朝食をとり、宿へ戻ると部屋をシェアしたF井さんが、荷物をまとめていた。彼はわたしの顔をみると、朝の挨拶もなしに、こんな提案をした。
「この宿は高いから他へ移ろう」。
確かに、一人当たり7.5ドルの宿は高すぎる。この先の旅程を考えると少しでも倹約しなければならず、一刻も早く安宿に引っ越しするのが賢明だ。
「コンノートプレイスはどうだろう?」
彼の口ぶりから、もはやどこか目ぼしい宿を探したことがうかがえる。
「そこは一泊いくらなんですか?」とわたしが尋ねると、
「ドミで18ルピー、ツインが150ルピーだって」という。
それは安い。ドミは1ドルもしないのか。たとえ、ツインになったとしても一人当たり、75ルピーだから、約3.5ドルにすぎない。
わたしたちは引っ越しをすることにした。
F井さんが持つ地図を頼りに、コンノートプレイスというところを目指した。
ニューデリー駅を左に見て南下、まだ時刻は午前中にも関わらず、既に気温は40°を超えているのではないかという中、わたしたちは白い壁に沿って歩いた。
暑い。極めて暑い。
インドに到着して、まだ7時間余り。2軒目の宿を探す中、わたしはインドを旅するうえで、水、それも安全な水を確保すること。そして、その町の地図を必ず手に入れることが重要だと感じた。
この暑さの中で水分もなく歩き回ることは危険な行為といえた。それは地図についても同じことがいえた。
当時、日本では水を買うことについて、それほど一般化はされていなかった。だが、インドの衛生状態を見て、わたしはその考えを改めることにした。
これまで通ってきた国では、さほどの暑さもなく、ミネラルウォーターを購入するまでもなかった。だが、この40℃にも達しようとしているインドにおいて、それは自殺行為であるように思えた。
ニューデリー駅からとぼとぼとコンノートプレイス方面へ歩く途中、白い壁沿いからは異臭が漂っていた。すえた匂いの異臭はわたしたちの歩きを寡黙なものにさせた。
しばらく歩くと交差点に出た。
交差点といっても、日本の十字路のようなものではない。円形のロータリーである。
一方通行となっているそのロータリーをクルマはぐるぐるとまわっているよいうに見える。一体どうなっているのだろうと思って見ていると、クルマは一度そのロータリーに合流し、行きたい方向へ曲がっていった。
ロータリーを中心にして、道路は放射線状にいくつも伸びており、各クルマはロータリーを経由して進行方向を変えるというシステムだった。信号はなく、極めて合理的なシステムだったが、クルマの量があまりにも多く、絶えずクラクションが鳴らされるばかりでなく、一定の秩序はあるにせよ、日本人の我々からは極めて危険に映った。
だが、ロータリーの中心は公園になっており、木々が植えられ、噴水が設置されるなど、パハルガンジとはだいぶ趣が違う。そういえば、周囲の建物も瀟洒なビルが立ち並び、こぎれいだ。だいいち、町を闊歩していた牛が一頭もいない。
コンノートプレイスとは新市街の中でも特に洗練された街であった。
そのロータリーを抜けて、RADIALロードを南に行ったところに、目指すゲストハウスがあった。
RINGOゲストハウスという名前の宿は、白い瀟洒な石造りの建物の2階にあった。らせん状の階段を上がり、フロントに行くと、ドミトリーはもはや万床だが、ツインなら1室空いているという。早速、我々はチェックインした。
この安宿は中央がロビーとなっており、そこに多くのバックパッカーがくつろいでいた。
ツインの部屋はベニヤ板を張り巡らされた掘立小屋と呼ぶにふさわしかったが、各国の旅行者が集う場はなんとも心強かった。
インドに到着して8時間、わたしはようやく落ち着ける場所に着いたような気がした。
※これまでの「オレ深」は、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴ってきました。インド編からは同時進行ではありませんが、これまでの経過とともに、鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
ニューデリー編だけで一年かかるかもしれないよ。
なにしろ、インドはおろか、ニューデリーについての知識をほとんど持ち合わせず、あらゆることがショックの連続だったし。
コンノートプレイスというのがどういうところで、安宿がどこにあるのかも知らなかったよ。
この激しすぎる洗礼を丹念に書いていこうと思う。
リンゴゲストハウスはまだあるのか。
西洋人のバックパッカーも多かったし、コンノートプレイスという場所が便利だし。
最近、香港のラッキーゲストハウスを探してみたけど、見つからなかった。もうないのかもしれない。
携帯電話の発達で、バックパッカーの姿も変わっているだろうね。
いつでも、ほとんどの場所でつながる旅が、果たしていいものか分からないけどね。
グーグルマップでコンノートプレイス見といて、師が泊まったゲストハウスを検索しないのもなんだなと思ってやってみたら、今もあるらしく、コンノートサーカス南側に出てきた。
ホント便利になったなと、改めて驚いたよ。
師はコンノートプレイスに泊まってたのか・・・。
インドのオフィス街、官庁街であるコンノートプレイスは、インド屈指の西洋的な都会が広がる場所だったなあ。
俺は、ロストバゲージした時に、エア・インディアのオフィスに行った時くらいしか行ったことがなかったと思う。インドらしくないし、いかにも都会的だったから自分には合わなかったんだな。
それにしても今の時代は、グーグルマップとかでどこの国のどの街でも、ほとんどの場所の地図を見ることができるよね。
当時は、その町の地図を手に入れるだけでも一苦労だったし、見つけた地図がいい加減だったり、また、縮尺がでかすぎて使えなかったりで、そういう面でも苦労したけど、今だとネットさえ使えれば、携帯端末で落とせばあっという間に無料で手に入るから楽勝だよね。
しかし昔みたいな、地図がないからゆえの行き当たりばったりの宿探しとか、慣れてきた上での自分の嗅覚による安宿街方面へ突き進むみたいな事がなくなるから、そういう面では面白みはないかもしれないね。
あと、ミネラルウォーターだけど、俺がインドの露店で水を買う時に必ずやったのは、蓋が開いていない奴を確認してから買うっていうのだったなあ・・・。
悪い奴が蓋を開けて中身を出して、別の不衛生なただの水に入れ替えて売ってるっていうのがあるっていうのを聞いたからなんだけど、他にも、とんでもなく消費期限を過ぎたやつとか、水だけでもそうそう油断できない色々が、インドという国にはあったなあ・・・。
さて、師はニューデリーで何を見るのかな。