仕事を終え、さて立ち飲み屋へ行こうか、と会社を出たときにふと思った。
一人暮らしも残すところ一ヶ月あまりとなった今、果たしてその残された貴重な時間を立ち飲み屋訪問に費やしていいのか、と。
立ち飲み屋ならば妻が帰ってきてもサッと飲んでサッと帰ればいいのだから、むしろいつでも行ける。この自由な時間は本格居酒屋に費やされるべきではないか。 一人暮らしであるから、金の流れもチェックされない。今なら、少々高価なお店でもお咎めなしだ。
そう思い立つとボクは秋葉原駅に向かう足を止め、正反対の方角へと歩き始めたのである。
行く先は湯島。
そう、目指すは「正一合の店 シンスケ」である。
「シンスケ」…言わずと知れた居酒屋の名店。
天神様女坂下にあるお店は厳粛な雰囲気を湛え、威風堂々と鎮座する。辺りの空気はピンと張り詰め、経験の浅い若輩者などを全く寄せ付けない霊峰のように佇んでいる。
ボクは2年ほど前に「シンスケ」にトライしたことがある。
だが、いともたやすくボクはそのオーラに跳ね返された。
ボクはたちまち尻尾をまいて逃げた。
それから2年、決して経験を兼ね備えた訳でもないのだが、もう一度チャレンジする機会を得たのだ。
「食楽」(徳間書店)09年1月号によると、同店の開店は大正13年。
「居酒屋の前はこの地で酒屋を営んでいたというから、江戸時代に遡る老舗である」と綴られている。
名所の神社には必ず、酒場の名店があり、どうやら同店もその例に漏れない。
谷真酉美さんが唄う「湯島の白梅」は戦前のヒット曲。歌謡曲にもなるくらいだから、恐らく当時の、或いはそれ以前の湯島は相当賑わったのであろう。
ともあれ、居酒屋の開店から既に85年。老舗中の老舗がこの「シンスケ」だ。
おいそれと若造が店には入れないオーラを出している。
お店の外観の説明はこれ以上にない絶妙な表現で表している太田和彦さんの文章を引用したい。
「黒格子に清潔な縄暖簾、曇りガラスにシンスケと透かした腰板引戸、酒林(杉玉)、緑を添えた蹲の打ち水が清々しい」(「居酒屋味酒欄=新潮社」。
創業から85年といえども、恐らく近年建て直しをされていると思われ、外観は至って清潔である。
ボクは極めて冷静に努めながら同店の暖簾をくぐったのである。
恐らく、店は既に満席だろうと思いきや、意外にもカウンターに幾つかの空席があり、思いもかけずボクは座ることができた。
居酒屋放浪記を始めて4年足らず、ようやく、ようやくボクはここに辿りつくことができたのだ。
白木の壁が店内を清潔に、そして明るくみせている。
一枚板のカウンターがこの空間をピシッとけじめをつけ、座るものに適度な緊張感を与える。
瓶ビールを頼んだ。
キリンラガークラシック(600円)(サッポロヱビスもあり)。
老舗は頑固にキリン!だが、ラガーも今やドラフトと化し、かつての苦味は今や昔。そこで、老舗が選ぶのが「クラシック」!これこれ、この苦味!これこそ、昔のビールだ。
そんなことを感じながら、ボクは「ねぎぬた」(750円)を頼んだ。
しかし、この値段はけっこうなもの。
実は、「まぐろぬた」を頼もうとしたのだが、これが実に1,100円もの金額なのだ。これは、ボクの人智を超えている。ビールと「ねぎぬた」で既に立ち飲み屋で一回飲む金額を超えてしまっているのだ(お通し300円も含む)。
そのため、「まぐろぬた」をやめて、「ねぎぬた」にしたのだった。
何気なしに周囲を見回す。
カウンターに座る御仁たち。
或いは、カウンターの向こうに座るロマンスグレーの面々。
ほとんどが、会社の役員クラスに見える。少なくとも、ボクが最年少だ。
橋本健二先生の「ほろよい居酒屋考現学」(毎日新聞社)は居酒屋を通して格差社会の進展を浮き彫りにした好著だが、老舗の居酒屋がもはや庶民のものではないということをまざまざと感じさせる。
それは、かつて文楽や歌舞伎が大衆芸能であったものが、いまや古典の芸能として庶民の手から離れてしまったさまに似ている。
周囲を見渡すと居心地が悪くなるので、ボクは見るのをやめた。
「ねぎぬた」は素晴らしい味だった。
峻烈!一切の無駄を排除した鮮烈さ!シンプル!
