5月に入りました。おかげさまでこの Blog もここまで続けられています。
暫く、旅行の思い出などを書いてきましたが、そろそろ本来の(?)この Blogのメインの記事にしたいと思います。
初めて伊豆箱根鉄道を訪問しましたのは、先日にも少し書きましたが、1976(昭和51)年7月のことでした。
153系急行が活躍の時代、あとは東海道線は殆どが113系非冷房の時代でした。
当時はまだ快速などは無く、また乗車券も今のような『青春18きっぷ』も無かったです。
東海道線が三島駅に到着したとき、まず眼にしたのはこんな編成でした。
モハ62他
そして上り方先頭車は クハ76
クハ76は、普段見慣れていた西武1411形1430番台とそっくり!
事前に分かっていたことでしたが、やはりその姿には驚きました。
国鉄ホームから乗換改札を通って、いよいよ伊豆箱根鉄道に初乗車です。
ここで、西武529Fが正式に譲渡となったモハ1010編成や次々とやってくる車両たちを眺めていました。
暫くすると、張上げ屋根の美しいモハ63編成がやってきました。
車内も丁寧に手入れされており、とても綺麗だと言うのが伊豆箱根鉄道の第一印象でした。
当時は西武など私鉄の車両は新車並に綺麗に整備されている姿は、ほぼどこでも見られましたが、当時の国鉄は天井も黄ばんでいたり、塗装も雑(転属による塗替えの際も、マスキングが良くなく、前の色が見えていたり…)だったり、がっかりさせられることも多かったです。
さらにモハ63の運転台を見て驚きました。
新型のマスコン、ブレーキ弁も新しいタイプ、2個の圧力計と速度計、旧型の電車の割りにデラックスな運転台には驚きました。
そしてどの運転台にも三嶋大社の交通安全のお札が掛けられています。
それからこれは三島駅のホームでの撮影なのですが、この手前にもう1本の電車が留まっていますね。同一線路上に2編成が…
当時は三島駅は1面2線しか無く、朝のラッシュ時にはこのような策が取られていました。
もちろんホームは6両分は無いので、一部のドア扱いを行わないでの方法でした。
また、モハ63は連結器が自連で、その前に留まっている車両(おそらくモハ57)は密着連結器でした。
三島でしばらく1005編成を待ったのですが、なかなか来なく… 大場工場との約束の時間も近づいてきたので、取あえず1007編成に乗って大場へ向かいました。
大場工場に向かって歩いていると、回送電車が車庫へとやってきました。
先ほど三島に停車していたモハ59のようです。
伊豆箱根鉄道は本社の敷地内に工場があるので、このように正門の横を入って行きます。
大場工場を撮影させていただきました。
左はモハ57、右はモハ63
モハ63は張上げ屋根が非常に美しかったです。一昔の西武311形320番台の姿ですね。
ただ伊豆箱根鉄道では殆どが正面貫通ドアが埋められ、さらに正面窓は数年後には、Hゴム化されています。
また、多くは尾灯も埋込形になっていました。
検修庫内に行ってみると、モハ52編成が整備中でした。
この編成の中央のサハ2006、西武529Fが4両で借入から正式に譲受となったため、余ったサハが老朽車の置き換えに使われることになり、整備中でした。
編成替えと言っても、サハ2006(旧西武サハ1530)の場合は貫通路は広幅、確かモハ52とモハ53の貫通路が改造されていた記憶があります。
この後も、車庫内を撮影したり、電車工場の方にいろいろな話を伺ったりと、とても楽しいひと時を過ごすことができました。
今考えれば、廃車体とか撮影しておけば良かったのですが…
当時はフィルムも現像・プリント代も結構かかりましたからね~
カメラも友人から安く譲っていただいた中古、当時としては”ASA200”のほうがシャッタースピードも上がりよい写真になると思っていたのに、カメラ側を間違って”ASA100”のままで撮影してしまうなど、失敗続きで… お見苦しい画像、お許しください。
暫く、旅行の思い出などを書いてきましたが、そろそろ本来の(?)この Blogのメインの記事にしたいと思います。
初めて伊豆箱根鉄道を訪問しましたのは、先日にも少し書きましたが、1976(昭和51)年7月のことでした。
153系急行が活躍の時代、あとは東海道線は殆どが113系非冷房の時代でした。
当時はまだ快速などは無く、また乗車券も今のような『青春18きっぷ』も無かったです。
東海道線が三島駅に到着したとき、まず眼にしたのはこんな編成でした。
モハ62他
そして上り方先頭車は クハ76
クハ76は、普段見慣れていた西武1411形1430番台とそっくり!
