京浜東北線の101系の編成記録、続きです。
1975年3~4月は変則編成が次々と組み替えられましたが、その後はほぼ落ち着きました。
ただ、同番号で揃えられていたサハ101とサハ100が編成から離れたり、連結位置が逆になったりと変わった編成が見られました。
1975(昭和50)年11月現在
浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
+Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
浦32 Mc1-186-M'0-240-T'c0-9
+Mc1-51-M'0-63-T'0-52-T1-215-M1-158-M'0-153-T'c0-62
浦33 Mc1-59-M'0-45-T'c0-49
+Mc1-107-M'0-92-T1-2-T1-283-T'0-2-M1-30-M'c0-18
浦34 Mc1-70-M'0-68-T'c0-56
+Mc1-18-M'0-106-T1-7-T'0-231-T'0-7-M1-102-M'c0-120
浦35 Mc1-40-M'0-69-T'0-102
-M1-245-M'0-239-T1-285-T1-265-T1-52-M1-62-M'c0-67
11月の編成、5編成が揃ったのは最後でしょう。
この後12月12日に浦32編成の6両が南武線に、4両が武蔵小金井に留置されていました。
南武線に行ったのは
Mc1-51-M'0-63-T'0-52-M1-158-M'0-153-T'c0-62
でした。
残った4編成は浦33~35 → 浦32~34となりましたが、この時
浦33 Mc1-70-M'0-68-T'c0-56
+Mc1-18-M'0-106-T'0-7-T'0-231-T1-7-M1-102-M'c0-120
と、サハ101とサハ100が入れ替わっています。(12月20日現在)
そしてこの時点で、浦34編成は12月23日に転出予定となっていました。
更に1976(昭和51)年3月12日にも一編成が転出、20両の小世帯になってしまいました。
1976(昭和51)年11月現在
浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
+Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
浦32 Mc1-18-M'0-106-T'c0-56
+Mc1-70-M'0-68-T'0-7-T'0-231-T1-7-M1-102-M'c0-120
1977(昭和52)年2月19日現在
浦31 Mc1-70-M'0-68-T'c0-7
+Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
浦32 Mc1-18-M'0-106-T'c0-56
+Mc1-41-M'0-145-T'0-7-T'0-231-T1-7-M1-102-M'c0-120
これらも暫くして京浜東北線の103系統一、南武線の新性能化により101系は転出、1970(昭和45)年11月配属以来の幕を閉じました。
ここからの画像は、南武線での活躍の姿。赤羽線からの転入車もあります。
一部は冷房改造されました。
1987年3月29日 12:43 クモハ101-197 立川駅
1987年3月29日 12:47 クモハ100-182 立川駅
1988年3月19日 12:18 クハ100-56他 矢野口駅附近
1988年3月19日 12:24 クハ100-75 矢野口駅附近
1989年5月3日 11:50 クモハ101-186 立川駅
1989年5月3日 13:20 クモハ101-185 府中本町駅
1975年3~4月は変則編成が次々と組み替えられましたが、その後はほぼ落ち着きました。
ただ、同番号で揃えられていたサハ101とサハ100が編成から離れたり、連結位置が逆になったりと変わった編成が見られました。
1975(昭和50)年11月現在
浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
+Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
浦32 Mc1-186-M'0-240-T'c0-9
+Mc1-51-M'0-63-T'0-52-T1-215-M1-158-M'0-153-T'c0-62
浦33 Mc1-59-M'0-45-T'c0-49
+Mc1-107-M'0-92-T1-2-T1-283-T'0-2-M1-30-M'c0-18
浦34 Mc1-70-M'0-68-T'c0-56
+Mc1-18-M'0-106-T1-7-T'0-231-T'0-7-M1-102-M'c0-120
浦35 Mc1-40-M'0-69-T'0-102
-M1-245-M'0-239-T1-285-T1-265-T1-52-M1-62-M'c0-67
11月の編成、5編成が揃ったのは最後でしょう。
この後12月12日に浦32編成の6両が南武線に、4両が武蔵小金井に留置されていました。
南武線に行ったのは
Mc1-51-M'0-63-T'0-52-M1-158-M'0-153-T'c0-62
でした。
残った4編成は浦33~35 → 浦32~34となりましたが、この時
浦33 Mc1-70-M'0-68-T'c0-56
+Mc1-18-M'0-106-T'0-7-T'0-231-T1-7-M1-102-M'c0-120
と、サハ101とサハ100が入れ替わっています。(12月20日現在)
そしてこの時点で、浦34編成は12月23日に転出予定となっていました。
更に1976(昭和51)年3月12日にも一編成が転出、20両の小世帯になってしまいました。
1976(昭和51)年11月現在
浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
+Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
浦32 Mc1-18-M'0-106-T'c0-56
+Mc1-70-M'0-68-T'0-7-T'0-231-T1-7-M1-102-M'c0-120
1977(昭和52)年2月19日現在
浦31 Mc1-70-M'0-68-T'c0-7
+Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
浦32 Mc1-18-M'0-106-T'c0-56
+Mc1-41-M'0-145-T'0-7-T'0-231-T1-7-M1-102-M'c0-120
これらも暫くして京浜東北線の103系統一、南武線の新性能化により101系は転出、1970(昭和45)年11月配属以来の幕を閉じました。
ここからの画像は、南武線での活躍の姿。赤羽線からの転入車もあります。
一部は冷房改造されました。
1987年3月29日 12:43 クモハ101-197 立川駅
1987年3月29日 12:47 クモハ100-182 立川駅
1988年3月19日 12:18 クハ100-56他 矢野口駅附近
1988年3月19日 12:24 クハ100-75 矢野口駅附近
1989年5月3日 11:50 クモハ101-186 立川駅
1989年5月3日 13:20 クモハ101-185 府中本町駅
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