太田和彦さんの言葉を借りれば「肴は全ておだやかでいて、時に鋭い切れ味をみせる居酒屋料理の最高に洗練されたものだ」(居酒屋味酒欄)。
そして、「ねぎぬた」を盛ったかわいらしい器がまた料理を映えさせる。
「上品な白味噌に辛子をきかせてさっぱり仕上げる」(「食楽」09年1月号)という「ぬた」の味。
これにはやはりお酒がベストマッチングだろう。
同店が取り扱うお酒の銘柄は「両関」(両関酒造㈱)のみ。
ボクの目の前に立つ三代目後主人にお酒を頼んだ。燗をつけてもらいたかったから、「本醸造」(550円)を頼む。
その手際よさは見ていて実に清々しい。
チビチビと「ねぎぬた」を食べつつ(貧乏性のため)、燗酒でチビリとやると、 いつもあくせくと立ちながら飲んでいる酒場と全く異なることに気がついた。
心が落ち着いていくのが肌で感じる。
これは、実にかけがえのない時間だ。
最後にお酒をもう一本と「特製玉豆ふ」(500円)をいただいた。
丸い絹ごしの豆腐は滑らかでなんとも上品。
もずくが豆腐の周囲を彩り、だし風味のつゆがとにかくおいしい。
500円の冷奴なんて初めて食べた。
「居酒屋は独りでリラックスできる場所。大人の遊び場でありたい」。
と言うのは4代目の矢野直治さん(「食楽」09年1月号)。
独りで来ていたのはボク以外いなかったが、確かにボクは心いくまで料理と酒を堪能させてもらった。
肴は高価だが、その空間と雰囲気を含めればお釣りがくるかもしれない。
だが、毎日は行けないし、1ヶ月に1度だって厳しい。
東京の粋を思い出したいときにまた店の暖簾をくぐるかもしれない。
店を出て、ボクは春日通りを渡り、「らーめん天神下 大喜」の「らーめん」(680円)でこの日を〆た。
一人暮らしも残すところ一ヶ月あまりとなった今、果たしてその残された貴重な時間を立ち飲み屋訪問に費やしていいのか、と。
立ち飲み屋ならば妻が帰ってきてもサッと飲んでサッと帰ればいいのだから、むしろいつでも行ける。この自由な時間は本格居酒屋に費やされるべきではないか。 一人暮らしであるから、金の流れもチェックされない。今なら、少々高価なお店でもお咎めなしだ。
そう思い立つとボクは秋葉原駅に向かう足を止め、正反対の方角へと歩き始めたのである。
行く先は湯島。
そう、目指すは「正一合の店 シンスケ」である。
「シンスケ」…言わずと知れた居酒屋の名店。
天神様女坂下にあるお店は厳粛な雰囲気を湛え、威風堂々と鎮座する。辺りの空気はピンと張り詰め、経験の浅い若輩者などを全く寄せ付けない霊峰のように佇んでいる。
ボクは2年ほど前に「シンスケ」にトライしたことがある。
だが、いともたやすくボクはそのオーラに跳ね返された。
ボクはたちまち尻尾をまいて逃げた。
それから2年、決して経験を兼ね備えた訳でもないのだが、もう一度チャレンジする機会を得たのだ。
「食楽」(徳間書店)09年1月号によると、同店の開店は大正13年。
「居酒屋の前はこの地で酒屋を営んでいたというから、江戸時代に遡る老舗である」と綴られている。
名所の神社には必ず、酒場の名店があり、どうやら同店もその例に漏れない。
谷真酉美さんが唄う「湯島の白梅」は戦前のヒット曲。歌謡曲にもなるくらいだから、恐らく当時の、或いはそれ以前の湯島は相当賑わったのであろう。
ともあれ、居酒屋の開店から既に85年。老舗中の老舗がこの「シンスケ」だ。
おいそれと若造が店には入れないオーラを出している。
お店の外観の説明はこれ以上にない絶妙な表現で表している太田和彦さんの文章を引用したい。
「黒格子に清潔な縄暖簾、曇りガラスにシンスケと透かした腰板引戸、酒林(杉玉)、緑を添えた蹲の打ち水が清々しい」(「居酒屋味酒欄=新潮社」。
創業から85年といえども、恐らく近年建て直しをされていると思われ、外観は至って清潔である。
ボクは極めて冷静に努めながら同店の暖簾をくぐったのである。
恐らく、店は既に満席だろうと思いきや、意外にもカウンターに幾つかの空席があり、思いもかけずボクは座ることができた。