事前に分かっていたことでしたが、やはりその姿には驚きました。
国鉄ホームから乗換改札を通って、いよいよ伊豆箱根鉄道に初乗車です。
ここで、西武529Fが正式に譲渡となったモハ1010編成や次々とやってくる車両たちを眺めていました。
暫くすると、張上げ屋根の美しいモハ63編成がやってきました。
車内も丁寧に手入れされており、とても綺麗だと言うのが伊豆箱根鉄道の第一印象でした。
当時は西武など私鉄の車両は新車並に綺麗に整備されている姿は、ほぼどこでも見られましたが、当時の国鉄は天井も黄ばんでいたり、塗装も雑(転属による塗替えの際も、マスキングが良くなく、前の色が見えていたり…)だったり、がっかりさせられることも多かったです。
さらにモハ63の運転台を見て驚きました。
新型のマスコン、ブレーキ弁も新しいタイプ、2個の圧力計と速度計、旧型の電車の割りにデラックスな運転台には驚きました。
そしてどの運転台にも三嶋大社の交通安全のお札が掛けられています。
それからこれは三島駅のホームでの撮影なのですが、この手前にもう1本の電車が留まっていますね。同一線路上に2編成が…
当時は三島駅は1面2線しか無く、朝のラッシュ時にはこのような策が取られていました。
もちろんホームは6両分は無いので、一部のドア扱いを行わないでの方法でした。
また、モハ63は連結器が自連で、その前に留まっている車両(おそらくモハ57)は密着連結器でした。
三島でしばらく1005編成を待ったのですが、なかなか来なく… 大場工場との約束の時間も近づいてきたので、取あえず1007編成に乗って大場へ向かいました。
大場工場に向かって歩いていると、回送電車が車庫へとやってきました。
先ほど三島に停車していたモハ59のようです。
伊豆箱根鉄道は本社の敷地内に工場があるので、このように正門の横を入って行きます。
大場工場を撮影させていただきました。
左はモハ57、右はモハ63
モハ63は張上げ屋根が非常に美しかったです。一昔の西武311形320番台の姿ですね。
ただ伊豆箱根鉄道では殆どが正面貫通ドアが埋められ、さらに正面窓は数年後には、Hゴム化されています。
また、多くは尾灯も埋込形になっていました。
検修庫内に行ってみると、モハ52編成が整備中でした。
この編成の中央のサハ2006、西武529Fが4両で借入から正式に譲受となったため、余ったサハが老朽車の置き換えに使われることになり、整備中でした。
編成替えと言っても、サハ2006(旧西武サハ1530)の場合は貫通路は広幅、確かモハ52とモハ53の貫通路が改造されていた記憶があります。
この後も、車庫内を撮影したり、電車工場の方にいろいろな話を伺ったりと、とても楽しいひと時を過ごすことができました。
今考えれば、廃車体とか撮影しておけば良かったのですが…
当時はフィルムも現像・プリント代も結構かかりましたからね~
カメラも友人から安く譲っていただいた中古、当時としては”ASA200”のほうがシャッタースピードも上がりよい写真になると思っていたのに、カメラ側を間違って”ASA100”のままで撮影してしまうなど、失敗続きで… お見苦しい画像、お許しください。
留置線は先日1100系の復刻塗装車を撮影した場所なのでちょっと懐かしかったです。
ありましたねえ、17Mのモハが20mのサハを挟んでいた編成、当時私はまだ東京駅や上野駅で特急を撮影していた頃で、こんな遠征はしていませんでした。
当時、伊豆箱根鉄道には旧型国電も1両1両に個性があり、見ていて楽しいところでした。動く博物館と言った感じでした。
この頃はまだHゴム化も殆ど実施されていませんでした。
正面上部の直線塗り分けが西武と異なり、ここに車号が書かれていることに当時新鮮味(?)を感じました。
1000系のHO模型を作りたく資料を集めていますが、なかなか下回りが解りません!是非 画像が有りましたら ご教授お願いします。
1000系第3編成の写真は、いろいろと撮ったつもりなのですが、今考えればもっといろいろな角度から記録しておけば良かったと後悔です。模型化は30年以上前からの夢だったのですが、未だ実現せず…
また少しずつ画像をアップして行きますので、よろしくお願いいたします。