万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日仏司法制度批判合戦よりもゴーン事件の全容解明を

2019年04月06日 13時21分24秒 | 国際政治
特別背任罪等の容疑で長期拘留の憂き目にあったカルロス・ゴーン容疑者は、漸く保釈となったと思いきや、再逮捕によって再び拘置所に舞い戻ることとなりました。保釈中の再逮捕も異例なそうですが、同容疑者は、フランス政府に対して救出を訴えたとも報じられています。

 長期に及ぶゴーン容疑者の勾留については、フランス側は、メディアを挙げて日本国の検察・司法制度に対するネガティブ・キャンペーンを張ってきました。有罪判決を受ける以前の長期拘留は、推定無罪を原則とする近代国家にはあるまじき行為として、日本国に対する制度批判を展開したのです。拘留期間の問題の他にも、弁護士の隣席なき取り調べ等も批判の対象とされ、フランス側は、日本国という国を、あたかも魔女狩りがまかり通っていた中世にタイムスリップしたかのような、前近代的な国家とみなしています。この文脈にあって、ゴーン容疑者は、‘東洋の古めかしい国で不条理にも無実の罪を着せられて獄に繋がれてしまった哀れな文明人’なのです。

 フランスにおける日本国の描写は、スウィフトが『ガリバー旅行記』を著した時代と然程変わりはないように思えるのですが、前近代性においてはフランスも負けてはいません。事件発覚当初、フランス政府の介入については、ルノー・日産・三菱自動車の三社連合の行方に関心が集まっていましたが、ゴーン容疑者の救済の訴えに応じたのか、フランスのルドリアン外相は、日仏外相会談の席でフランス側が東京地検特捜部による逮捕・拘留を問題視している旨を伝えたと報じられています。言い換えますと、それが牽制を意図した‘口先介入’に過ぎないとしても、フランス政府は、同事件を政治問題化し、外部から日本国の司法に政治介入しているのです。この段に至ると、推定無罪を掲げて日本国を批判したフランスに対して、日本国側も、外国政府、並びに、閣僚による司法介入は近代国家の原則の一つである司法の独立に対す侵害として批判し得る立場を得ます。この発言は、国家の独立性にも関わりますし、司法の独立は、近代国家の統治機構上の大原則である三権分立を基盤としていますので、ある意味、推定無罪の原則に対するよりも深刻な侵犯とも言えましょう。

同容疑者による本国への救済要請は、西欧列強に領事裁判権が認められていた不平等条約の時代に逆戻りした感覚に襲われるのですが、ゴーン容疑者からすれば、ルドリアン外相の発言は、本国への救済の訴えが功を奏したこととなります。しかしながら、国家間の関係が平等化した現代では、本国が易々と同氏を救い出せるわけではありません。否、日産のみならず、仏ルノー社に対しても背任行為を働く、あるいは、損害を与えた事実が判明すれば、同容疑者は、日仏両国の捜査当局から追われ、両国の裁判所において判決を言い渡される身となるのです。

 何れにしましても、今般の事件における‘曲者’は、ゴーン容疑者であることは疑いようもありません。金銭に対するおぞましいまでの執着心と強欲さは、日本人一般の想像をはるかに超えています。カルロス・ゴーン容疑者とは、時代の先端を颯爽と駆け抜けたグローバリストにして辣腕のカリスマ経営者なのでしょうか、それとも、前近代の時代感覚を持つ非文明的な犯罪者にして詐欺師なのでしょうか。ジーギル博士とハイド氏の如くに善悪の二面性を自らに体現しているものの、有罪判決を受ければその人物評価は後者、即ち、稀代の悪党として落着することとなりましょう。政治と経済がクロスする同事件の重要性に鑑み、日仏両国は、批判合戦にエネルギーを消費するよりも、同事件に関連するブラジル、オマーン、サウジアラビア等諸国の捜査当局にも協力を求め、ゴーン容疑者が奇しくも浮かび上がらせた、国境を越える‘悪のシステム’の解明に全力を尽くすべきではないかと思うのです。

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