時系列で写真を紹介して行きます。
最初の写真は、街道への入り口です。
入ってすぐにある庚申様
山道を歩き、ひたすら登ります。
途中の林道からの風景。少し道を逸れて。
そして、また登ります。
途中にある炭焼きの跡。天井部分がしっかり残っているものは初めて見ました。
棚田の石積みが多く見られます。
熊野あらけ隊の方々が道標や休憩するための場所などを設置してくれています。
見事な石畳の道が4箇所にあります。
ここが一つのポイント。ライオン広場の石畳
何か祀られていた跡。ここの記憶は同行していただいた方もわからないようでした。
昭和46年に井戸町で多くの犠牲者を出した土砂災害の突端。
かなり山上から土砂が崩れました。説明を聞く参加者のみなさん。
入ってすぐにある庚申様
山道を歩き、ひたすら登ります。
途中の林道からの風景。少し道を逸れて。
そして、また登ります。
途中にある炭焼きの跡。天井部分がしっかり残っているものは初めて見ました。
棚田の石積みが多く見られます。
熊野あらけ隊の方々が道標や休憩するための場所などを設置してくれています。
見事な石畳の道が4箇所にあります。
ここが一つのポイント。ライオン広場の石畳
何か祀られていた跡。ここの記憶は同行していただいた方もわからないようでした。
昭和46年に井戸町で多くの犠牲者を出した土砂災害の突端。
かなり山上から土砂が崩れました。説明を聞く参加者のみなさん。
お昼の場所までもう少し、スタッフの粋な計らい。
広い作業道に出て昼食。午後はここから戻り、途中池川へと方向を変えました。
池川の上の方にあった一軒家。この手前にはこの家の方が作っていた田んぼの跡も。
かなり山の上まで棚田がある地域です。
もし残っていれば、丸山千枚田を超える規模だったでしょう。
ひっそりと佇む稲作作業のための機械。
蔵が残っていましたが、自然に飲み込まれそうでした。
目の前にクマノザクラ。花の時期に来たかった。
展望台から一乗寺に向けて下って行きます。
軽トラックが入るように作られたセメントの道ですが、もう誰もここまで来ないのか苔に覆われていました。
目の前にクマノザクラ。花の時期に来たかった。
展望台から一乗寺に向けて下って行きます。
軽トラックが入るように作られたセメントの道ですが、もう誰もここまで来ないのか苔に覆われていました。
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