立ち飲みから見る大阪と東京人の気質の違いについて、ここ最近触れてきた。
立ち飲み屋の入り方から、オーダーの仕方、立ち飲み屋の過ごし方から、退店まで、あらゆる部分において所作が違う。
そもそも、東京駅と大阪駅で、立ち飲みの数が違う。これが気質の違いを如実に表す。
大阪の立ち飲みは様々な階層の人々が集う。
サラリーマンから主婦まで。この梅田駅の地下にある「松葉」もそうだ。ホワイトカラー、ブルーカラー、ご隠居、そして主婦と大勢の人がひしめきあう。主婦は買い物かごを下げ、いかにも買い物の途中といった風で店に寄る。そして1,000円も使わぬうちに店を出ていく。その潔さは見ていて清々しい。
一方、東京の立ち飲み屋で主婦と思しき人を見たことがない。しかもおばちゃん一人という客も見た記憶がない。おばちゃんはおばちゃんでもOLおばちゃんの一人客なら、東京にもいないことはない。それでも40代のおばちゃんが精いっぱいだ。
大阪の主婦は明らかに50代と思しき御仁で、買い物袋を下げたうえで、生ビールと串カツをいただいていた。まさに日常の中に立ち飲みが溶け込んでいるのだと思った。
大阪には串カツの立ち飲みが多い。
東京でも最近は、大阪を真似て串カツの立ち飲みが一瞬ブームを迎えたが、でも東京の立ち飲みは圧倒的に串焼きが多い。
串焼きはテイクアウトの店があって、わざわざ店で食べる必要がない。しかしながら、串カツはそういう店がないうえ、油を使うなど、調理が面倒だ。だが、1本80円から食べられる串カツはどんなに気軽だろうか。
大阪人は立ち飲み屋に入ると迷いがない。何を食べるか、何を飲むか、考えぬまま気の思うままに、円滑にオーダーする。もちろん、オーダーする慣れもあるのだろう。だが、換言すると、大阪人には決めた店しか行かないような傾向があると感じた。もっと言えば、暮らしのリズムの中に立ち飲みがあるのだろう。もちろん、東京にもそういう人は少なくない。だが、駅の近くに立ち飲みがあり、会社と家の途中でルーティンとして必ず立ち寄る店として大阪人は立ち飲みを認知していると感じる。
だから、大阪人はたいてい一人で立ち飲み屋に訪れ、一人立ち飲みで過ごす。黙々と食べて飲んで過ごす。
多分、立ち飲みの機能性が大阪と東京で違うのかもしれない。
ひたすら食べと飲みに徹する大阪人は立ち飲みとは実用性の何ものでもない。憩いの場ではなく、ただひたすらに自分の欲望を満たすだけの場のようだ。東京の立ち飲みは公共的な場という考え方があって、数人で訪れることが多い。いや、ひとり客が多い店もあるから一概には言えないが、おのれの腹を満たすために訪問する風には見えない。
だから、大阪人は長っ尻をしない。用が済んだらとっとと帰るのだ。だから使うお金も1,000円を下回っている。一方、東京はどうだろうか。公共空間性が強いことで、滞在時間も長い。だから、センベロなんて言葉が生まれるのだ。
かつての江戸文化において、蕎麦は長っ尻をせず、さっさと蕎麦前をいただき、蕎麦を食べて帰るのが美しいとされた。だが、その江戸文化は今や昔。居酒屋をはじめ、できうる限り滞在時間を長くして客単価を上げることに腐心する。
だから、大阪人は店の去り方もかっこいい。
粋なんて言葉はもう昔なのだろうか。残念ながら、東京の立ち飲みでもはや粋な姿を見ることがない。
断然大阪人の方がかっこいいと思う。
「松葉」の梅田駅地下店で過ごして、ボクはそう思った。
次から次へと客が来る。どんなにちょっとしか隙間がなくとも、大阪人は力強く、その隙間にかいくぐって入ってくる。
なんと大阪人は逞しいのだろうか。一方、東京は形式や格好ばかりに気を囚われて小さな隙間に入っていこうというしたたかさはない。
どっちが美しいかは分からない。でも生きるために貪欲である大阪人の姿にボクはいつも感動する。
地元にいないから、「松葉」の件の空気感は分からないけど、多分いろいろあると思うよ。
でも、こないだ梅田に行ったら、駅がかなりこぎれいになっていて、なんか残念だったよ。
大阪は、やっぱりごちゃごちゃしているから大阪なんだと思うよ。
でも、タチノミストとして、地下の「松葉」に行けたことはよかったよ。
だからって大阪のおばちゃんが、己のスタイルだからってシミーズで家の前に水まくのは勘弁して欲しいけど。
なお、お好み焼きをおかずに飯食ってとか大阪人を笑ってるけど、俺も刻みきつねうどんにご飯、とかやってるからねえ。(笑)
ちなみに、松葉の立ち退き問題は、権力に対して反骨精神を出すことが良い!?とされている関西においては、支持も多かったよ。「とことんやれ!」って言う声や閉店を惜しむ声もたくさんあったけど、俺はどうもこの件については、むしろ行政と癒着していたがゆえの既得権益のほうがプンプンと漂ってた気がして、全然共感できなかったんだよなあ。
「今まで、そんな賃料で暴利!?を貪っとったんかい!それにまだしがみつこうとするんかい!そして、そんな形で利益供与してもらった行政に、自己利益の事は隠して、みなに愛されてるとかいう理由を盾に最後まで抵抗するってなんやねん。ちょっとした出来レースか!」と、思ってしまったんだよね。
だから、たまに大阪に行くと、本当に目からウロコ。
そういう師もやっぱりかっこいいと思うんだ?
「あいつら、お好み焼きで飯を食う」と大阪人を誹謗していた師なのに。
そうか、松葉が閉店したのは立ち退きだったか。
立ち飲みが立ち退きっていうのはシャレにもならんね。
しかし、行政の有無も言わさぬ立ち退きに抵抗するっていうのもかっこいいよ。既得権益とかゴネ得を狙っているとか、いろいろ言われるだろうけれど、お上に反抗して、最後まで店を開けていたっていうのは、ボクは評価に値すると思うね。
「己のままに生きる。」ことこそが、大阪人の誇りなのではないかと思うし、己を表に出さず、斟酌した言葉を言う事が美徳!?とされている(現代ではそうでもないけど)京都人から見ると、それこそがカッコいいことだと思うよ。
ちなみにこの松葉、行政からの立ち退き勧告に最後まで抵抗した後に退去した。
超格安の賃料という既得権益を、相当儲かっていたであろうに、手放したくないから(かどうかはわからないけど)最後まで抵抗するというのもまた、関西人らしいなあと思った次第だよ。