岡田十右衛門を見つけたので、その周辺を探ってみた。
石川県史の中の金沢町中御法度之帳・金沢町方等二日読御定書 に【町奉行里見七左衛門・岡田十右衛門】と出てくる!
その他、飯田氏の系図の中に「細川豊前守家臣岡田十右衛門某」と名前が出てくる。この人は、上の人物の系と同じなのか、違うのか?ちょっとまだわからない。
細川豊前守は?と調べてみる。
【細川興隆】の事のようであるが、時代はちょっと合わない。
大きな意味でとると、細川氏の家臣であったという意味かもしれない。
どういう経緯か…想像するに、細川政元が足利義澄をサポートしていた時からのことかもしれない。
この十右衛門、
佐々木道治・岡田十右衛門娘
片岡久兵衛(飯田)(佐々木)
飯田伴有という名前も出てきて、その周辺から探ってみると…武田氏に関わりが出てくる。
周囲には今福・原が出てきて、辻氏も出てくる。
この「原氏」は土岐原氏のほうで、千葉原氏の原氏の末裔であった「岡田元繁」とは繋がらない。・・・はずなのだが、どうも気になるのである。
土岐原氏と千葉原氏が同祖なのかどうかは、いまだ解明されていない問題のようである。
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辻久太郎のことを調べると、
元禄の国絵図の作成を幕府に命じられたとある。
元禄十年閏二月四日、大目付仙石伯耆守が諸家の留守居を評定所に集め、正保の年に官庫に納められた諸国の絵図は、正確ではないため新に絵図を製し、上納するようにと申し付けられる。又このことはについて伺いたいことがあれば仙石伯耆守へ聞くべしと申し付けられる。
正保の国絵図も照合のために拝借を望むならば借出しする旨仰渡される。
幕府側担当役人は、
諸国絵図の惣司
寺社奉行 井上大和守
大目付 安仙石伯耆 (職分変更)→ 同 守藤筑後守
町奉行 松前伊豆守
勘定奉行 松平美濃守 (死後)→ 同 久貝因幡守
勘定衆四人
細田伊左衛門・野村新兵衛・平野次郎左衛門・辻久太郎
元禄国絵図に関する対馬藩への申達・・・ 勘定役 辻久太郎
また上記の辻久太郎と同一人物かどうかはわからぬが、web上に興味深い一文があった。
鬼室集斯の末裔を称しておられる小野の辻久太郎家に伝わる『過去帳』
「鬼室集斯が庶孫ニシテ室徒中ノ筆頭株司ナリ代々庄屋ヲ勤メ郷士トシテ帯刀御免ノ家柄ナリ名ハ代々久右衛門ト称ス 近江国蒲生郡奥津保郷小野村ノ住人(略)
辻久右衛門尉 宝永三年(一七〇六)正月 釈 念心」
というものも見つかった。
蒲生郡の「小野村」。
そこで百済の貴族であった「鬼室集斯(きしつ しゅうし)」の末裔が小野村の庄屋を勤めていた…ということのようである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%AE%A4%E9%9B%86%E6%96%AF
実は、九里の養子に入ってきた系に「高須氏」があり、その高須氏に養子に入った系に「辻氏」がある。辻久馬である。でも、小野村の人物とは違うかもしれない。
蒲生郡の出身なので、何等かつながりがありそうだと思っている。