居酒屋放浪記を始めて4年足らず、ようやく、ようやくボクはここに辿りつくことができたのだ。
白木の壁が店内を清潔に、そして明るくみせている。
一枚板のカウンターがこの空間をピシッとけじめをつけ、座るものに適度な緊張感を与える。
瓶ビールを頼んだ。
キリンラガークラシック(600円)(サッポロヱビスもあり)。
老舗は頑固にキリン!だが、ラガーも今やドラフトと化し、かつての苦味は今や昔。そこで、老舗が選ぶのが「クラシック」!これこれ、この苦味!これこそ、昔のビールだ。
そんなことを感じながら、ボクは「ねぎぬた」(750円)を頼んだ。
しかし、この値段はけっこうなもの。
実は、「まぐろぬた」を頼もうとしたのだが、これが実に1,100円もの金額なのだ。これは、ボクの人智を超えている。ビールと「ねぎぬた」で既に立ち飲み屋で一回飲む金額を超えてしまっているのだ(お通し300円も含む)。
そのため、「まぐろぬた」をやめて、「ねぎぬた」にしたのだった。
何気なしに周囲を見回す。
カウンターに座る御仁たち。
或いは、カウンターの向こうに座るロマンスグレーの面々。
ほとんどが、会社の役員クラスに見える。少なくとも、ボクが最年少だ。
橋本健二先生の「ほろよい居酒屋考現学」(毎日新聞社)は居酒屋を通して格差社会の進展を浮き彫りにした好著だが、老舗の居酒屋がもはや庶民のものではないということをまざまざと感じさせる。
それは、かつて文楽や歌舞伎が大衆芸能であったものが、いまや古典の芸能として庶民の手から離れてしまったさまに似ている。
周囲を見渡すと居心地が悪くなるので、ボクは見るのをやめた。
「ねぎぬた」は素晴らしい味だった。
峻烈!一切の無駄を排除した鮮烈さ!シンプル!
太田和彦さんの言葉を借りれば「肴は全ておだやかでいて、時に鋭い切れ味をみせる居酒屋料理の最高に洗練されたものだ」(居酒屋味酒欄)。
そして、「ねぎぬた」を盛ったかわいらしい器がまた料理を映えさせる。
「上品な白味噌に辛子をきかせてさっぱり仕上げる」(「食楽」09年1月号)という「ぬた」の味。
これにはやはりお酒がベストマッチングだろう。
同店が取り扱うお酒の銘柄は「両関」(両関酒造㈱)のみ。
ボクの目の前に立つ三代目後主人にお酒を頼んだ。燗をつけてもらいたかったから、「本醸造」(550円)を頼む。
その手際よさは見ていて実に清々しい。
チビチビと「ねぎぬた」を食べつつ(貧乏性のため)、燗酒でチビリとやると、 いつもあくせくと立ちながら飲んでいる酒場と全く異なることに気がついた。
心が落ち着いていくのが肌で感じる。
これは、実にかけがえのない時間だ。
最後にお酒をもう一本と「特製玉豆ふ」(500円)をいただいた。
丸い絹ごしの豆腐は滑らかでなんとも上品。
もずくが豆腐の周囲を彩り、だし風味のつゆがとにかくおいしい。
500円の冷奴なんて初めて食べた。
「居酒屋は独りでリラックスできる場所。大人の遊び場でありたい」。
と言うのは4代目の矢野直治さん(「食楽」09年1月号)。
独りで来ていたのはボク以外いなかったが、確かにボクは心いくまで料理と酒を堪能させてもらった。
肴は高価だが、その空間と雰囲気を含めればお釣りがくるかもしれない。
だが、毎日は行けないし、1ヶ月に1度だって厳しい。
東京の粋を思い出したいときにまた店の暖簾をくぐるかもしれない。
店を出て、ボクは春日通りを渡り、「らーめん天神下 大喜」の「らーめん」(680円)でこの日を〆た。
カウンター席に座り、テレビで大相撲(野球じゃなく)観戦しながら、生ビールで焼き鳥なんか食べたいな。←妄想中。
居酒屋のテレビって野球より大相撲のほうが断然多いですよ。
大相撲といえば焼鳥ですねぇ。
国技館の焼鳥って、確か1日何万本も焼くっていいますよね。
何本か忘れてしまいましたが…。
じっくり座って飲む愉しさをこの「シンスケ」で思い出しました。
ところで、「両関」って秋田県のお酒ですよね。
秋田県民にとってはもっともポピュラーな酒なのでしょうか?
