延徳2年9月15日(14900090150)
幕府、天龍寺雲居庵をして、近江田根荘及び佐々木本郷内の地を安堵せしむ、
大日本史料
近江国
田根庄は、もともとは按察使大納言藤原朝方領であり、地頭は佐々木定綱であった。
そして
佐々木本郷内の地とは、久里城(本郷城・九里城)の周辺である。
ここも同じく按察使大納言藤原朝方領、地頭佐々木定綱 が関わっていたということになるのだろうか?
ともかく田根庄と佐々木本郷の所有が「天龍寺雲居庵」として安堵されたということらしい。
これって、九里氏は田根庄とも関係があるかもしれない・・・?
またまた天龍寺である。
天龍寺の場所は、もとは壇林寺といって橘嘉智子が創建したお寺である。嘉智子とは橘清友の娘で、嵯峨天皇妃(皇后)(786年生~850年没)である。
田根庄を調べてみると現在の須賀谷温泉の近くのようだ。
http://www.sugatani.co.jp/folklore/
私は竜神さまとご縁があるらしい。ここにもまた、いらっしゃる。
そして同じ須賀谷温泉のブログより
「五先賢の館は、旧東浅井郡浅井町田根地区の近辺から輩出された五人の賢人たちを顕彰する目的で平成8年に開設された施設であり、五賢人とは、比叡山の高僧で千日回峰行を創始した相応和尚(831-918)、狩野永徳や長谷川等伯と並んで安土桃山時代を代表する絵師である海北友松(1533-1615)、槍ヶ岳の七本槍の一人であり大坂の陣に際して最後まで豊臣氏と徳川氏の間を取り持とうと奔走した片桐且元(1556-1615)、きれい寂びと呼ばれる茶道を完成させ南禅寺や大徳寺などの名庭を造園し当代随一の審美家として知られた小堀遠州(1579-1647)、そして漢詩と書道の大家として名を残した小野湖山(1814-1910)の五人である。」
海北友松・片桐且元 のことは調べたことがないので、後でチェックしようと思うが、他の三人はどこかしらで行きかっている人物であった。田根はやはり関係があるかもしれない。(単純すぎるかな?)