今の233系などと比べるととってもシンプルな車両でしたが、車両ごとに変化があったり、編成もバラエティに富んでいて、101系は懐かしいものです。
101系と言うと、大抵の方は中央線や総武線を連想されると思いますが、当時、私は京浜東北線の浦和電車区にたいへんお世話になっていて、しばしば訪れていたものでした。
その為、ここの写真は当然すべて許可を取って(と言うか、電車区の運転事務室の方の案内にて)撮影したものです。
ここから6枚目までは、1976年1月22日 浦和電車区にて
この画像は以前にもアップいたしましたが、クモハ100-18です。京浜東北線配属時は唯一のPS-13パンタ付でしたが、撮影時は残念ながら PS-16に交換されてしまいました。
101系になる前の90形として登場したもので、各所に初期車の特徴がありました。外観では尾灯が内側から交換するタイプの小型です。
車内では、運転室仕切り窓が大窓タイプです。
ちょっと判り難いですが、つり革が少ないです。
運転台は103系と比べると、ややシンプルに感じますが、ゴチャゴチャに感じた103系より個人的に好きでした。
こちらは運転台後の放送装置です。
DT-21台車は乗り心地も良くって好ましいものでした。
ここからの画像は、1976年11月2日 浦和電車区にて
クハ100-56です。先頭のクモハ101-70・モハ100-68は入場中だったのでしょう。
このクハ100-56はその後南武線に転属になり、冷房改造されています。
こちらは中間になってしまっていますが、クモハ101-18です。
クモハ100-18とは一緒に製造されながらも、別ユニットになってしまいました。
クモハ101-18の運転台です。こちらだと、機械式の速度計が少しは判るのではないかと…
この機械式、電気式と違ってカチッ、カチッと針を刻んで行くもの、また進行方向の逆になると針が振れないものでした。
手ブレーキも、旧型のようなものでした。
こちらは連結面貫通ドア横、3人掛けの座席横の機器箱です。
スイッチ類が並んでいました。
101系と言うと、大抵の方は中央線や総武線を連想されると思いますが、当時、私は京浜東北線の浦和電車区にたいへんお世話になっていて、しばしば訪れていたものでした。
その為、ここの写真は当然すべて許可を取って(と言うか、電車区の運転事務室の方の案内にて)撮影したものです。
ここから6枚目までは、1976年1月22日 浦和電車区にて
この画像は以前にもアップいたしましたが、クモハ100-18です。京浜東北線配属時は唯一のPS-13パンタ付でしたが、撮影時は残念ながら PS-16に交換されてしまいました。
101系になる前の90形として登場したもので、各所に初期車の特徴がありました。外観では尾灯が内側から交換するタイプの小型です。
車内では、運転室仕切り窓が大窓タイプです。
ちょっと判り難いですが、つり革が少ないです。
運転台は103系と比べると、ややシンプルに感じますが、ゴチャゴチャに感じた103系より個人的に好きでした。
こちらは運転台後の放送装置です。
DT-21台車は乗り心地も良くって好ましいものでした。
ここからの画像は、1976年11月2日 浦和電車区にて
クハ100-56です。先頭のクモハ101-70・モハ100-68は入場中だったのでしょう。
このクハ100-56はその後南武線に転属になり、冷房改造されています。
こちらは中間になってしまっていますが、クモハ101-18です。
クモハ100-18とは一緒に製造されながらも、別ユニットになってしまいました。
クモハ101-18の運転台です。こちらだと、機械式の速度計が少しは判るのではないかと…
この機械式、電気式と違ってカチッ、カチッと針を刻んで行くもの、また進行方向の逆になると針が振れないものでした。
手ブレーキも、旧型のようなものでした。
こちらは連結面貫通ドア横、3人掛けの座席横の機器箱です。
スイッチ類が並んでいました。
101系の懐かしい写真ありがとうございます。
モハ72系920番台全金車からモハ90系へ美しい車体が引き継がれました。
90系の試作車は埋め込み雨樋、大きな押し込みベンチレーター、大きなドア窓と戸袋
等国鉄初の高性能車ということで、大変力の入った設計でした。足回りもDT21台車
に電制付きHSCD、ベルト駆動の新型コンプ、MGとセットになった強制通風抵抗器等
新しいもの尽くめで見とれたものでした。ただ仰るようにパンタだけは当初はPS13でしたね。
車内写真を見て、広い仕切り窓が有ったのを思い出しました。パイプを多用した車内も
この時代の特徴でしたね。
速度計が機械式だったのは知りませんでした。西武501系もそうでしたが時計の様な音でした。
山手線に短期間入った黄色い101系、物珍しくて何周も乗ってしまいました。中央線と違い
殆んど惰行運転で性能を持て余していたようでした。
広島地区は激しい豪雨により被害が大きかったですが大丈夫でしたか? 地域の皆様にはお見舞い申し上げます。鉄道にも大きな被害が無ければ良いのですが。
西武線のピンク系の明るい車内で育った私にとっては、当時の緑系の車内は何となく冷たく感じられたものでした。でも当時の103系よりは車内・外とも比較的綺麗に整備される101系は好ましく感じました。
山手線はあっという間に103系に置き換えられてしまいましたね。まあ性能を充分に発揮できないので、止むを得ないことですが。その名残の6M2Tの101系が赤羽線には昭和50年代まで残りましたね。赤羽線の101系が京浜東北線の101系とほぼ同時期、南武線の新性能化により転属してしまった時はやはり寂しく感じたものです。
局地的な集中豪雨でレーダー画像から雨域幅は狭いのですが、北東方向に
連続した積乱雲が連なり大雨が継続しました。丁度可部線沿線に沿ったような
形で地域に大きな被害が出てしまいました。被害がこれ以上広がらないことを
願うのみです。
ご丁寧に有難うございました。