鶴見線には何度も訪問したいと思ったのですが、その後本格的に出かけたのは クモハ12がいよいよ引退となる 1996年3月のことでした。
この直後には武蔵白石駅の線路・ホームも改修され、103系3連化されてしまいました。
こちらは海芝浦駅、20年以上前とも車両が黄色い103系になった以外には、大きな変化は無かったようでした。ホームの短い屋根、ホームのすぐ横は海というのもこの駅らしいです。
1975(昭和50)年2月現在の鶴見線の編成表を弁天橋電車区で書き写したものがありましたので、掲載しておきます。
クモハ73325+モハ72586+クハ79358
クモハ73291+モハ72577+クハ79178
クモハ73029+モハ72686+クハ79356
クモハ73265+モハ72542+クハ79164
クモハ73105+モハ72554+クハ79246
クモハ73127+モハ72538+クハ79202
クモハ73309+モハ72548+クハ79190
クモハ73163+モハ72551+クハ79162
クモハ73255+モハ72688+クハ79224
クモハ73337+モハ72621+クハ79134
クモハ73335+モハ72591+クハ79156
クモハ73245+モハ72970+クハ79130
こちらは1976(昭和51)年2月に鶴見線を訪問したときの、きっぷ です。
当時の初乗りが30円だったのも懐かしいです。大川と昭和は委託販売の売店で売られていたものです。
この時は川崎から横須賀線に乗って鎌倉へ行き、江ノ電の写真も撮ったのですが…
こちらのネガは現像失敗で影形すら残っていませんので…
きっぷ が唯一の思い出の品です。当時は当然硬券が売られていました。都区内まで290円という値段も当時らしいです。
この直後には武蔵白石駅の線路・ホームも改修され、103系3連化されてしまいました。
こちらは海芝浦駅、20年以上前とも車両が黄色い103系になった以外には、大きな変化は無かったようでした。ホームの短い屋根、ホームのすぐ横は海というのもこの駅らしいです。
1975(昭和50)年2月現在の鶴見線の編成表を弁天橋電車区で書き写したものがありましたので、掲載しておきます。
クモハ73325+モハ72586+クハ79358
クモハ73291+モハ72577+クハ79178
クモハ73029+モハ72686+クハ79356
クモハ73265+モハ72542+クハ79164
クモハ73105+モハ72554+クハ79246
クモハ73127+モハ72538+クハ79202
クモハ73309+モハ72548+クハ79190
クモハ73163+モハ72551+クハ79162
クモハ73255+モハ72688+クハ79224
クモハ73337+モハ72621+クハ79134
クモハ73335+モハ72591+クハ79156
クモハ73245+モハ72970+クハ79130
こちらは1976(昭和51)年2月に鶴見線を訪問したときの、きっぷ です。
当時の初乗りが30円だったのも懐かしいです。大川と昭和は委託販売の売店で売られていたものです。
この時は川崎から横須賀線に乗って鎌倉へ行き、江ノ電の写真も撮ったのですが…
こちらのネガは現像失敗で影形すら残っていませんので…
きっぷ が唯一の思い出の品です。当時は当然硬券が売られていました。都区内まで290円という値段も当時らしいです。
京浜工業地帯のローカル線(鶴見線)ですが、神戸の(和田岬線)も同じような
都会のローカル線です。山陽線の兵庫駅から和田岬まで僅か3Kmにも満たない
短距離路線で、途中駅はありません。終点は三菱重工など重工業地帯ですので
旅客輸送はこれ等の工場通勤者が殆んどで、列車ダイヤも朝夕しか運転が無く
日中は運行がありません。休日も朝夕に各一往復と極端に列車が少ない変った
路線です。電化は最近の事でキハ30やそれ以前はDL牽引の客レで運転されて
いました。それで終点兵庫駅には機回し線が有りますが、電車(103系)化された
後も沿線にあります川崎重工の甲種輸送機関車の機回しに利用されています。
余り関係の無い話で恐縮でした。
和田岬線、行ったことはないのですが、客車に中央扉増設やキハ35の片側の2箇所の扉塞ぎと、ラッシュ対応でユニークな車両が活躍していましたね。
工業地帯を走る鉄道、車社会になってもラッシュはやはり鉄道の力を発揮するところで、鶴見線も朝はかなり混雑のようです。かつて40年近く前に訪問したときは、鶴見線は日中でも10分間隔くらいで走っていたので、3両編成の車内はガラガラ、まさに空気を運んでいるような感じでした。その後のダイヤ改正で極端に減便されてしまいましたが…
また鶴見線を訪問したくなりました。そう言えば未だに昭和~扇町は未乗車でしたので。