福島掃部様家臣…とあるので信雄公より前から宇陀にいたことになりますが、それ以前の情報はありません。
福島高晴(正頼)の周辺は、これからです。
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この系図は明治に高祖父が一人で書いた物で、
これから出しますのが、代々九里家の家督者が書き綴ってきた文書になります。
久々に出したら、記憶が‥‥
こちらが本物です。
ただ、プロの方からは
「中途半端な感じがする」そうです。
推測ですが、秀吉に敵対行動をとったので改名(この場合は変名)の可能性があります。流れからすると家康の影響の強い集団の中にいたとも考えられます。
岡田を全国まで広げると収拾がつかなくなります。
愛知県、三重県、岐阜県、滋賀県、京都府、奈良県
内に絞るべきでしょう。
九里への改名ですが宇陀郡九里村(?)に住んでいたか、母方が九里であった可能性があります。
現在の常識で考えると岡田氏はくさる程居ると考えがちですが、当時姓を有する家は三千家程度しかありません。岡田であれば、一門名寄せすれば数軒しかないでしょう。前述の県内に絞ると3~4家でしょう。
三重の藤堂藩の岡田氏は伊予河野流岡田氏ですので除外してよいでしょう。桑名藩岡田氏を追うのも面白いかも。桑名藩岡田氏の子孫が、現在日本最大の流通グループ「イオン(旧ジャスコ)」総帥の岡田氏です。
貴家岡田氏は「通字」が「政」のようなので、政が付く諱(イミナ)を持つ岡田氏を探索してみては如何でしょう。
清左衛門とかは「通り名」ですので通り名だけで判断すると間違えます。明治までは旧家は「苗字+通り名+諱」が姓名です。長くなるので明治以降の戸籍では通り名の登録は無くなりましたので今は姓と諱だけです。
戦国時代までは、幼名、成人名、烏帽子名、拝領名、通称名、襲名、法名、等が一人の人間に沢山ついていますので、同姓同名で異人、同姓異名で同人が沢山いますので特定が大変です。
「通字」が同じですので同姓同名異人が多くなります。
現在の常識で江戸期以前を考えますと誤解します。
余談ながら宗派は「禅宗」のような気がします。
そうですか。
本姓岡田の路線で、調べてみようと思います。
という事は、福島正頼の父と同じく尾張の岡田氏から。
京極高次の分限帳には、岡田清左衛門と九里次兵衛が出ていたので、これかな?とも思いましたが、その後の動きがわかりませんでした。
また、南部藩にも岡田清左衛門がいました。
という事で、岡田氏は全国にいらっしゃるので、大変ですね。
さて、この由緒書きは、何度も筆が替わっておりますが、いつの時代かはわかりません。
最後の人は、江戸時代後期の政敬の若かりし頃のようです。
宗派も真言宗だったのでは?というくらいで、正確なところはわかっていません。
お墓も、故祖母が永代供養をしてきたから…と云っていたのを記憶しておりますが、その頃興味のなかった私はお寺の名前も聞かずじまいでした。(反省)
でも、丹波柏原にはあるので、何時の日か探しに行かなくては、と思っております。
いろいろとありがとうございました。
方向転換して、調べてみます。
九里に変えた理由を序文かなにかで説明していませんかね。この系図はいつ頃の作ですか?
年度が不明な場合は、最初の筆跡が後世の誰の代まで同じかで、後世のその人かその親となります。
妻の表現が気になります。室町から戦国時代あたりまで妻ではなく室の字を充てるのが多いのですが。
法名が書いてありますが、宗派と寺は分かりますか?
系図上は「岡田流九里氏」に分類されます。
福島高晴(正頼)分限帳と家臣由緒帳を追う必要がありますね。そこでも岡田姓であれば1600年以前の他地域の九里氏とは関係ない可能性があります。
探せばどこかにありますよ。