あと少しでホテルというところで碑を見つけた。ホテル近くの公園入口にある石碑には「前島町の歴史」とある。
冒頭、「この一体には干潟潟原があり長い間、製塩業が行われていた」とある。海が近いので干潟だったことは想像がつくのだが、塩田地帯の面影はもうない。
そして石碑は更に、かつて黒船ペリーが上陸し、この地で兵士の演習を行ったとも記されている。その当時から琉球はアメリカの基地的な要素を含んでいたのかと愕然とする。
碑の上部を見ると地図が描かれている。見ると奥武山の周囲は海だったらしい。今徒歩で来た道は海だったのか。
へぇ。
第二次大戦の沖縄戦について、たいした知識は持ってない。だからこの前島が沖縄戦で戦場になったのかも知らないが、碑にその記録はなかった。
いわゆる十・十空襲は那覇市内を標的にした米軍の空襲である。琉球新報のweb記事を読むと前島も空襲されたらしい。このあたりも多くの人が亡くなったらしい。
今の平和の礎はたくさんの人の犠牲に成り立っている。マラソンを走れたことも、泡盛を飲めることもその歴史があったからだと思う。
沖縄を思う時、理不尽に捨て石にされたことを考えずにはいられない。
おはようございます。
古い外人墓地は気になりますね。
異国で亡くなった人がどういう思いでいたのか、とても興味(不謹慎かも)があります。
散歩はいいですね。
思わぬ発見があります。
青森の次は那覇でしょうか。
外人墓地は僕の那覇でのウォーキングコースにあるので、ある日ふと見つけたんです。