湯島って立ち飲み的には過疎地で、いつも上野に行っちゃうんですよ。それに湯島は父親の庭であり、あまり荒らすわけにもいかず(笑)
ボクの放浪も180度転換した感じです。
若旦那さんは「鍵屋」には行かれたことがありますか?
わたしは、なかなか足を運べませんが、やはりいつか行ってみたいですね。
湯島は坂の上の向こうにはまだ行ったことがないのですが、立ち飲み屋を探すのは困難な雰囲気ですね。
住所は湯島ではありませんが、銀座線の末広町駅と湯島駅の中間あたりに「立ちのみどころ えどや」があります。
http://blog.goo.ne.jp/kumaneko71/e/8518e7d1265a1b13902157c5864364ce
昨年の7月前半の立ち飲み部門で月間アワードを受賞しています。
「えどや」は存じ上げております。確か、初めて着物を来て立ち飲みに行ったのが、「えどや」でした。夏だったので、さらっと着流し一枚で行った気がします。
探されたのは、立ち飲み通の嗅覚でしょうか?
古き伝統の酒場も若い感性でどう感じるのか。それもひとつの楽しみかと思います。
また、古典酒場には着物が似合うことでしょう。
その後すぐに無くなり、現在の場所に移転です。
学生時代、シンスケが未だ木造の頃に友人とよく行きました、肴は好いのですが酒が両関だけで揃えられているので飽きて仕舞い、
行ったことのない友人の案内とかでしか行かなくなりました。
神楽坂の『伊勢藤』も雰囲気と肴は好いのですが酒が1種なので(ビールも無い)飽きました。
『みますや』は古いのですが、めし屋の感じがして、それはそれで好いのでしょうが、私には酒場の感じがあまりしません。
秋葉原の『赤津加』は電気街の中にあっても戸をくぐると静けさを感じる落ち着いた飲み屋で好きです。
横浜、桜木町の『武蔵屋』は建物といい肴(コースで付いてくる)といいもてなしといい、酒は1種なのですが別格に寛げるので大好きです。
小さな小さな古い酒場は沢山ありますが、女将さんが草臥れていたり、汚くて寂れて格が無い所が多いですが、上野桜木町の酒亭『おせん』は寛げる好い店です。早く行かないとなくなってしまうので足を運ぶようにしています。
酒場ではないのですが本郷のおでん屋『呑喜』は私が小学校へ通う道にありました、
夕刻になると赤い灯がともり、内では大人たちが楽しそうに話す声がして『大人になって早く入ってみたい・・・・・』と思っていました、此の店には大人になってだいぶたってから行きました、今でも気軽に晩酌を出来るいい店です。(ここも100年ほど続いてる店ですが、跡継ぎが無く、何時まであるか心配です。)
『呑喜』になかなか行かなかった訳は、
すぐ前に『南洲屋』と言う古い泡盛の店があり昔はカウンターだけの7~8人の狭い店でした、高校生の頃夜中に行って一人左端の席に座ったらおばあちゃんが『そこは昔よく太宰治が座った席だよ・・・』と教えてくれました、此の店が居心地が良くて泡盛と名物の鍋に用意された肉豆腐を食べて友人達と演劇や小説の話に口角泡を飛ばしたのが懐かしく思い返されます。
東京酒場の生き字引ですね。
わたしのような鼻タレは足元にも及びません。
しかし、この貴重なコメントは大変参考になりました。いずれも、その景色が目に浮かんでくるようです。
ティコティコさんを兄貴って呼んでいいですか?
私そんな身分ではありませんよ(笑)
隠居のティコでございます。
これからもよろしくお願いしますね~♪
先ほどの名文はコメント欄に掲載しておくのがもったいないです。
酒が人生を深くするのか、人生に深みがあるから酒場に呼ばれるのか。
ティコティコさんには人生の深みを感じてしまいます。