九里 【九里】を探して三千里

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千葉胤正女を妻に…角田太郎胤親  千葉氏と佐々木氏のつながり

2018-12-19 | 雑記

富木常忍には、母が千葉胤正という仮説もある。そこでその周辺を見て見ることにした。

千葉胤正――<陸奥国気仙・江刺・磐井・胆沢・栗原・登米・桃生・牡鹿・遠田郡内地頭職か?>
角田親常(のち胤親)
相馬常清の孫・角田太郎胤親には、10人の子があり、上総の小櫃川・養老川中流域にそれぞれが拠っていた。


常忍の晩年は茂原で過ごしたようなので、なぜだろうと思い調べてみた。日蓮のお寺もあり、そのためだったのかもしれないし、中原経任(常忍の祖父か父)が橘氏に改めていて「橘次」と名乗っていたことから、もしかすると茂原の下記の神社と関係があるかもしれない。
橘樹神社 (茂原市)
橘木社文書
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p171-011.html

~~~*~~~

佐々木氏信(1220年~1295年)の5人の娘は、庶子家ではあるが有力御家人である。

佐々木加地経綱(佐々木加地庶流)妻、
吉良満氏(足利庶流)妻、
上田佐時(大江庶流)妻、
武石宗胤(千葉庶流)妻、…千葉氏とのつながり
皇族8代将軍・久明親王家女房
として嫁いでいる。
氏信の長男頼氏が安達泰盛追討の賞で豊後守になっている。

氏信の母が執権・北条義時の娘、正妻が将軍家女房右衛門督局(公卿・阿野実遠の娘であり、祖母は阿野全成・源頼朝弟の娘)すなわち源頼朝・弟のひ孫、娘が皇族8代将軍家・久明親王家女房など、女性の血縁が環境を優位にしていたのかも知れない。

氏信は鎌倉を主な活動拠点にしており、相模国最大の御厨である大庭御厨(おおばみくりや)を関東での本拠地とした。大庭御厨は鎌倉権五郎景政が開発し伊勢神宮に寄進した相模国最大の寄進地系荘園である。
平安時代末には、鎌倉権五郎景政の子孫にあたるという大庭氏が御厨を経営していたが、佐々木氏と縁戚関係にあった大庭氏の祖景忠の子景親は、1180年(治承4年)平治の乱において平清盛の家人となり、源頼朝の挙兵に対抗して滅亡した。その後、大庭域は源氏配下の在庁官人である三浦氏の所領となったが、宝治合戦により三浦氏が滅亡したため、以後は北条得宗家の所領となり、氏信の関東での本拠地となった。





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7 コメント

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嬉しいな。 (りひと)
2018-12-21 12:02:31
全く知りませんでした。橘樹神社が茂原にあるなんて!木が好きなので神奈川というか川崎のは行った事あります。で今回の茂原ですけど地図では上総の二宮って出るんですけど?確かなのかじっくり調べますね、一宮がこの前記事のあった場所で春分に行きたいと夢みている所です。

吉良さんも阿野さんも出てきましたね。どうもお世話になっているというか良く行く場所で出てくるお名前です。現世でもお世話になって部分も。

あといっとき御霊神社に行かなきゃってハマってましてそこに出てくる鎌倉の付くお名前も出てきてました。謎が解けるかもしれんせんね、ありがとうございます。この方この前また御霊ブームがきて関西の神社にもいらっしゃるんでなんでだろうか?と。何か理由ありそうですね。こっちは多分世の権力者でも何かすべき事があったとは思いますし、私では役不足なので絡まないでおきます。

今東京の七ツ森関係の神社で気になっている橘さんの方、茂原はとても気になるのでそっち掘ってみます。自分のワークへのいいヒントになります。記事ありがとうございます。3364
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ここにありました。 (kunorikunori)
2018-12-21 22:19:12
りひと様

上総国
https://jinjamemo.com/archives/post-14337.html
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一段落。 (りひと)
2018-12-21 23:35:34
現世の用事もひとまず仕事納めでした、ホッと。
で橘樹神社は私も調べたくなってすぐ。その時も思ったんですけど手力男命がいるんですよね。
これは東京でも同じ気配あるのが湯島なんですよね。湯島天神の所に戸隠さんがいてその崖の下に吾妻神社があります。ちょっと色々と調べたくなりますね。そう言われてみると父の足跡には、日蓮さんをはじめ橘さんの気配と日本武尊の気配と両方あるんですよね。そう思うと弟橘媛が祀られている所は縁がありそうです。目黒では弟橘媛の櫛塚ありますね。

