『放課後の詩』を気に入られメモしたものを持っている、と書かれているのを拝見しました。
私もかつて1976年~1983年頃「放課後」によく通っておりまして、あの素敵な詩のことが忘れられません。よろしければ、あの詩を本ブログの記事としてアップしていただけませんでしょうか?
ご検討よろしくお願いします。
昭和57年頃
(
M工房
)
2024-01-20 20:37:37
初めまして お邪魔します。
今から43年前 高校二年の時に悪友と夜行列車に乗り金沢へ旅行しました。
当時 加賀100万石のお祭りがあり賑やかだった事を思いだします。それと喫茶放課後も行きました。
放課後の灰皿を黙って持ってきてしまいました。
放課後懐かしいですね。
昭和57年頃
(
M工房
)
2024-01-20 20:38:44
初めまして お邪魔します。
今から43年前 高校二年の時に悪友と夜行列車に乗り金沢へ旅行しました。
当時 加賀100万石のお祭りがあり賑やかだった事を思いだします。それと喫茶放課後も行きました。
放課後の灰皿を黙って持ってきてしまいました。
放課後懐かしいですね。
コメントありがとうございます
(
ku129
)
2024-01-21 08:03:40
M工房さま
コメントありがとうございます。
夜行列車の旅!!いいですね。まさに青春ですねえ。
それにしても、今はおしゃれなカフェはたくさん増えましたが、「ザ・喫茶店」って店は、絶滅危惧種みたいになりました。寂しいですよね・・。
Unknown
(
たかちゃん
)
2024-11-11 19:47:08
こんばんは。
放課後でバイトしてました。
オーナーは、三店舗の他金融業もしてたみたいです。
よく自分にお金に困ったら融資してやると言っていました。
余談ですが、(ただ今放課後)の挿入歌(ありがとう)を歌っていた、石坂智子の後輩の女子(デビューが決まっている)と一緒でした。
彼女はオーナーに言われて、お客様のいない時に三原順子の(ドラム)を歌っていました。
記憶が定かではありませんが、3月になり就職が決まってバイトを辞め金沢を離れました。
妻が金沢に旅行に行きたいと言ったので、いろいろ調べていたら、こちらにきて懐かしさのあまり長々とコメントしてしまいました。
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私は昭和59年7月(当時19歳)の時に、金沢へ旅行し、「放課後」へ入りました。
(場所は不詳ですが、兼六園の閉園後、夜行列車まで時間がありました。)
手元にマッチがありますが、上記のデザインは異なり、両面が「放課後」(ローマ字も併記)です。
マッチの背表紙には3か所住所が記載されています。
片町店/金沢・香林坊(映画街入口)
此花店/金沢・此花(別院通り商店街入口)
都ホテル店/金沢・此花(金沢都ホテルB1)
最近「もう一度、行ってみたいなぁ」と思いネットで検索しましたら、貴サイトがヒットしました。
既に、ないのですね。
何故、もう一度訪ねてみたいかと申しますと、メニューの裏面にあった「放課後」の詩が心を打たれ、メモに書き取った位でした。
そのメモ帳は今も大切に保管しています。
この度は貴重な画像をありがとうございました。
茶房放課後はずいぶん前に閉店してしました。金沢駅前の都ホテルも、数年前に撤退し広大な更地のままとなっています。
あのころの喫茶店って、それぞれの店が、強烈な個性を発していましたよね。駅前の店で夜行列車の時間を待つってのも、その頃の旅の定番?でしたよね。
その夜行列車もなくなり、続いて寝台特急もなくなり、今は新幹線になってしまいました。それでも人々の思い出になかに、いつまでも当時の光景が色あせることなく、留まってますね。
当時、白山下へ行ったのですが、金沢に着いたとたんカメラが壊れてしまい、一枚も記録がないのです。
(写ルンです、など無い時代です)
その為、金沢の旅の記録は、簡単なメモやスケッチ、そして、記憶だけです。
しかしながら、『茶房放課後』のイメージは非常に脳裏に刻まれています。
現在、Twitterで過去の旅のことなどアップしていますので、この話題になりましたら、また、ご連絡させて頂きます。
また、金沢へ訪ねてみたいです。
この度は、ありがとうございます。
金沢への懐かしい旅も、実現できるといいですね。
コメントありがとうございました。
以前、金沢市の茶房「放課後」で書き込みましたケンです。
本日9/4にアップしました。
https://twitter.com/pockwXXssN9dPZv/status/1698940271915041201
時間が経ってしまいましたが、ご案内します。
メールが続き申し訳ありません。
URL変更です。
https://twitter.com/pockwXXssN9dPZv/status/1698946563006169393
素敵な記事と写真 ありがとうございました。
「茶房放課後」は3店舗あったんですね。映画館街の「片町店」は、場所はあまり記憶にないけど、いかにも古き良き時代の金沢の繁華街って感じがしますよね。
都ホテルはホテル本体も地下街も今はもうありません。都ホテルの地下街って、映画館もありたくさんの個性的な店がありましたよね。
続編を掲載しましたら、お知らせさせて頂きます。
金沢は再び、活況を帯びてきたようにメディアで報道されています。
また、行ってみたいです。
では。
2012年の記事で金沢駅近くにあった茶房「放課後」のマッチに綴られていた『放課後の詩』を気に入られメモしたものを持っている、と書かれているのを拝見しました。
私もかつて1976年~1983年頃「放課後」によく通っておりまして、あの素敵な詩のことが忘れられません。よろしければ、あの詩を本ブログの記事としてアップしていただけませんでしょうか?
ご検討よろしくお願いします。
今から43年前 高校二年の時に悪友と夜行列車に乗り金沢へ旅行しました。
当時 加賀100万石のお祭りがあり賑やかだった事を思いだします。それと喫茶放課後も行きました。
放課後の灰皿を黙って持ってきてしまいました。
放課後懐かしいですね。
今から43年前 高校二年の時に悪友と夜行列車に乗り金沢へ旅行しました。
当時 加賀100万石のお祭りがあり賑やかだった事を思いだします。それと喫茶放課後も行きました。
放課後の灰皿を黙って持ってきてしまいました。
放課後懐かしいですね。
コメントありがとうございます。
夜行列車の旅!!いいですね。まさに青春ですねえ。
それにしても、今はおしゃれなカフェはたくさん増えましたが、「ザ・喫茶店」って店は、絶滅危惧種みたいになりました。寂しいですよね・・。
放課後でバイトしてました。
オーナーは、三店舗の他金融業もしてたみたいです。
よく自分にお金に困ったら融資してやると言っていました。
余談ですが、(ただ今放課後)の挿入歌(ありがとう)を歌っていた、石坂智子の後輩の女子(デビューが決まっている)と一緒でした。
彼女はオーナーに言われて、お客様のいない時に三原順子の(ドラム)を歌っていました。
記憶が定かではありませんが、3月になり就職が決まってバイトを辞め金沢を離れました。
妻が金沢に旅行に行きたいと言ったので、いろいろ調べていたら、こちらにきて懐かしさのあまり長々とコメントしてしまいました。