万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

尊厳死は死の確実性と激痛を条件に容認しては?

2014年11月05日 15時21分30秒 | 社会
米女性の「尊厳死」非難=バチカン(時事通信) - goo ニュース
 2014年11月1日を、自らの生涯最後の日と決心した米国の女性。末期の脳腫瘍と診断され、余命は半年と宣告されていたそうです。この出来事について、自殺を禁じてきたカトリックの総本山バチカンは、生命と生きる者の使命の否定として、批判的な見解を示したと報じられています。

 生命と言うものが神からの預かりもの、あるいは、神からの使命が託されたものであるならば、自らの意思でそれを断つことは、バチカンが述べるように、確かに批判されるべきことかもしれません。しかしながら、その一方で、如何なる場合でも死を選ぶことを認めないとしますと、それもまた、残酷なのではないかと思うのです。何故、このように考えるに至ったのかと申しますと、古来、残酷刑が多いことで知られる中国には、極刑の一つとして凌遅刑という処刑方法があったことを知ったからです。あまりに残酷であるために、詳しい説明はここでは控えますが、凌遅刑とは、死に至るまで苦痛を与える続ける処刑方法です。ギロチンや絞首刑のような即死させる方法では受刑者に痛みや苦しみを与えないので、この”遅死”の方法が考案されたと言われています。言い換えますと、死に至るまでの間に、できる限り長時間にわたって耐えがたい苦痛を与えることが、この刑の目的なのです。情けのひとかけらもない発想には驚くばかりですが、病気もまた、この刑と同じ状況を患者にもたらすことがあります。尊厳死を選択した女性の余命は半年と診断されていますが、脳腫瘍が悪化しますと、常時、激しい頭痛に襲われるそうです。このことは、半年にわたって、逃れられない痛みと苦痛の中で死を迎えることを意味します。病気もまた、場合によっては残酷刑や拷問と同じ苦しみを患者に課すことがあるのです。

 末期に至るほど痛みが激化する病気は脳腫瘍のみではなく、苦しみの中で生涯を終える患者の方も少なくありません。このように考えますと、不治の病であること、そして、死に至るまでの間、激痛を伴う場合には、例外的に、尊厳死を認めてもよいのではないかと思うのです。死に至る苦しみからの解放が、人道の名においても許されないとは思えないのです。

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コメント (2)
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