外国のビールは、やはり現地で飲むに限る。風土が育てたものだから、現地の気候と一体だ。だから、どこに行っても、その現地のビールがうまい。言い換えると、現地ではないところで飲むととたんにまずくなる。タイのシンハービールは、その最たる例だ。
「え?こんなまずかったっけ?」。そう思ったことが幾度もある。多分、極めてドライなシンハービールは、あのねっとりとした多湿なバンコクだからこそ、爽やかに飲めるのだろう。東京の夏の夜も、充分に多湿だが、微妙に違う。熱風の密度が違うのだ。また、ナンプラーなどで味付けられた料理には、辛口のシンハーが欠かせない。
タイの仏像展が東京にやってきた。もちろん、無条件に行くつもりだったが、仏像展以外にアピールされていたのが、キッチンカーによるタイグルメの出展。ボクの背中を押したのは、シンハーの樽生が飲めるというキャッチコピーだった。
実は、バンコクでもシンハーの樽生を飲んだ記憶がない。ごはんはいつも屋台だったから、時々飲むビールは、毎回ボトルだった。日本でも、時々タイ料理に行くが、シンハーの樽生は、いまだかつてお目にかかったことがない。そのシンハーの樽生が飲めるというのだから、逃す手はない。
タイの仏像を鑑賞し、外に出ると、広場はかなりの賑わいだった。数台のキッチンカーが集い、中には行列もできていた。さて、お目当てのシンハービールは、と目を移していると、これまた行列ができていた。やはり、多くの人が、こるを目当てにしてきたらしい。ボクも列に並び、しばし順番を待った。さて、無事にシンハービールを手にした暁には、どこかでつまみの一品でもゲットしたい。何を食べようか。
「トートマンプラーでもあればいいな」。そう夢想しながら、列に並び、10分後にようやくビールを買うことができた。一杯600円。プラスチックのコップは350mlくらい。かなり冷えており、すぐにでも飲んでしまいたい衝動にかられた。
広場に椅子とテーブルがあり、ほとんどが確保されていたが、一つだけ、立ち飲み用の丸テーブルが空いているのが見えた。とりあえず、ボクはそこに陣取った。しかし、一度席を確保すると、もう身動きがとれない。こういうとき、一人は不利だなと思った。結局、目の前のシンハーに我慢ができず、ボクはプラスチックコップを一心不乱に飲んだ。
うまし!
さすが樽生。
ボトルビールより、ややマイルド感がある。ドライの角がとれたような、そんなまろみ。もしかすると、マイルドさを感じるのは、微笑みを浮かべた仏像をたくさん見たからだろうか。それとも、タイの雰囲気が広場にも伝播したからだろうか。
一気にシンハーを飲み干し、もう一杯飲もうかなと思ったが、キッチンカーには、さっきよりたくさんの人が並びはじめていた。
さて帰るか。
そういや、ずいぶんバンコクに行ってない。近いうちにバンコクで、樽生シンハーでも飲もうか。そんな気持ちになった。
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