義経(章経)ー 経方 ー季定(初名 為俊)…新羅三郎の娘が母
経方 ー行定(下野守紀盛宗の娘が母)佐々木宮神主
【紀盛宗】は、1069-1071年あたり、下野守となっていたようである。
しかも宇都宮氏との関係もあったようなのだ。今回の収穫である。
紀伊国の日前
この【神々の間奏曲:儀礼・芸能・文学】小林茂美 著作 桜楓社
の本の中には、木村と紀氏・宇都宮氏・小野氏・日前神社・国懸神社など、今までバラバラに調べてきたことが繋がってくるような事柄が出てくる。熊野にも繋がってくるのだ。まだ見つけたばかりではあるが、じっくりと読みたい本である。
日神崇拝は、銅鏡から来ていると思う。
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さて、今回もう一つ
愛智郡の季仲が養子として入った先の新宮経頼は、源経頼とは別人であることが判明した。(源経頼は1039年に歿している。)新宮経頼と愛智郡の中原季仲のことは堀河天皇在位中のことであった。