コメント
Unknown
(
月
)
2023-03-10 09:44:46
5年半、東山で暮らしました。
もう、10年ばかり、金沢へは行けていませんが、もう、人が沢山でしたね。
もともと観光スポットなのでしたが、私が暮らしていた頃は、日常的には、静かな街でした。
東湯という銭湯に、通っていましたし、東の廓の通りの一軒の下宿屋に住んでいる友達もいましたので、夜になんとなく太鼓の音が聞こえてくることはありましたが、その程度で、昼などは、人通りも、まばらでした。
あの時代も、あの景色も、遠いものとなってしまいました。
暮らした家も、ありませんし。
ブログを、拝見させていただいていると、色んなことを、思い出します。
コメントありがとうございます
(
ku129
)
2023-03-10 11:31:16
月さん、コメントとありがとうございます。「ひがし茶屋街」は、今はむしろ夜の方が東山らしいかもしれませんね。
大学が城内にあった時は、東山界隈にも下宿屋が結構ありましたよね。僕は犀川の桜橋周辺に住んでいたので、自転車すら持っていない貧乏学生は、桜橋から東山まで歩いて友人を訪ね「飲みに行こう」と誘い出して、また歩いて長土塀の「豊精園」まで行く。みたいなのどかな時代でした。
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もう、10年ばかり、金沢へは行けていませんが、もう、人が沢山でしたね。
もともと観光スポットなのでしたが、私が暮らしていた頃は、日常的には、静かな街でした。
東湯という銭湯に、通っていましたし、東の廓の通りの一軒の下宿屋に住んでいる友達もいましたので、夜になんとなく太鼓の音が聞こえてくることはありましたが、その程度で、昼などは、人通りも、まばらでした。
あの時代も、あの景色も、遠いものとなってしまいました。
暮らした家も、ありませんし。
ブログを、拝見させていただいていると、色んなことを、思い出します。
大学が城内にあった時は、東山界隈にも下宿屋が結構ありましたよね。僕は犀川の桜橋周辺に住んでいたので、自転車すら持っていない貧乏学生は、桜橋から東山まで歩いて友人を訪ね「飲みに行こう」と誘い出して、また歩いて長土塀の「豊精園」まで行く。みたいなのどかな時代でした。