元同僚、T根から突然連絡がきた。
「久しぶりに飲みましょう」。
退職後に古巣から連絡が来ることは珍しい。仕事の流れが分からず、その質問を度々受けてきたが、連絡がきたのはその程度だった。11月くらいになってT根とは別の人が、飲む誘いをしてきたが断った。担当していた情報誌の広告クライアントが、また一つ広告出稿を取りやめたタイミングだったから、恐らくその相談と思われた。だから断った。いや、たとえ緊急事態宣言明けの遅い送別会の誘いでも、多分断っていたと思う。要するに、もう関わりたくないのだ。
古巣に広告を出稿する企業はみるみる減っていた。はたから見ていて当然だと思っていた。ちっともケアが出来ていないのだ。働いている時から問題ある会社だと思っていたが、退職して客観的な立場から見るようになって、その問題点はより鮮明に分かるようになった。だが、彼らはその問題に気がついてないのである。そこがまた大問題なのである。
そのタイミングでT根から連絡がきたものだから、はじめは最初に誘いをしてきた人のさしがねかと思って警戒した。「ちょっと様子を見て来い」と。いや、まさかね。そんなこと、あの会社に限ってはないだろう。でも一応、T根にはきいてみた。
「深刻な話しでも?」。
「いや、ただ単に赤羽で飲みたくなっただけ」と返ってきた。
T根だから、何かの魂胆があるとも思えなかった。ただ、何があるか分からない。赤羽駅の改札で慎重に様子を窺いながら彼の到着を待った。
実はT根との約束には二転三転あった。当初予定していた日がキャンセルとなり、別の日に変更となった。仕事上だから、それは仕方ないのだが、変更したその日についても「夕方連絡します」となった。「え?確定じゃないの?」ときくと、「確定なんだけど」とメッセージが来た。なんだかお茶を濁している。そこでピンときた。あ、会社の社長に打ち合わせを誘われる可能性があるんだなと。しかし、それっておかしい。仮に誘われたとしても断らなければならない。だって、はじめに約束したのは自分なんだから。いや、同じ社内の仲間なら、社長に打ち合わせを誘われたら「仕方ないね」で済むが、自分はもう無関係の人間なのだ。その常識がやはり古巣の会社の非常識を端的に物語っている。
T根と落ちあい、「まるます家」へ。混雑しているのかなと思いきや、行列は皆無。店内も空席が見える。「ラッキー」と思いきや、店頭に看板が出ていた。夜は19時ラストオーダーと。あともう40分しかない。自分はそれでもいいかなと思ったが、T根が「他所行こう」と言い出した。ならばもう行くところは一つ。
「いこい」だ。ただ、「いこい」は「いこい」でも、もちろん支店の方である。
T根と「いこい」にはちょっとした思い出がある。平成から令和に改元される前日、我々はこの店で飲んだ。平成最後の酒場が「いこい」だったのである。
さて、その「いこい」。コロナ対策もばっちりで据え置き型の検温機が導入されていた。カウンターは既に満員。我々はカウンター背後のテーブルにポジションした。
「ホッピー」黒からスタート。「たきおか」はとうとう白ホッピーを入れたが、元祖はまだまだ黒だけで勝負をかけている。
さて一口「ホッピー」をいただき落ち着いたところで、驚いたのが店内の静けさである。まるで水を打ったかのように無音なのだ。誰一人お喋りもなく、黙々と酒を飲むオヤジたち。ここは本当に酒場か? と疑いたくなるほどだった。ただ、テーブルも満員になってくると、少しずつ賑やかになってきてホッとした。
自分が去った後の会社はいろんなことがあったようだ。とりわけ驚いたのがトップのこと。酔っ払って会社の階段を昇るところ、足を踏み外して転落したらしく重傷を負ったらしい。外傷性くも膜下というらしいから相当だ。ただ幸いなことに後遺症はないというからやはり悪運が強い。
ところでT根にはこんな助言をもらった。
「うちの情報誌、やらしてもらえばいいじゃん」。
その一言で、かつてT見くんが言っていたことが大体理解できた。
「こっちだって被害者なんだ」。
あぁ古巣のトップは自分を会社から追われた人だと喧伝してるのかも。死人に口なし。「お前らもうかうかしてるとああなるぞ」とでも言っているのかも。それならそれで都合がいい。いやぬくぬくしていたら茹でガエルになるよという言葉が、喉元まで出かかったがすんでのところで止まった。
「いこい」も基本的には古巣と同じ恐怖政治である。本店も支店も、そして上中里のお店も。支店の場合、午前中にいるおばちゃんが特に怖い。この日はもうおばちゃんはいなかったけど、店内が静かなのはそうした支配の現れかもしれないと思った。ただ、自分としてはこの支店が一番好きである。料理がうまいし、種類も豊富。特に焼き物は抜群だ。
本店、支店、上中里で、そんなに違いがあるかと思われるが、断然違うと思う。神は細部に宿るのである。
T根との飲み会は楽しかった。何の駆け引きをしないところが、この男のいいところ。彼は会社に繋がれている方が幸せなんだと思う。それはそれでいい。ただ、会社が変革の時、彼はどうするのか。いや、彼の奥さんも同じ会社だし。トップの交代まで残すところ3年もない。
何で急に熊猫さんに会いたくなったんでしょう?
T根とはよく飲みに行く仲でした。月に一度は行ってましたが、コロナ禍でほぼ飲みに行かなくなりました。
「久しぶりに飲みたくなった」
と言う彼の言葉は本音だと思います。