秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(記念誌とそろそろ春とサングラス)

2020年03月25日 | Weblog
前略・読者の皆様、お変わりだらけの日常、お変わりございませんか。
今、私の手元には、一冊の記念誌がございます。
東○谷中学校創立50周年記念誌で、ございます。真新しい、印刷の匂いが、鼻をくすぐります。

昭和45年、四つの中学校が統合して、東祖谷中学校が、設立しました。
半世紀の間に、2225名が卒業し、しもに出稼ぎに行かれたり、しもの高校に進学されたり
地元に残った方や、Uターンされた方が現在に至っております。

全136ページ。
卒業者名簿。集合写真。スナップ写真。手記。
この半世紀が、ギュッと136ページに、詰まっております。
「なあ、なあ、中学校の時に、仮装行列に出ただろうー」

最近、友人に聞かれました。私が、まだ記念誌を取りに行っていなかった時で、ございます。
「うん・・・でたけど、なんで?」
不思議な感じで、返事をしながら、私は、応えました。
「わたし、あのときに確か、ヤ○ザの格好したー」
「そうじゃなあ、ヤ○ザと隣りは刑事だろー」
「そう、そう、なんで知っとん!」
「記念誌に、のっとったよー、菜っちゃんの仮装〜」
「え〜!!!」

次の日の休日。速攻、中学校に予約しておいた、記念誌を受け取りに、行った。
あれは、中学2年か、3年の頃だったか、運動会で各クラスで、仮装行列をした。
当時は、3つのクラスがあり、同級生は103人。
私は、なぜか、なにを思ったか?

なぜか、ヤ○ザの格好をした。たぶん、やりたかったんだと、思う。
成りたかったのでは、ないと思う。多分?
大きめのジャケットを肩に羽織り、腹巻をして、父ちゃんの履いていた、大きな雪駄を履いた。
手には、作った包丁を、持っていた。

確か、木切れの先に、アルミホイルを巻いて、本物感を醸し出して?いたことは、ハッキリと覚えている。
悪いことをして、捕まったヤ○ザが、刑事に連行される、シチュエーションだったと、記憶している、
中学生。
卒業の後に広がる、輝く未来を夢に描きながら、キラッキラの瞳で、巣立っていく。美しい、純粋な世代ー。
無限な世界が、果てしなく広がって行く。

わたしは、何が、やりたかったんだ?
敵意剥き出しでは、ないか?
それに、その仮装行列の集合写真。
すこし、隣りの刑事役の子とも、半歩距離を置き、サングラス越しに、無表情で前をじっと向いている。

基本、人は、
変わらない。
私は、ずっと、社会に敵意を抱いたまま、大人になり、オバさんになった。
堪えきれない、怒りが沸点に達した時に、相手に如何なる肩書があろうとも、怒り、1人で立ち向かう!
その馬鹿さ加減は、全く変わっていないが、変わりたいとも、思わない。

みんな、この場所から、それぞれの人生の場所に、駆けて行った。
時代背景は、その時の、顔を造っている。
50年前のモロクロの集合写真を見て、次女が呟いた。
「みんな、兵隊さんの顔みたい…」
明らかに、顔付きが、違って見える。モロクロとか、カラーとかの、違いではない。時代は、人を造る。

存在しながらも、私達は、皆、消えていく。
地球に、核を造ったことが、最大の汚点であり、最大の恐怖であること。
それを、造ったのも、必ず消えて無くなる、人間であること。

1番、造ってはいけないものを、地球上に造り、私達は歴史の途中で、その目撃者となっているにも関わらず
何の抵抗も出来ないままに、未来にそのバトンを、繋げているという、現実。
アルミホイルの短刀を翳した、あの日のワタシに、聞いてみる。

「貴方は、生まれてきて、幸せでしたか?」
ほうれい線をなぞりながら、今の私が、応える。
「それを証明する為に、ラストスパートを賭けるのです」

祖谷と言う名前の、一本の木から、数々の枝が伸び、無数の種が落ち、再び木が育ち、朽ちては、新たな種が育ち。
この記念誌に、閉じ込められた、数々の生命の物語。
旅立つ前の、人生の縮図。
出会いは、きっと約束みたいに、今に繋がっているんだ。
あるようで 無い人生。
無いようで 在る人生。

今、再び、
シンプルになって、思い出してみよう。
全ての答えは、昭和に在る。
皆さま、アルミホイルは、正しくご使用ください。
           かしこ