弟橘媛のお父様って調べた事もありませんでしたのでその件も掘ってみますけど珍しいですよね。この地がお父様の地だったんですかね?
あと弟橘媛ってどこでもそうなんですけど慕われエピソードが多いんですよね?また日本武尊からも亡くなってからもずっと慕われている。
そこがまたとても興味深いです。他の神社より祭神が地域の人に愛されているんですよね。何か理由があるんでしょうね。3788
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静神社にも (kunorikunori)
2018-12-22 14:39:58
りひと様

その手力男命様とおなじかたと思われます手力雄命様
が「静神社」に
http://www.genbu.net/data/hitati/sizu_title.htm

二人共に一途なのに、可哀想だったからかもしれませんね。
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広がりますね (りひと)
2018-12-22 17:30:12
今日行った場所には糸塚がありました。
今別件で中将姫とかも絡んできます。
倭文も西近江っていうかな?琵琶湖の西にもまた愛知だかにも読みが違うけど関係ありそうな神社ありますよ。

織姫だと須賀川と裏日光だったか?佐野の唐沢山神社の近くに神社にもいらっしゃったような?
そうそうお掃除で唐沢山神社のお守りも出てきました。秋桜だったかな?コスモスって桜の字付いたんですね。

近江には鎌足の長男定慧が桑を伝えたとかそんなお寺があったような?個人的には須賀川からではないかな?と。

織物に星を織り込むんでしたよね、結び目の文字なのか?模様に意味があるのか?

なんかこちらのプログは父も祖母も両方関係してくるんですよね。ありがたいです。8400
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桑実寺かな? (kunorikunori)
2018-12-22 22:51:10
りひと様

たくさん、楽しく刺激的なコメントありがとうございます。
桑実寺、ホントですね。定慧=定恵ですね。
滋賀県近江八幡市にある天台宗の寺。山号は繖山(きぬがさざん)。開創は7世紀後半、藤原鎌足の子、僧定恵と伝える。「桑実寺縁起」2巻は重文。桑峰(くわみね)薬師。
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吉備津彦 (りひと)
2018-12-23 14:47:45
なんか面白くなってきましたよ。布目ダムのあたり山添村を地図で見てたら戸隠さんあるんですよ。この奈良の山添って凄いですよ。その関係者が父の関係とも接点ありそうな予感です。

製鉄関係も百済でしたよね?一般的には。私は福島じゃないかな?って。呉関係も含めて。道真さんは遣唐使派遣やめたのも色々思います。所詮妄想なのであとは、専門家がどう判断するか?文書考古学でどう連動してくれるか?ですね。戸隠さんは、九頭竜という関係もありますね。九里さんと同じクの民族。クナトにも繋がりそうですよね。

定恵さんのは、そうです。近江の方の記事で知りましたよ。なんか日本史では習っていない所が各地にいっぱいあり過ぎてワクワクです。

十市というキーワードとか冬至夏至とかの神事とか伊賀から名張経由宇陀よりも少し北のラインの方が古代動いていたルートっぽいんですよね。名張川は地形的にも決定的な川ですけどダムの下に集落とか遺跡がかなり埋まっているのを考えるとそこに道というか移動があったはずでどこから奈良盆地へ出るかだけの問題で奈良の中心地へ行くんですよね。民族としても吉備との交流や古墳等でも吉備津というキーワードで接点はどうもありそうですね。旧石器の関係がありそうです。石とか巨石とあと釜も出てきたりしました。これも岡山東北と繋がるんですよね。各地に住んでいる方の情報が一番生きた情報ですよね、縁がある人の動きも気になりますね。

そうだ葛城一言主神社から太陽見えそうな場所は奈良県御所市の柏原のお山っぽく地図上では思いましたよ。この辺りも関係してきそうです。山添村とくっ付けてみてみます。虚空蔵の寺あたりも通ると別件と絡んできます。冬至夏至関係の場所はどうもインタナショナルっぽく少数派なんですけど古い民族でしょうね。

記事と外れてるコメントになってきちゃってるので伝えておけばよい情報として処理して大丈夫ですからね。7588 最近数字が良いんです。
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