早いものであれから5年。
新聞やテレビで特集が組まれ、震災に遭われた人々のその後の人生や思いを伝えています。
日本を揺るがした大震災だけに、誰もが直接あるいは間接的に影響を受けていて
この日をそれぞれの思いで過ごすのでしょうね・・・
東日本から遠く離れたこの地で暮らしていても、あの日のことは今でもよく覚えています。
とてもとても個人的なことだけれど、私にとってあの日を思い出すということは
その5日前に亡くなった父を思い出す、ということでもあるのです。
それでもそのニュースを知ったときは ―なんとか仕上がった主人と、亡くなった父の分の確定申告を
市役所に持って行ったときに、姉からの電話で知ったのですが― 東京にいる次女のことが心配で
父の逮夜を急遽欠席して家に戻りましたが。
あれから5年。
時間は止まることなく確実に進み、母はもう娘だけでなく父のこともわからなくなり、
次女は大学を卒業し、主人の心配をよそに今も東京で暮らしています。
それでも、人の心の中で時はどんなふうに刻んでいるのでしょう。
早かったり、ゆっくりだったり、あるいは止まったままだったり・・・
私にとっての3.11は、被災地の今に思いをはせるとともに、亡くなった父とその父を看ていた日々、
そしてあれこれ思い悩んだ当時の自分を思い返し、今いる自分の位置を確かめるための日。
それにあわせるかのように、父からもらった椿が今年もたくさんの花を咲かせています。
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